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この一枚の写真-12 [チンジュ]

投稿日:2010/12/28

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私には姉が二人いる。

ヨンシムとヨンジュ。

特別仲良しなわけでもないが、だからといって特に距離があるわけでもない、平凡な3人兄弟。

ヨンシムとヨンジュも同じヨンという漢字を使うことを除けば、一緒にお弁当を食べた友達に比べれば特別な関係でもなかった。各自結婚をして、子供が生まれてから急に仲良くなった。ヨンジュがカナダに移民することになり、それが悲しかったのか唯一の話し相手がヨンシムになった。

ヨンジュが移民してからすでに6-7年くらいが過ぎたが、その間に私とは電話を12回した程度だ。ヨンジュと私はそんな仲。

ヨンシムも同じだったが、ヨンシムの娘チンジュが日本に来ることになってから以前よりも連絡を取るようになった。

チンジュにもった

「俺はお前をチンジュだと思っているのであって、姪っ子だと思ってるわけではない」

19歳のチンジュがこの言葉を聞いてどんなことを考えたかはわからないが、「なんだそれ」くらいだっただろう。

チンジュが日本に来て学校に通い、デザイン室で仕事をしながら彼女に一度も暖かい言葉をかけたり、食事に誘ったりしたことはない。横浜の篠原に、一緒に食事に行こうと誘わないことがそんなにおかしなことではないように、チンジュにそうであることも、自然なのだ。

 

チンジュを見ていると、若者が持っている躍動感を感じる。大げさなことではなく、時々感じる。そんなことを感じるときは、義務感を感じる。方向をきちんと提示してあげなくちゃいけないという、強迫概念もある。でも、人を認めるという広い心を学んだりもする。彼女には、存在そのものをそのまま見つめる純粋さがある。いろんなところで人を比べている癖を自分で気づく。その義務感と強迫概念が彼女のためのものではなく、自分が生きていく栄養素だということを、知る。優越感からくる位置で対象を見つめると、いつも不足に感じてしまう。その不足な部分に集中してみると、私の目はその不足部分だけを見ているということに気づく。不足を指摘し肩をおろす相手をみながら喜んでいる、もう40になる自分に嫌気がさす。

 

チンジュがポーズをとりながら自然と似た笑顔をした。私の指は自然とシャッターを切る。自然体で生きていきたいと言えば言うほど、私の中の自然体は薄れていく。自然とは、言葉で表現するものではなく、それ自体でなければならない。自然体のチンジュに「俺はお前をチンジュだと思っているのであって、姪っ子だと思ってるわけではない」といった自分の偽善が、恥ずかしい。

 

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