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この一枚の写真-13[チョンア]

投稿日:2011/1/28

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私の年ほどの父親はほとんど同じであるように、とても怖い存在としてはじめて認識したことがあった。19歳、大学を決定する中でその事件はおき、断食闘争にまで発展していった。父親は技術を学ぶことを願い、私は行政科を選択した。

‘おまえはどうして行政学科に行こうとするんだ?’‘刑事になるためです。’

その瞬間、消えてしまいそうな深い父親のため息が聞こえ、長い沈黙があった。そして約1週間の間、断食闘争の末、行政学科に進み、大学を決めた。

その当時の韓国は香港映画が今の韓流ほどの人気をもっており、多くの映画が銃、剣、刑事が重要なテーマになっていた。ビデオのない時代だったため、多くの時間を映画館で過ごした。量の多いお弁当を映画の上映中に食べたことのない人とは映画について語ることはできないし、銃の音と同時に固い大根のキムチを食べたことのない人はセンスについて論議する資格はない。

刑事が銃に撃たれたら自分がうたれたようなものであり、恋人が死ねば自分も同じようにこぶしを握り締め、復習を誓った。刑事はいつも黒の皮のコートを着ていた。そして、黒の手袋も・・・・

そして死体はいつもすすきの多い水辺に捨てられ、犯人が捕まったらそのすすき近くで現場検証をする。特に韓国映画を一段階引き上げたとされている‘殺人の記憶’という映画では間の抜けた刑事と拷問で虚偽自白をする犯人がすすきの間で現場検証をする場面が黒のジャケットとすすきという関係性を確認させてくれる名場面だ。

 

チョンアが入っていった。すすきの中を掻き分けながら、ずっと笑っている。

望遠カメラでその様子をみながら、こんなことを考えた。

‘チョンアはすすきがそんなに好きなのか?’

笑い声は聞こえないがすすきを掻き分けながら笑っている姿だけを見ているとわからない哀感をもった。彼女は笑っているが、私に訪れた人生の哀感は何だろう?

‘私が笑うのは笑っているのではないの?’という歌詞のように、チョンアの声のない笑いに‘殺人の記憶’の薄気味悪さを感じ、必死で暮らしているがその意味に対しては無関心な人間の‘意味のなさ’を感じていたようだ。

 

現場検証を終え、かえってきながら彼女の笑い声が少しずつ聞こえてくるにつれ、また日常に戻ったが、現場検証をしている刑事の声のない笑いは憂鬱な手紙の雰囲気とつながる。

 

この間、私たちのために‘ピョンジョンア語録’を披露し、笑いをくれたチョンアにありがとうといいたいが、私にとってチョンアは‘現場検証’なのだ。

 

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