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相模プロジェクト
投稿日:2010/12/24
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2011年はライフスタジオに大きな転換をもたらす時期だ。
さまざまな物質的条件がそろい、これからライフスタジオが存在している理由そのものを、スタッフたちが直接的で具体的な行動を通し、証明していく時期を迎えた。
2ヶ月以上の学習休暇、ライフスクール、ギャラリーオープンの3つの事業をひとつに
集約し、相模プロジェクトとした。
相模プロジェクトとは、ライフスタジオのアイデンティティを含んでいるという共通点をもち
第3期を迎えるライフスタジオにとって、必要不可欠な事業である。
的確に、目に見える成果を期待することができない中で、ライフスタジオが負担していくには若干負担と考えられるほどの費用、時間、情熱を必要とする。これらは事業についての必然性に対する認識と、目的意識的な行動を伴なっている。
したがって、相模プロジェクトはライフスタジオが2010年までなしてきた成果を
含みながらも、方向性を決定し、実行していく段階に入っていることを証明づける。
これらの3つの事業は、お互いに相乗効果をもってスタッフの変化を主導していくことになるだろう。
この相模プロジェクトがいい形で定着をすることができれば、企業に向かおうとする
ライフスタジオが、理想的な形態に大転換をなす2011年になるだろう。
私たちの知恵を集めて、伝説を創っていこう。
A. 相模プロジェクトの背景
-. 会社が存在する理由
話をしていると「その本質は・・・」「それは本質から外れた話だ・・・」という類の、本質という単語を多く使用する。本質という言葉を辞書で調べると、もともと持っている物事それ自体の性質や姿、物事や減少を成立させる根本的な性質だと定義づけされている。このように本質とは、人を人とせしめる、猫を猫とせしめる、チャンドンゴンをチャンドンゴンとせしめるその何か、ということだ。私がチャンドンゴンになれないということは、本質的にチャンドンゴンはもっていて、私にはない何かがあるということなのだ。
それでは経済活動における本質とはなんだろう?
まず考えられるのは、人間に必要な財貨と用役の生産と分配だ。生活をしていきためにお金が必要であり、お金を稼ぐために会社に就職して仕事をし、その仕事の代価として給与をもらい、衣食住を解決する。しかし、単純に衣食住の解決のためにお金を稼ぐと考えるのであれば私達の人生はとてもつまらないものになる。食事をするために生きるのでもなく、生きるために食事をする。では、なぜ生きるのか?という質問がでてくる。人によって差はあるが、各自の価値をつくりあげその価値の再生産のために活動をすることは、人の本質につながる。それでなければ人と森の中をさまよっているたぬきとの本質的な違いを説明することができない。人と動物の本質的な違いは、価値の生産と消費にある。
経済活動はお金を得るための過程と、そのお金を使用する2つに分けられる。しかし、現代社会でお金を得るための過程は、そんなに重要に思われていない。成功したい欲望は、少しずつ大きくなるが、それだか現場に適応する人は少ない。どんな方法でもお金を自分の手元においておける構造をつくりあげ、そのお金に対する使用方法に、この社会は集中している。すなわち、消費を通して楽しむ時間を持続して作り出せる仕組みで、社会は回っている。俗に「悪い職業」といわれる契約社員、派遣社員、アルバイトなどが増えていく理由もここにある。資本の基準で社会が回っている為、労働よりは消費に集中しており、悪い職業は増え、消費の多様性は拡大する。労働と消費はコインの両面とも同じで、労働が阻害され、消費が崇拝される不均衡は多くの問題を抱えている。
-. 労働者がすなわち、消費者である。いい労働はいい消費からなり、悪い労働は悪い消費に繋がる。
-. 労働は理性と感覚の総合的な結果であるが、消費は感覚的で瞬間的だ。
-. 労働は自己実現を含んでいるが消費は自分を確認することで終わってしまう。
-. 労働時間に比例して消費時間は不均衡だ。
このような問題が羅列され、一方に偏らせてバランスを崩すという失敗をしているのだろうか?
人生の理由や意味に対する正確な答えを見つけることは難しい。もしかしたら、絶対に分からないものなのかもしれない。結局、それをひとつひとつ知っていく家庭が人生なのであり、その中で価値を拡大していくものなのではないだろうか。幸福、愛、平安、勇気、喜びなどは私達の人生を維持させてくれる栄養素だ。幸福になるために生きるというよりは、幸せを感じる感覚が私達の人生とつながっていく鍵にも似たものだと、考える。社会が構成され、人生のために全ての活動と秩序は価値の拡大と人生を維持させていくための栄養分の供給に服務すべきである。会社、学校、政府、軍隊、団体などの成立目的と事業方向などをあわせてみると、すべて同じようにこのような内容を含んでおり、それらの実現のために存在していると述べている。一人の個人や特定の政派の利益ではなく、一人ひとりの自己実現を主題に、認めあいながら全てが人生の意味を探していくことのできる過程に価値をおいているということを、確認できる。しかし、現代は少し違う方向に進んでいる。
土台が上部構造を規定するというふるい考えをたださなくても、資本主義時代を生きる私たちは物質万能主義の影響力から自由になることができない。また、新自由主義に現れる資本の自由化は労働の価値を少しずつ低い段階におろしてしまっている。
よく企業の目的を利潤の追求だという。しかし、利潤の追求は結果であって目的になることはない。企業の利潤追求が重要な要因になることは確かだが、目的になってしまった瞬間、持続可能な発展を期待することができない。自分の子供を天才に育てるためにその子供の状態とは案系なく、机の前に座らせて愛という言葉の中で抑圧的な教育をさせる場合を想像してみてほしい。前述した状況が、私達の周りにはびこっている。
会社は人間の人生の欲求を満たし、増進させる空間だ。
そして、その経済活動の参加者たちの世界観を向上させ、確認する経済共同体の性格をもっている。例えばスタジオの写真は顧客満足とカメラマンの自己実現のために、存在すべきである。例えば、スタジオの写真は顧客満足とカメラマンの自己実現のために存在するべきだ。これらが成されたとき、自然に利潤と価値はついてくるものだ。
したがって会社は労働の価値に対して責任をもっている。
会社はスタッフたちの人生の欲求を満たし、増進させる義務をもっている。
このような義務のために、物的条件を準備し現場に適応させることが会社の役割だ。
先日ライフスタジオの加盟店オーナーとの会話の中で「オーナーがしたことはお金を準備することだけだ」といった。その話をきいた社長の気分はどうだかわからないが、それが事実だ。オープンのための資金を準備することに対しての代価は支払うべきだが、その法人がすなわち社長だと考えると、大きく誤った判断だといえる。法人はその社長にスタジオが問題なく運営されるために様々な権限を委任している形態なのであり、それによって義務もついてくる。
利潤の追求とスタッフたちの成長の間にはバランスが必要であり、そのバランスの維持と発展のために、経営者がいるのである。しかし会社に対する概念は歪曲しており、時代は少しずつそのような論理が拡大再生産されている。
ライフスタジオが追求する目標に同意するため、ライフスタジオの一員になったのだ。
そしてその目標が私たちを幸福で健康にしてくれるという信念を持っている。
ライフスタジオはこれら整理された会社に対する概念を基盤として活動する組織だ。
これらが間違った方向なのだとしたら、私たち全てに責任があり、その結果を受け入れなければならない。
-. ライフスタジオの主題
先日アップした内部文化に関する文章を引用してみると・・・・
……
いつも二つのことを考える。方向と集中。
速度はそんなに問題ではない。方向があっていれば、黙々とその道に集中したい。
内部文化も同じである。
方向を設定し、そこに集中すること。それだけが内部文化を作ることができる。
主題は人だ。すなわち、変化する人・・・・
"見飽きた毎日からの脱出"
人生の理由は確認と余裕、そして捜し求めることではないだろうか
人を通して確認したいし、私と相手が変わっていくことのできる余裕を持つこと
そして別々に、一緒にということ・・・・
ライフスタジオは経済的な問題が私達の方向と集中に障害をもたらさない程度で十分だ。それ以上は欲望だと呼ぶべきなのだ。
人生を確認し、余裕をもって、価値を持つ形式を多変化しなければならない。
今までは本を読んで話をして、少し書く、その程度だった。このような基盤の上に世の中と私に心から出会う条件をつくらなければならない。
固定概念の枠の中で身動きができない人間に、自ら壁を壊せと話をしてきた。その壁の硬さをあまりにもよくしっていながら、それを個人的に解決しなければならないと考えた。しかし、その壁がどうして個人だけの問題だといえるだろうか。私達の社会が共に作り上げた高い壁から目をそらして無気力な人間に少しの休息だけを与えていた。
集中が必要だ。人間の変化発展という方向設定は真理のようにやってくる。経済的な問題はおかしなことをしなければ、一日に3食をとることができる。これから人間の変化に集中する。私から変化に集中する。同時に設計図をつくる。そして、共に行く。・・・
ライフスタジオがどうして人間にこんなにも集中しようとするのかは、よく分からない。それが最も簡単な選択だったということと、それしかしらないということに対して多くは同意する。
スタジオを運営してみると結局ポイントの部分で人間という結論に到達した。「写真をうまく撮るためにはどうしたらいいですか?」という質問に、人間を研究し、その中に入っていけという言葉が最終的な答えになる。会社を運営している経営者の役割に対する自らの問いにスタッフたちが幸せに仕事をして、会社の主人公と自覚し行動することという短い文章に真理を垣間見る。売り上げを上げるために最善をつくす方法は人間の変化の過程で発生するエネルギーの活用である。
スタジオは通常写真サービス業と分類される。これらは写真という技術とこれらを活用して顧客に対して無形の価値を提供するサービスの2つで構成されることを意味する。以前は写真撮影のためにいろいろな機械と技術的な部分が必要であり、これらはその希少性によって一般人が接近しがたい部分であった。これが写真を技術と認識させる重要な要因だったが、時代がかわりもうこれ以上それだけでは技術と呼ぶことのできない状況になり、機会の運用から撮影条件の変化とスタジオ内部の関心が移動した。一つのスタジオで写真と撮影の技術が進歩したということは、一人の個人の知識と経験が高まったということを意味するのではない。そのスタジオが保有している知的財産は特定の数人にあるのではなく、その進歩を可能にしたシステムにあるということが正しい。ここでシステムとはこの時代の要求とスタジオの努力が結合して、サービスの形態に発現されることをいっているが、この部分もやはり、媒体は人だ。人と人の有機的な結合がなければこのシステムが産まれることのできる条件がそろうことはない。創意的で意欲的な数人の努力では一時的な発展だけを期待できる。システムでつなげなければ、個人的な試行錯誤と満足で終わり、その個人の動力も失われてしまうだろう。
そしてサービスは人と人の間でなされるものであるがゆえに、これ以上口論する必要もなく関係を伴う。特に現代は写真の技術部分よりもサービスに移動しており、加工処理されたイメージとその伝達過程が重要になってきている。これらは写真撮影技術の発達よりもサービスの発達速度が速く、写真関連装備が改善される速度に写真業界がおいつけないまま始まった。したがって、スタジオはこれ以上写真の技術というくらい場所での独占を続けることができない状況を迎えているのであり、人と人をつなげるサービス業という現実を受け止めなければならない。
もう一つの大きな意思は伝説を作り上げたい人間の属性にある。
ジョンリーダーとギャラリーで1日共に過ごしながら、本を読んだり酒を飲んだりしながら、いい時間を過ごし、こんな質問をした。
「ギャラリーで顧客とスタッフ全てが生きているという感覚を持てるようにしたが、どのような方法がありますか?」この質問に、ジョンリーダーの口から3年に1度出るか出ないかの一言が出てきた。
「甲子園に出場する選手たちは多いがプロに入団する選手は1%になるかどうかです。高校の選手登録選手で考えると、0.1%の選手たちがプロの道に進みます。残りの選手たちは社会生活をすぐにするか、大学に行って勉強をしますね。学生たちもそれが分からないわけではないと思います。プロ選手になってお金と名誉をもつことでより野球そのものに集中するようになります。そして、走り、転がり、転んだりしながら人生を知っていくのでしょう。彼らがグランドで流す涙はだから、感動的です。テレビを見ていてもそれを感じることができるために、一緒に涙を流したりすることが自然なのです。
ライフスタジオのスタッフたちがそうやって自分のいる経済活動の場所において甲子園の戦いのようなものを感じてくれたら、それこそが私達の目的ではないでしょうか?」
同じ考えと同じ行動から出てくる終わりのない多様性を発見する瞬間だった。‘甲子園の情熱がライフスタジオでも・・・・’この意味は自分を発見するその中心がライフスタジオであってほしいと願う切実な願いだ。売り上げを上げ、いくつかの店舗をオープンすることには大して関心がない。負けてもなきながら甲子園球場の土を持ち帰る選手の真正性をライフスタジオでも確認したい。そのようになる状態をまだライフスタジオで想像することが簡単なことではない。
それでも、到達することのできないそのような伝説を、人を通して作りたいという叫びは、正しいのではないだろうか?
-. 大転換の構成要素
物的条件が準備された。
-. 安定した売り上げと利益
-. スタッフたちへの積極的な利益分配
-. 教育と学習、討論の効果に対する肯定的な認識拡散
-. 人の変化発展をライフスタジオの目標と認める
-. リーダー会議を通した意思疎通と政策決定が定着
-. 情熱的に自己の変化を要求する多数のスタッフ
人の変化発展、すなわち成長はライフスタジオの目標として定着している。これからは直接敵意で具体的な行動段階に入る。
では、いったい何がどうなったときに大転換を成したといえるのだろうか?
2011年、相模プロジェクトの基盤は‘集中’と‘習慣’だ。
集中
百聞は一見にしかずという言葉がある。一度体験してみたら多くは解消されるという、当然の言葉とも言える。討論をしていくと、自分自身の壁を壊すことや自分を知らなければならないという結論に整理される。これらも一、二度であればなんとなく過ぎていくが、いつも同じ結論がでるということは、混乱を招く。自分自身の壁と限界を克服して実態を発見していくことが一度で成されるわけではない。生涯をかけていくことになる、原罪にも似たものだと考える。
しかし多くの人間は自分が持っている壁と限界に対し、
向き合ったことがないということが、原因だ。
初めてなだけに、それに対して何度も話をし、答えを見つけたいと願う。
一度結婚をしてみたことのある人は、結婚に対する幻想は自然になくなり、客観的な視覚をもてるように、本当の自分に出会うというのは経験が必要だ。だから、所有する人生から存在する人生に移行することが切実だ。
人が変化を経験し、人生の原理を知っていく過程にはいくつかの段階があるようだ。まずは‘私’という見えない実態に対する経験が必要だ。それでこそ、関心の方向が自分から自分に、そして自分の周辺の物事を客観的に認識の範囲に入れることができる。視覚が私に向かうな柄生じる発展の停滞現象を排除しなければならない。
このために、集中して自分に入っていくことが必要だ。そのような経験が私を確認させてくれ、静かに自分をみつめ、自分から私自身を自由にすることができる。それでこそ、人間の変化のスタートのための準備をすることができるのだ。自分に入っていくことは、1日に5分ずつ行うストレッチとは違う。自分も知らない間に、固定概念の塊になってしまっている。私と社会がつくりあげたその厚い壁を破り、本当の自分に出会うためには、時間と努力を集中させなければならない。人の変化のために集中が必要な理由がここにある。毎月1冊の本を選定し、討論をする程度では自分自身の実態に出会うことはできない。
私たちは今、教養を身に着けようというのではない。
本当の自分に出会う時間を必要とし、このためには
直接的で具体的な行動が要求される。集中してその時間と内容を
ライフスタジオが共同でつくらなければならない。
集中は時間を必要とする。その時間は一ヶ月に数時間を過ごす形態ではなく、連続的な時間の投与と繰り返しが必要だ。だから、2ヶ月以上の学習休暇という事業が提案された。
そして集中するべき内容はライフスクールという事業を誕生させたことだ。また、集中した時間と努力の確認はライフギャラリーで提供されていく。こうしてつながることは、ある程度人為的だ。このようになったらいいという気持ちと、不安の一つの表現なのだ。しかし、少なくともこの3つの事業が集中という部分に集中していることは事実である。少し高いところからこの3つの事業が集中という主題とどのように繋がるかということに対する観察をし、持続的な改善が必要だ。
習慣
どのように成功することができるのかという質問に、習慣という答えを出す本を何冊も手にしてきた。しかし慣れるということと習慣とでは、違いがある。条件が変われば以前習慣と考えていた慣れは、不安になっていく。読書が人間に必要だといわれるから宿題をこなすようにこなしていくのでは、長く続かない。正規教育課程を修了すると、本と疎遠になる私達の姿からもこれらを確認することができる。私達の感覚器官として入ってくるいろいろな情報と経験を多様化することが、私の中で整理され体系化される過程が必要だ。このような作業の繰り返しは習慣でなされ、変化発展という新幹線に乗る効果を発揮するだろう。
習慣を変えることがどれだけ難しいかということは全てが分かっている。習慣にするためには、これらが必要だという強力な経験と認定、そして周辺の雰囲気が必要だ。おそらく多くの会社に読書経営や人間中心経営を打ち出しながらいろいろな事業をしていながらも、スタッフたちにそれを習慣化させることに対する難しさを感じているのだろうと、予測される。
習慣のために相模プロジェクトが運営される期間は限定されている。私達の体にあった服をつくるために継続的に事業の内容を変化させながらもっと高い段階に向上させなければならない。そこから、私達の限界は少しずつ高まるのだろう。少し前に、韓国のアンチョルス所長の講義をブログに上げたことがあった。その中に自分の限界点を継続してあげていくというものがあった。今放棄したらそれが限界になってそこまでが自分の人生になるのだ。限界を高めよという個人の意思で解決することがどれほど難しいことかということに対し、私たちは全てよく知っている。だからその限界点の向上を一緒にやっていこうというのであり、すなわちそれが内部文化であり規律の文化なのである。限界点を上げることは私たち全ての努力自体が習慣なのだ。
だから、相模プロジェクトが重要だ。学習休暇、ライフスクール、ライフギャラリーの三角編成が絨緞爆撃を継続的に行うという習慣で成され、内部文化が少しずつ発生したのだと信じている。そして、持続的に試行し、よりよい方向に成長させなければならない。
2011年相模プロジェクトはこれらで口論された集中と習慣のための事業である。
集中した学習と事由の時間のために1年に2ヶ月以上の学習休暇を配置した。
一定期間の間、一つの主題で持続的な学習と討論を行うためのライフスクールを作った。
顧客との同じ目線での出会いのために、ギャラリーを準備した。
この3つの事業は相互有機的な結合を成すだろう。学習休暇をギャラリーで過ごし、学習休暇の内容はライフスクールで提供される。また、学習休暇とライフスクールで学んだことは人間に対する新しい認識を、ギャラリーにおいて経験し、確認することになるだろう。このように、これら3つの事業は集中と習慣という主題のためにお互いに役割を分担し、補完して発展していく関係を形成するだろう。そして、この経験を基盤にして変化発展の方法を習慣化していくのだ。
相模プロジェクトは、2011年に終了する事業ではない。
成果を土台にして、今後よりその範囲と内容を拡大する必要がある。
2011年の目標を考えて相模プロジェクトが5年以上維持されるよう、試行の最初の1年を性向的に事業を進行させていくことこそ、現在ライフスタジオで最も重要なことだと結論付ける。
これは集中と習慣の目標のためには1年過ぎたら終了する事業ではなく、相模プロジェクトが日常化して、当然あるべきものだと認識されることだ。
そのときにライフスタジオが目標を達成したということができるだろうか?
B. 学習休暇
-. 背景
学習休暇が構成され、政策として決定されていく背景は大きく2つだ。
まず第一にライフスタジオの売り上げがあがった。売り上げはすなわち、利益の拡大に繋がった。このような条件で残った利益を誰に、そしてどうやって分配されるべきなのかに対する悩みが浮かびあがった。通常の会社のように、社長のポケットにその利益が入っていくことは、ライフスタジオが内部文化とうまく重なりあわない。日常的に人の変化、発展に対する話をしながら、お金を稼いだらそのまま社長の懐に入っていく状態はバランスが合わない。ここで中間形態を選択する論理が登場した。支出を明確にし、その利益がどこに行くのかに対する立場証明の要求が、それである。どこに使われるのかに対する公開的な討論は自然に「人」に集中するようになった。このような問題を個人に任せてしまたら自分も知らない間に自然に自分の懐に入ってしまうのが自然だからである。
公開的な空間でこのような敏感な部分に対しての討論をすることは
私たちが目標とする方向を明確に確認する機会になり
本性からでてくる所有欲を討論の中で理性の力で屈服させる
とても素敵な状況がつくられた。
第二にライフスタジオのスタッフたちは2年あまりの教育プログラムを通して学習と教育の基礎が少しずつついてきており、他の方法を要求されている。1ヶ月に1冊程度の読書と討論を超えるその何かが私達の変化を引っ張っていくことだろうと考えていたし、その何かが、2ヶ月以上の学習休暇という政策になった。
リーダー本人はもちろんのこと、各支店にいるスタッフたちが
ゆっくり、そして少しずつ変化していく姿を確認し
それが現場に現れ内部文化が少しずつ発生してきた。
第三に、リーダー会議が各支店の社長たちの沈黙の集まりではなく、実質的な政策と方向性に対する論議の場になった。もちろんリーダー会議の水準と進行方法には改善点が多いが、リーダー会議が始まったときにもっていた不安は多くの部分解消され、いろいろな事業の論議の段階で政策生産と進行の中心機構として定着してきている。給与アップや学習休暇の決定過程での討論は中心を定着させていく機会として最適だったし、方向性に対する同意と共に、相違の違いを確認する1年だった。
リーダー会議はライフスタジオの方向性に対する政策生産と執行力をもつ
組織として成長しており、2ヶ月の学習休暇がその中心にある。
このような背景がなかったならば1年に2ヶ月以上を自己啓発の時間として学習休暇に対する同意を簡単に得ることができなかっただろう。すなわち、単純にお金があまったからということではなく、人に対して少し投資してみようという考えよりは、これがまさに「生活」にならなければならないという過程を信じることができるようになったのだ。
-. いくつかの原則
学習休暇という事業がどのように進行され、何を得て失うのかに対しては、実際誰もわからない。いくつか推測することはできても、正確な予想は簡単ではない。その理由はその結果が目に見えるものではない可能性が高いからである。私たちも分からないある瞬間に、そのようになっていたというように、ゆっくりと、そして少しずつその芽を開いていくだろう。
しかし、学習休暇の運営のためには私たち全てが約束するいくつかの原則が必要だ。社長とスタッフ、スタッフとスタッフの間にも学習休暇を受け止める考えや方向は少しずつ、違う。違いから起こる違いはどこにでも存在する。そして問題の発達は無責任な行動よりも、お互いが考える方向と水準の違いから生じる。
まず、学習休暇の期間に何をし、何をしなかったのかを聞かない。
すべての学習休暇に関連したことは、個々人の自律に任せて進行する。
もし毎日家で寝ていたとしても、不利益を与えることはしない。
第二に、学習休暇の計画やその後の進行報告の義務は無い。
もちろん、計画や報告は勧奨事項であり、結果に対して褒賞することはできる。
しかし、その過程は義務事項ではないので、何かをしなかったといって不利益を受けることは無い。
第三に、学習休暇はライフスタジオのスタッフたちのための福利厚生の一部と規定。
学習休暇を、未来のための戦略的投資と規定してはならない。
学習休暇は集中と習慣のための事業である。
すなわち、学習休暇を通して人が大きな変化をなし、何かを見せてくれるのではなく
その準備過程として理解をしなければならない。
未来の戦略的投資は図書館勤務が成熟期となるならば
自然に得られる何かになるだろう。
このように学習休暇に対する自立の原則を決める理由は、事実誰も経験したことの無いことだからである。適切ではない原則の設定は活動の制約をもたらし、お互いの不振につながっていく。リーダーたちは投資した分だけ所得が得られるのではないかと心配する。しかし問題はどの程度の所得なのかに対しては、お互いに考えが違う。だから、話をしてみると「じゃあリーダーたちが先に行ってサンプルを見せてください」という結論になる。
2011年は何も聞かず、要求もしないという原則とともに低い水準程度を期待しようということだ。
-.学習休暇の内容
今まで1年2ヶ月以上の有給自己啓発活動に対する意見を総合してみると
-. 図書館での読書と感想文の繰り返し
-. ギャラリーで持続的な討論と顧客との出会い
-. 海外旅行を通した経験
-. 韓国スタジオへの循環勤務を通した新しい条件の経験
-. 韓国デザイン室への循環勤務を通したデザイン能力培養
-. 特別な活動なしに体力保管及び余暇活動
-. 田舎の実家への帰省
各自が自らを最もよく理解しており、成人であれば自分がすることに対する責任を持つ。
そして学習休暇の実行に先立ち、いくつかの提案をしたい。
第一に
それでも必ずやってほしいと思われることなのであれば、読書を通した自己浄化及び成長の原理を会得することだ。学習休暇という名前の前に図書館勤務といっていたことも、図書館に代表される読書の重要性のためだ。そして2年に2回なのも、周期的に自分を見直しながら変化の原理を知るためだ。
第二に
ライフスクールで運営する人文学教室で選定した本を推薦する。一緒に読み、支店で一緒に話をすることもいい方法になるからだ。
第三に
情報を共有することを願う。学習休暇を自ら計画し、試行した後評価する全過程をいろんな人と共有し、お互いの発展を見守りながら激励し、本気の忠告がなされていくのであれば自分の人生の大転換を共にするだろう。一人の10歩よりも10人の1歩がもっと重要だという真理を知ることになるだろう。
第四に
学習休暇を無条件頭の中で何かを入れなくては・・・・と理解する人もいるが、必ずしもそれだけではない。知識の量よりは知識がどのように自分に戻ってくるのかがより重要だ。この言葉は
2011年の学習休暇は自分を見守る時間にしなければいけないということだ。今まで私たちは量が多い少ないよりも自分に入っていくことに対する判断と思惟過程に対して適応することができずにいた。だから、本の件数や旅行の期間よりは自分をゆっくりと冷静に、客観的に見つめなおすことに集中するべきだ。このために図書館で旅行にいって新しいことを頭の中に入れる時間だけ考えることを薦める。
C. ライフギャラリー
-. 背景
ライフギャラリーを作った背景は3つだ。
第一に、「私たちが顧客にできることは何だろう?」という質問から、ライフギャラリーの構想が始まった。
撮影をしてCDを販売し、金額を受け取って顧客との関係はそれ以上拡大することはない。顧客
に感謝の気持ちを表したり、イベントを開催するそのような問題ではないのだ。
関係の持続のために私達の悩みはいつでもその後の順位に流されていく。顧客に受けた贈り物以上に、私たちは顧客と共に価値を作るという義務を持っている。時間が過ぎると共に顧客に返していかなければならないという負債感を持つようになった。関係の持続と価値の創造は私たちがやろうとする「日本の写真文化を変え、人が変化発展する理想」に少し近づくことができる。だから関係の持続と価値創造のための新しい環境の空間を考えるにいたったし、それがギャラリー
の形態に発展した。
第二に、顧客の要求にだけ対応する写真館、それ以上を夢見る。
顧客が予約電話をするときだけ関係を形成するということ自体が写真館の限界だ。結局経済的な関係の構造の中で私達の活動が規定されている。ライフスタジオを一度でも経験した人はいつでも自由にたずねてもらい、思い出を記録して人生の小さな余裕になる空間を提供する。それならば同じ目線で顧客と心から出会う空間をつくり、顧客と私たちが共に写真と関係の再創造がなされていく。
第三に、蓄積されていく人生をすごして生きたいという欲望だ。
一度で断絶されてしまう世の中で、小さな希望を発見したい。よくこなすこと以上に、長く続けることが重要だ。強い生命力は、それだけで光を放つ。一つ二つと重なっていく落ち葉が誠実な果実を守るように、地奇跡と生産の条件をつくっていきたい。顧客だけの美術館は時間がたてばたつほど、その価値が増していく。夢と希望が保管され、蓄積されていきながらそこで愛という生命体が出てくる姿を想像してみよう。これが私たちが写真を媒体にしてこの社会を生きていく理由なのではないのだろうか?
これらは写真を通して少しいい社会をつくろうという社会的企業とも繋がる。
ライフギャラリーは一種の顧客貢献プログラムだ。私たちが最も警戒すべきことは自己満足的な事業として戦略をたて、外部に実績をのこすことだけになってしまってはいけないということだ。多くの会社で社会貢献をすると意欲的に推進をし、広告を通して会社のイメージ改善の効果を期待する。企業環境が悪くなると一番最初に構造調整の対象になり、何の理由もなく、廃止してしまう状況はよくあることだ。
社会でうけた利益を社会に還元するという趣旨のこのような社会貢献事業は会社とは大きく関連が無い場合が多い。しかしライフギャラリーはライフスタジオが持っているアイデンティティと存在目的が違う形態として実現される理想的な事業だと考える。利益の還元という正確はあるが、組織のより高い理想のためのスタジオの延長線だと考える。自己満足的な事業にならないあめにも、口論されるライフギャラリーの設立背景と違わない事業展開であり、いつでもその線の範囲を認識することだ。ライフスタジオの現場の延長線でより高い価値の生産という大儀を忘れず、推進しなければならない。
-. ポイント
ギャラリーは顧客に受けたものを還元するという単純な意味合い以上だ。日本の写真文化を変えるということは価値を新しく作りだすということであり、スタッフたちに目的意識的な活動を要求される。ギャラリー運営を通して作り上げるべき価値に対する明確な理解と方向が必要だ。
第一に、
世の中に一つだけしかない自分だけのギャラリー。
顧客の思い出と愛が一定空間に展示されており、いつでも確認することのできる場所。
自分だけの宝の倉庫になるという神秘的で秘密的な空間。
第二に、
都市の忙しい生活から少し抜け出して大自然の喜びを満喫できる場所。
特に子供たちに木、土、水、空を経験させることのできる場所。
第三に、
ディズニーランドのように、施設を利用するという概念を脱皮。
それ自体がもたらしてくれる、新しい経験と安定。
ギャラリーに対する考えは個人的な経験が少し適用している。いろんな店舗にいってそのサービスの利用をしながら「利用されている」という気分になる。主体は売り場であり、私はそれらのために消費の対象になっているという印象をもちながら、何か不条理な気持ちになり、少しずつお金を支払い受けるサービスに対する適応力が落ちる。安心して自然体でいられて持続的に思い出になっていく、そんな空間を渇望している。誰を対象化するのでもない、そんな強迫観念がいつもある。スタジオを運営しながらも経済関係が介入する瞬間その強迫観念は消えることがない。強度の違いはあっても、それがなくなることは無いということを知っているために、いつも新しい形態を渇望する。ギャラリーに対する話が最初に出てきたとき、すぐにこれだと考え、1年以上の時間を経て、オープンにいたることになる。ライフギャラリーは内部外部顧客に対してその強迫観念が消滅する空間になることを願う。
-. 空間構成
ギャラリーという顧客美術館、自然の中のスタジオ、カフェ、公園、宿泊施設などで構成される。
顧客美術館
顧客がギャラリーを訪問したらまず全体的な説明と共にこの間の撮影データを準備する。顧客は自分たちが撮影されたデータの中から一枚の写真を選択する。このためにはライフギャラリーに全支店のデータがハードに保存されるシステムをつくらなければならない。選択された写真を2枚出力して一枚は顧客にプレゼントし、もう一枚は顧客が直接その場所を選び、展示する。このときに写真をスクラップしたりフレームを直接製作することもできる。またタイムカプセルをつくっていつでももう一度訪問してそのカプセルを空け、見ることができるイベントも準備する。
顧客美術館は本館1階にある3つの空間を使用することを計画している。各部屋はテーマをもったインテリアをし、多様性を追求して顧客の選択権を広げる。もちろん開始はこの場所ではあるが、展示空間はギャラリー全体に拡大していくだろう。
自然の中のスタジオ
ライフギャラリーの最も大きな長所は私たちだけの空間という点だ。大自然の中にあり、近所がいない関係から野外で心おきなく撮影が可能であり構造変更も自由だ。
ライフスタジオ相模湖店は売り上げと利益の問題で自由な構造で運営される予定だ。毎月約20-30の撮影だけをこなし、ホームページのシーズンスケジュールを活用してメールのみで予約を受ける。そしてカメラマンは各支店で図書館勤務から来たカメラマンたちでまわしていきながら新しい撮影に対する意思をもつ場合にのみ、予約を受ける。1日に2回以上の撮影は受けず、顧客とカメラマン、そして自然の状態を最大限考慮する。
スタジオ室内空間は別館2階につくり、インテリアは単純にする。面、線、点、ストロボ、自然光、そして緑の自然を主な素材にして使用し、人工的な構造や人為的な配置に注意する。
相模湖店はライフスタジオのカメラマンにとって新しい条件を提示するだろう。広い空間を利用した撮影、野外の太陽光適用、余裕をもった撮影時間と顧客との新しい関係設定、直接カウンセリング、撮影、モニター、デザイン確認の全てを担当するシステムを経験させる。そして相模湖店はカメラマンたちの発想の転換を大きな目的にして運営され、その後のライフスタジオの新しいシステムを生産していく。
カフェ
別館1階は現在そのままで自然にできたカフェの形態になっており、調和をさせる構造になっている。むしろ私たちが何かをしたらその雰囲気を壊してしまうほどだ。カフェは商業的なカフェではなく、顧客が気軽にお茶を飲み、持ってきた食事を取る場所に活用する。
このカフェは顧客のアジト的な役割にならなければならない。自分の友達とこの地域を通って一緒にコーヒーを飲みに自然に立ち寄れるような空間の提供だ。
カフェはコーヒーの味からこだわる。無料だから適当にということではない。顧客が家に帰ってもギャラリーの思い出をそのコーヒーの味からもう一度思い出せるようなカフェ。重要なポイントだ。
公園
アイディアが必要だ。顧客が野外で散歩をしたりいろいろな意味で楽しめる空間の素材を開発しなければならい。今まで出てきたアイディアでは
-. タイムカプセルをつくり、顧客が望む空間に配置して設置美術
-. 夏には韓国のパッピンス、冬は焼き芋を直接つくる
-. 絵を描く空間をつくってタイムカプセルと連結
-. ギャラリー全体を対象にいろいろな形態の道を散歩道につくる
-. 大型の象徴物を顧客と共に少しずつ作り上げていく
-. ツリーハウスをつくって遊び場にする
-. ポラロイドカメラで撮影
-. 本館1階前の庭に砂場を設置
-. 手紙を書く空間をつくって家族と愛する人のためのイベント
野外と共に5つの部屋の発揚のためのアイディアが必要だ。私たちが想像した分だけ実現していく空間なため、ライフスタジオの全スタッフの驚くようなアイディアに期待する。
-. 運営及び予算
仕事をするスタッフ
ライフギャラリーの責任を持つマネージャーは金逸鎬リーダーに決定した。そしてカフェとスタジオ担当がそれぞれの部門で一人ずつ必要だ。この2つの部分は持続的に管理が必要なため、固定の人員が担当しなければならない。だから、本社スタッフの矢川がカフェを、趙がスタジオを担当することとして現在意見の調整をしている。この2人は中央線周辺に引越しをする予定。そして学習休暇をギャラリーで過ごす1名以上が予想される。したがって常駐スタッフは最小で3名から4名としてスタートする。ライフギャラリーで仕事をする最初のスタッフたちは、ギャラリーの事業方向を作っていくことになるため、とても重要な役割をもっており、特に学習と討論の文化を創っていくことが何よりも特別だ。学習休暇という高費用事業に効果的な運営をするためにはギャラリーで学習と討論、そして顧客と共にする楽しい時間をつくらなければならない。
運営に強力な解説
顧客が駐車をして本館2階の個室に入ってきながら、場所の案内をして簡単な顧客情報を確認したあと、ギャラリーの運営方法に対する説明をする。もちろん、ギャラリー全体が細かく説明された案内本がつくられなければならず、それを見ながら短く、的確に説明をする。顧客の写真を一つのフォルダーに保存した後、顧客が写真を選ぶことができるように時間をあげる。そのためには2階の個室にモニターをする空間とフレームをつくる空間が配置されなければならない。顧客が写真を選んだら作業質で出力作業をし、出力した写真を顧客に渡しながら、写真を飾るための方法と展示場所などを説明する。
そのときから顧客の自由で写真の展示が始まる。写真展示をして野外で遊ぶ空間で約30分程度自然と共に家族の楽しい時間を過ごす。絵を描いたりタイムカプセルに入れる主題を選定する。または焼き芋を焼いたり、畑にいって子供たちに野菜の名前とその場所のにおいを覚えさせることもできる。そして足は自然にカフェに向くことになり、そのどこでも感じることのできない感覚をカフェで感じる・・・・・
でもここまでは大体予想ができるが、顧客が家に帰る瞬間に形式をどのようにしていくのかによって、ギャラリー全体の水準が決定されていく。単純に「また今度」といって別れてしまっては、なんとなく完結しない。この後までの連結を模索する順序とライフスタジオだけの方法が必要だ。
オープン費用
不動産 2.000.000 保証金、家賃
インテリア 4.000.000 木材、ペンキ、電気工事、蛍光灯、アクリル
小物 2.000.000 各種小物、カフェ及び個室家具
衣装 1.000.000
カメラ 1.000.000 カメラ2台、レンズ3台、ストロボ
コンピューター 1.000.000 コンピューター5台、ハードディスク10個、写真出力用プリンタ、複合機
人件費 1.000.000 3ヶ月 3名
エアコン 1.00.000 エアコン 2台、エアコン設置電気工事
予備費 2.000.000
合計 15.000.000
運営収入及び支出
収入 |
支出 |
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内訳 |
金額 |
内訳 |
金額 |
スタジオ売り上げ 1.000.000 支店別分担金 1.500.000 |
人件費 1.100.000 家賃 200.000 光熱費 200.000 消耗品 200.000 交通費 100.000 オープン費用積み立て 200.000 デザイン 200.000 税金 100.000 その他 200.000 |
||
合計収入 2.500.000 |
合計支出 2.500.000 |
||
合計収益 0 |
|||
各支店の運営分担金は毎月約1,500,000程度になる予定だ。13店舗が平均350万円程度の売り上げだった場合、売り上げの3%の分担金が適切な水準だ。これは各支店が3%の売り上げを顧客に再び還元することを意味している。
そして名古屋、名古屋日進、水戸の場合、顧客の利用確率が相対的に少ない関係から分担金を1%下げて東京の支店は4%を負担する形になる。
これらはリーダー会議での案件として処理する。
スタジオ相模湖店の運営マニュアルは既存のものと同じように運営する。ただ、他の支店に比べ撮影時間(1タイム4時間)と野外での撮影が多いということが特徴だ。しかし、撮影スケジュールは私達の任意によって決定し、シーズンスケジュールを利用するためそんなに問題にはならないと予想している。
支出部分はまだ未定なので約3ヶ月程度運営した後、その結果によってスタジオの売り上げと各支店の分担金の調整を論議する。
D. ライフスクール
-. 背景
教育プログラムが開始され、約1年間程度が過ぎてみて、一つのパターンが見えた。討論の主題に対し深く入っていけば行くほど、沒入を邪魔する物体が少しずつ姿をあらわす。そのときそのときで表現は違うが、内容は似ている。整理してみると
“自分自身と本当の意味で向き合ったことがない。だから変化発展のための自分のためのプログラムが形成されず、そんなプログラムがあるということも知らずにいる。逃れようとしてもいつもぶつかってしまう自分の壁の前で、無気力な自分を発見する。”
初めて教育プログラムを開始したときにはまだ眠っていた自分だけの成長プログラムを探し出すことが目的だった。ライフスタジオがそのような条件を持ち合わせており、これからよりいい状態になるという自己暗示もあった。だから会社で先に始動をかけて、あとは自らが行く道を進んでいくと思っていた。
しかし討論をすればするほど、何かに引っかかる感覚を消すことができなかった。
中心なしに、周囲を徘徊する気分とでもいうのだろうか?
集中討論はスタッフたちが持っている難しさというものをより確認する場所になった。私というものに自分なりの哲学と方法をもっておらず、いつも問題が目の前にあって自分自身の問題だと断定することになる。おいしい料理がきても消化することができず、そのおいしい料理が反対に消化不良を起こして体に負担を与えていた。自分を常に見つめながら他の人との関係形成の過程で私と他者が同時に成長する過程を越えていくことは、始めるまえから立ちすくんでしまっていた。
何か根本的な方法を見出さなければいけないという義務感をもつようになった。
1ヶ月に一冊の本で低い水準の自らの乾燥を話す方法では解決することができなかった。そして自分自身の中にもう一度深く入っていくことが必要だ。その結末を一度経験することで自分自身に自由になることができる。また、関心の領域がとても個人的な部分にとどまっていた。
自分自身に向かっている主題を外部にむけなければならない。
ライフスタジオのスタッフの中の少なくはないスタッフが一ヶ月に多ければ3-4回の集まりと5-6回の討論をしている。自分の休みを多く削って、もっと知りたいしもっと解決した意思もっとよくしていくために、もがいている。形式と内容を同時に変える作業が必要であり、その悩みの延長線上にライフスクールがある。
-. 目標
信念のある人はいつでも魅力的だ。信念ということは現在自分が立っている内外的基盤を認めるということから出発する。小さな子供がお菓子を食べたい欲望とは違い、信念は自分を取り囲む様々な条件に対する原因と内的関連性に対する確信をもっている。そしてその確信に対する成長を予定している。現在が固定で不変なのではなく、よりいい方向性にすすまなければならない道を歩いている人だ。内部を見つめながら外部を志向していく情熱を信念だと理解している。
信念は知ることから来る。自分が知っていることに対する信頼と同時に
自分がその道を歩いていくことこそ、信念だ。
知ることなしには私を包んでいるいろいろな現象に対する説明ができず、
どのように行動したらいいのかがわからない。
知るということは私たちが大切に考える命題について、愛、幸福、信仰、関係、変化、情熱などに対しての説明をしつつ、私とこの世界を見つめる自分だけの扉をもつということを意味する。結局問題は無知から始まる側面が多い。知ることのできない状況の繰り返しは方法感覚をにぶらせ、与えられた仕事に忠実になる。それがいいことだと考えるためである。教育チームと集中討論に積極的に参加する人は分かると思う。分かるようで分からないことは、本の中にその内容が何度も討論の過程でその実態を表しているということを。しかし、その実態と出会うことが繰り返されながらより深く入ってその消化不良の原因を探したいのだと・・・・
ライフスクールの目標は知るということだ。
何を知るというのだろうか?
知るということを知ること、わからないことと知ることを明確に区分すること。
そして知ることの世界に方向を定めるということ。
-. 形式
ライフスクールは人文学教室と写真学教室で構成
学生募集締め切りは1月12日。
1月は全体会議の次の日に予備集合。
毎月2回、全体会議の次の日とその2週後の火曜日。
午前10時から2時まで人文学教室
午後3時から6時まで写真学教室
2-5月までを1学期、6月は休んで7-9月までを2学期、10月-12月はシーズン活動、1月は休暇
場所は主にギャラリーにて進め、必要にあわせて各支店を巡回する。
すべての参加者は人文学と写真学を同時に進行する。ライフスタジオは写真を基盤にしている。写真を知ることなしにライフスタジオでの活動は調和をもたない。そして知らないでいると写真もよくなることは無い。写真を知り見える分だけ、写真は作られていく。技術的な部分だけを取得しても調和することができない。
学費は1人あたり¥100.000
学費を受け取る理由は単純だ。支出が発生するため、これに見合った学費を受け取るだけだ。学費を受け取るというと驚くが、その驚きに対し私もまた驚く。ライフスクールは全面的に個人のためのものであり、その方向が会社のためになるものだ。各個人が自分の必要に応じてライフスクールに通うのであるため、自費を負担するのは当然のことだ。マクドナルドで100円のチーズバーガーをただでもらったことがあるか?そのくらい当然のことに驚いているのだから、驚くほか無い。会社から受け取ることになれているためであり、自分が会社に何かをしていると考えるためである。伸ばしてわける人生よりも、与えて受ける人生に慣れている。だから各支店における金銭的な支援をうけるのではなく、学費を支払うことを原則とする。支給方法は自由。
人数制限はないが、10名以内にすることが効果的だと考える。ライフスクールは少数制で各個人と相互が深くはいって影響を与えていくことが重要だ。心から望む人と準備された人が一定のモデルをつくらなければならない。
ライフスクールを始めて途中で放棄する場合もあるだろう。それは放棄を選択したその人の自由だ。それ自体で限界を設定することに対して公開的に口論をするということ自体が問題だ。他の選択を尊重して私たちが行くべき道をもう一度振り返るという知恵が必要だ。
-. 内容
朝10時にあったら最も最初に自分の計画書を確認する。現在やっている2010年の評価、何をしようとするのか?2011年の計画を見ながら、自分の中に自ら入っていく時間になるだろう。そして単語を提示して質問をする。情熱、愛、幸福、忍耐、固定概念、自我、社会、政治、存在などの単語を自ら整理する。そしてすぐに人文学教室と写真学教室に続く。
人文学教室
1ヶ月間を基準にして1回は文学、2回は哲学を中心にする。だいたい1ヶ月に1.5件程度の読書の量が提示され、約5ページ以上の感想文、報告書、筆記の順番で文章を書くことになるだろう。運営は講義の方法ではなく討論と作文、そして自ら考えた。講義をする教授がいないことが一つの理由であり、自ら問題を解決する方法を学ぶことこそ、主な目標だからだね。
月 |
1次 (全体会議の次の日) |
2次 (1次の2週後の火曜日) |
2-5月 |
喪失の時代 心 *** |
回想の世界 |
6月 |
休暇 |
|
7-9月 |
*** *** *** |
所有なのか、存在なのか 歴史とは何か? 考えの誕生 |
10-12月 |
シーズン活動 (推薦図書) |
|
1月 |
休暇( 2012年の準備) |
@ 本は予定であり1月の予備集合で発表
写真学教室
写真学教室は光、ポーズ、フレーミングの3つを中心に学習し討論する。
写真学は主に各自の写真がどこまで来ているのかに対する確認の時間になるだろう。新しい技術の教育は能力も無いが言っても分からない性質のものだからである。一定の方向提示はあっても、自ら問題を設定して解決し、また次の段階を探していく過程である。
E. 最後に
ライフギャラリーにいると自然の変化を簡単に感じることができる。雨が降ったり天気のいい日には贈り物が届いたりする。目で確認することもできるが、耳で聞くこともある。そして体全体で感じることもある。このような全てを集めてみると、生きているという適切な表現になるのだろう。
相模プロジェクトは生きているという感覚を感じるための事業なのだと思う。生きようとする人間の意志と生きているという持続的な交流が人間を健康にする原動力だ。
ライフスタジオが分岐点に立ち、これからもう一度新しい道を開拓しながら、最初に出発した場所に向かっている。私たちがもう一度向かうその出発点は昔の荒地ではないだろう。この事業に対する期待と憂慮はそれを実行する人だけが持ちえる特権だ。その特権をもった私たちに対する気持ちそのものを忘れることなく、2011年相模プロジェクトを中心に力強く、歩き出そう。
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