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幸福論-Bertrand Russell

投稿日:2010/12/21

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この本の最後にこんな文章がある。

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幸せな人は自分が宇宙を構成している一員であることを自覚し、宇宙が与える美しい光景と、喜びを味わう。幸せな人は自分の後世に生まれてくる人々と自分が、かけはなれた存在だと考えない為、死を考える時もつらくならない。心の奥深くにある本能を退け、川の水のように流れる人生に体を預けた時、私たちは一番の幸せを発見をすることができる。

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幸せという言葉は、何故か勉強したり、調査して知って行く知識の一つの分野ではないような気がしていた。生きていると、自然と現れる香りのようであり、正しく一生懸命生きると、よりその香りが強くなる無形の秩序であると、あまり関心を置かなかった。

また、幸せというと、特別に要求してはいけず、それを論ずるという事も少し贅沢であると考えた。

20歳前後に愛についての本を読みながら、人々は何故、愛について具体的に話したりしないのかと悩んだときがあった。周りの人に答えにくいような質問をし、私の考えを常に話していた記憶がある。感覚で愛を感知した後の、人為的な愛の約束は鼻水を垂らす子供がやることだと信じていた。成人たちの愛は目的意識を持って、一緒に上昇するために、お互いが約束することだと考えた。初恋との離別があり、何年の時間が過ぎながら、理性だけで愛の全てを説明することはできないと知り、今まで贖罪しているのかもしれない。

幸福に関する文章を読みながら、幸福のための、具体的な理論と、行動はやはり合わない。幸せになるために行う仁義的な努力は結局砂の上にお城を作ることと大きく変わらない。愛を感じるために、相手を選び、共にする時間を過ごすこととは感じることが違う。つまり、幸せは目標にはならないが、わたし達の人生を支える栄養分である。そして、幸福は勝ち取る対象ではない、わたし達の人生の結果物である。しかし一方ではわたし達の考えと言葉、そして行動は結果的に幸福と連結されている。そのため、幸福に対する自分なりの正義が必要であり、その正義の継続的な修正もわたし達の意識的な活動の領域から扱う。

この本は、著者が幸福を征服することに対しての具体的な陳述が大部分を占めて述べられている。

幸福があなたのそばを離れた理由として、提示されているのは、自分の中に閉じ込められてあり、分けもなく不幸だという考えがおき、競争の哲学に汚染されている世の中について話、倦怠、心配、嫉妬、罪悪感、憎悪、世の中との不条理なことを述べられている。全ての原因の解決に多くの時間を費やしている。

そして、幸福になるための道として、情熱、愛、良き父母、仕事、関心、努力と体面の均衡を提示している。

全体的に見ると、不動産のおじいさんが自分の過ぎ去ったつまらない人生を話しているように感じる。あまり、おもしろくも、教訓を得れるようにも思わず、感嘆する部分もない。感性に訴えるわけでもなく、理論に正確に合うようなおもしろさもない、誰でもお酒の場でつらい思いをしている友達に話すようなそんな話だ。

でも、その中で、わたしの目をひいた題目があった。

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外部の環境が不幸でない限り、情熱と、関心を自分の内部ではなく、外の世界に出していくだけでも、誰もが幸福を得ることができる。そのため、私達は教育を通じて、そして、自身を世界に適用させるためのいろいろなことを通し、感情的に自身に没頭することを避け、常に自分にだけ集中することを防ぐように、愛情の対象と関心事を探すために努力しなければならない。

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異常があるということを自覚した瞬間から、関心は自分自身に向かう。場合によっては、絶望の最後を見ることになり、一種の知恵を得てその場を脱出する。そんな過程が一種のワクチン注射となり、自分自身から外部に関心が移動し、自分と外部の均衡を探すようになる。様々な成長小説の大くはこのような内容であり、必ず通過しなければならず、その過程で人間の存在に対する自分なりの哲学を持つようになる。

しかし、各自人生は違い、各自のワクチン注射も違い、各自の結果も違う。このように各自の多くの違うケースの数くらい、傷つけられた自我と成長する自我のための病院と学校が存在する。傷ができたその瞬間に自発的な治療と回復の過程がなかった人たちには、不幸の様々なウイルスが体の中に潜伏するようになる。このようなウイルスをなくさない限り、ずっと自分に関心を向けていく患者が多い。私も例外ではないだろう。。。

外部世界との関心と行動は、このようなウイルスの生存条件を弱くし、なくすことができる。それを2011年ライフスタジオで作ろうと思う。

違う言葉で言うと、2011年を、不幸を呼び起こす悪性ウイルスを退治する年というか?

本能を追い払い川の水のように、流れる人生に、安心して体を任せられる人生を見たい。本能を追い払うということは、自由意志と関係がある。そして、川の水のように流れる人生は、何人かが一緒に関係を作り、私と誰かが同時に存在を確認し、良い人生を維持するための栄養分をお互い分けることだ。自由意志に基づいて、何人かで一緒にお互いの道しるべになる人生がつまり、幸せな人生ではないだろうか?

和夏子と話していると、同じ主題が繰り返される。回りの人達は自分のことを有能な人だと認めてくれているのに、自分はその理由がわからないという。自分はいつも自分の中に閉じこもっている弱い人間でしかない。。。彼女にはじめて会い仕事をしながら、お前の中から早く出てこいと、言ったことがある。そして、今までもその言葉しか言えなかった。早く自分の中から脱出しろ。。。

この本を読みながらずっと和夏子の顔が思い浮かんだ。彼女は不幸ではないが、不幸のウイルスが体に潜伏しているということ。少し深く討論をしたり、体と心が弱くなった時、いつでも顔を上げている和夏子のウイルス退治のために2011年、一生懸命防疫作業をしなければ。

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