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インターネットで偶然に

投稿日:2010/12/16

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学生!! 新鮮な夢を広げろ-という講演を聞くことになりました。素朴な言葉ではあるけれど、言葉と行動の一致からくる強い力と信頼感を発見しました。

講師は、韓国で尊敬する経営者はだれかというアンケートを行うと、必ず12位に名前が上がる、アンチョルス議長。

彼の生きてきた人生は喪失と挑戦そのものだということができます。20代で医科大学の教授と博士学位を取得し、世界で最初にコンピュータウイルスワクチンプログラムを開発し、無料で提供し世の中を驚きに包んだ人です。医師生活を整理しワクチンプログラム会社を設立し、短期間のうちに韓国を代表するIT企業として成長しました。そして、もう一度40代でアメリカに留学しMBAを通過し、現在は韓国のKAIST大学(韓国の工学系の大学で1番よい大学)で教授として活動をしています。

 

一度読んでみてください。

 

みなさんこんにちは。少し前に紹介を受けましたアンチョルスです。大学生の皆さんお会いできて光栄です。

この地で専門家として生活を送りながら、みなさんが必ず持たなければいけない5つの物。資質に対してお話します。

医大を卒業し、大部分の人は患者さんを診る方へ進みますが、私は医学研究の方に関心があり、もし治療方法を明らかにしたらより多くの人達を助けることができると考えました。そして、性格もそうでした。医者家系の長男として医科大学に入りましたが、コンピュータ、電子部品などにも関心が多く、基礎医学を専攻しながら私が勉強した分野は電気生理学でした。

人の体は科学要素によって成り立っています。そのため、ほとんどの医学実験は、科学を基盤としたものの方が多いのですが、格別なものとして一つ、物理に近い部分のものがありますが、それが電子生理学です。簡単に説明すると、人が体を動かす時、考える時、心臓が動く時は全て電気のような現象が発生されています。電気が発生し、人は考えるようになり、自然に心臓が動くようになるのです。小さな電気信号が、神経を通じて筋肉に伝達していくということです。

医大を卒業し、電気学を勉強しなければならなかったのですが、最初に実験室に入った時、一人、実験室で動物実験をすることになると、動物の組織を抽出しそれを電極に差し込みます。その電極をコンピューターに連結したり、オシロスコープに連結します。始めはよく分からないので、先輩達が準備作業をしているときに、偶然細胞に触れてしまいました。そうすると、いきなり大きい信号が画面に見えたのです。今考えてみると、人には静電気が多いのです。そう考えると、とても細かい信号も感知しする実験機械に触れると、大きい信号が現れるのがわかりますが、その時は知りませんでした。むしろ、どんな考えをしたかというと、立派な科学者を見てみると、失敗から大きな発見をしますよね。()

私は、初日から大きい発見をしたんだと先輩の所に行き、「失敗して手が触れてしまったのですが、大きな発見をしたような気がします。」と言うと、先輩は始め困惑したような表情で私を見ましたが、怒りから軽蔑の表情へと変わっていきました。そして言った言葉は「おい、それ常識だぞ」。それ以降はこちらを見ることもせず、恥ずかしくなり、実験室へ戻りました。

心に傷もおいながら、23カ月程電気に対する勉強をしました。ある程度勉強をしていくと、あの時先輩が言った言葉を理解することができました。本当に常識的なことだったのです。私がそんな常識的なことさえも知らなかったことが本当に恥ずかしかったのです。

私がこの話をする理由は常識に対する事です。常識は英語でcommon senceと言います。常識というと全ての人が知っていることでしょう?現代を生きている人ならば全ての人が共通的に知っていることでしょう。本当に知らなければいけない事でしょう。

しかし、現代社会が複雑になってきながら常識が違うものになってきたのです。各専門分野ごとに常識が違いますが、一つの分野の常識が、違う他の分野の常識と重ならないのです。つまり、エンジニアの常識と経営者の常識が重なることはないのです。一つのプロジェクトを進行するにおいて、私は常識だと思っていることを、あの人は知らないということが信じられないのです。これは経営大学を卒業しなくても、現代社会を生きる新聞を読む人であるならば皆が知っていることなのに何で知らないというのか?嘘をついてるのではないかと誤解をする場合が会社で多くありました。

しかし、ここで言っているのは、常識という言葉の意味が全ての人が知っている事ということなので、現代にはこれ以上通用しないにも関わらず誤解をしているのです。

だから今重要なのは人により常識の範囲が違う。自分にとっては常識だけれど、他の人には常識ではないかもしれない。または、他の人には常識だけれど、私の知らない領域もある。私が知らない常識の領域があるという心持が重要なのです。

皆さんが社会にでて専門家として活動する時、必ず必須的に必要な最初の部分が、他の分野に対する包容力だといえるでしょう。

トヨタ、一番良い自動車会社といえますが、そこでT字型人材がいます。

Tから下に伸びる縦の棒は、一つの分野に対する深い専門性を意味しており、Tの横の棒は他の分野に対する常識と包容力です。なので、トヨタで願う人材像、またはトヨタで認めるプロと呼ばれる人をT字型人材と表現をします。一つの分野だけを知っているのではなく、他の分野の常識と包容力が必要なのです。包容力というと、自分が知らないかもしれないことに対する門を開ける事です。自分の常識で理解できないからといって、けなしたり、誤解したり受け入れない姿勢をとるよりも、自分でもしらないことはあるんだということを認め、受け入れる姿勢を意味します。

昔レオナルドダヴィンチの時代には、一人が医学者にもなれ、エンジニアにもなれ、芸術家にもなれましたが、現代の時代では、一人ができることはほとんどないとみなければいけません。

むしろ、一人ではできない意味あることを、いろんな人が集まり一緒に成すということが現代社会なのです。それこそが現代社会で人々が集まり働く根本的な理由でもあります。では、人ごとに常識の幅は違い、他の分野に対する常識と包容力が必要なのです。

 

次に、話すのはコミュニケーションです。

たとえば、テストをし、皆1点ずつマイナスされました。皆知っていたのに解答用紙で1点ずつマイナスされ0点をもらいました。大学の入試試験で、皆知っていたから100点を取れたのにと弁明することはできますが、何の意味もありません。他の人は理解することができても認められはしません。

専門家も同じだと思います。いくら実力があっても一人で働く時代には関係なかったことが、現代社会のような複雑な時代では、他の分野の専門家に自分の知識をちゃんと伝えていかないといけないのです。一人だけでなく、何人もの専門家達が集まり、一人では難しいことを一緒に成していく社会ですので。現代社会専門家実力というものを簡単な数式で説明することができます。専門家の実力は専門知識×コミュニケーション能力です。だから、世界水準の専門家的な知識を持っている人であっても、その人のコミュニケーション能力が0点ならば、自分だけ知っていて、他の人を理解させることができなければ、外部から受けるその人の実力は0点です。絶対に世界水準になれないということなのです。

だから、私がANH研究所がAで始まるためA型人材というものを作ってみました。T字型人材はそれ自体は良いのですが、個人中心のような気がします。その個人が持っている専門知識と他の分野に対する常識の幅なのです。それは個人に限ったことなのです。しかし現代社会は一人で働けないので、そのようなT字型人材だけでは足りず、他の人とのコミュニケーション能力が必要なのです。Aを見るとある意味では、人という漢字でお互い支えあう架け橋の役割を担う棒のようにも見えます。だから、このようなコミュニケーションが必要だという意味になるし、またもう一方ではAが三角形なので、その3つの要素、一つの分野に対する専門性、他の分野に対する常識と包容力、そして、3つ目にコミュニケーション能力、この3つを兼ね備えた人材が現代社会に必要な人材であり専門家であると考えました。

21世紀現代社会を引っ張っていくキーワードを一つだけ選ぶとすると脱権威主義だといえるでしょう。脱権威主義は限られた組織や地位にある人達が、権力と情報を独占していたならば、今は力と情報が一般大衆にあるのではないでしょうか。そのようなものがある一つだけではなく、政治、経済、社会、文化、技術に至るまで、現代社会を変えていく大きな力だというのです。技術は例えると、ウェブ2.0という概念自体が以前までは、一部の人達が内容を独占し自分に合うように加工したものを、一般大衆に発信することが20世紀の方式だったのです。しかし、21世紀を超えてきながらそのような情報と権利が一般大衆にあり、一般大衆が積極的に参加し自らコンテンツを作り共有することがウェブ2.0概念になったのです。なので、現代社会で技術発展というものが、社会の流れとかけ離れたものではなく、それ自体が社会変化を反映し、むしろそれを強化する方へ技術が発展されます。そのような技術だけが社会で受け入れられるのです。だから、それらが加速化されるのです。そして21世紀は脱権利主義社会でありイデオロギーよりは個人の価値がより重要なのです。このような時代に、本当に組織のリーダー達の力が大衆にあり、また、リーダーシップは自分が発揮し付与するのではなく、大衆が彼らに付与するため、このようなパラダイムが重要なのです。なので、以前のパラダイムから逃れられない人は後退することになります。

 

3つ目に、少しお決まりの事ではありますが、肯定的な考え方です。ある本によると、アメリカの凶悪犯や、死刑囚だけを集めた収容所でインタビューを行ったそうです。そこに収監されている人たちがどのようにして、死刑囚になってしまったのか聞いてみると、驚くことに95%程度の人が自分のせいではなく、自分の置かれた環境や、他の人のせいでくしくも収監されたと考えていました。そして、万が一その環境に自分以外の人が置かれたとしてもその人は自分と同じ状況になっていただろうといいました。本心からそうっていたのです

他の例として、ボストンのコンサルティング会社で副社長であった女性の方が書いた本によると、5歳になる娘と一緒に住んでいました。初めてお店でチョコレートを買い家に帰りました。それまで一度も甘いものを買ってあげたことがなかったため、娘は休みなく食べ続けました。心配になり、食べるのを止めさせ、部屋で寝かしつけました。夜中に何か物音がするのでいってみると、小さな娘が大きなチョコレートを全て食べていたのです。女性はびっくりして、娘を怒りました。娘は「私に妹がいたら妹のせいにできたのにな。」

誰からそんなことを習い、こんなことをいったのでしょう?人のせいにすることは、人の本性のように思います。何かがうまくいかない時、他の人のせいにすることは本性ではないかと思うのです。子供達もそうですし、死刑囚にも同じことが言えると思います。問題は、人のせいにしてしまうと、自分の失敗を通して学べないということです。

私なりに見つけたのは「半分の責任」です。

社会生活を送りながら、大学の同級生を見ていると、成功した人もいれば、どんなに努力をしても成功できない人がいます。そんな時、その失敗する原因は自分にあり、そこで教訓を得ようとするのです。私が次にどのようにしたらこんな不幸と失敗を繰り返さないようになるのかと、自ら努力する人はだんだん失敗が減っていくでしょう。

反対に、そうでなく何か悪い状況になった時に、他の人やその環境のせいにし、不平不満だけを言う人は、また同じ失敗を繰り返すのです。それは、月日が過ぎるとだんだんと差がでてくるのです。

だから、半分の責任という言葉の意味とは、何かがうまくいかなかった時、他の人や環境のせいにするのは誰にでもできますが、そんな状況を繰り返さないためには、自らの努力と心持ちが必要であり、その内の半分は自分に責任があり、どうしたらこんな失敗を繰り返さないようになるのか、自ら考えるそんな習慣、生活態度が必要だと考えるようになります。

 

4つ目に伝えたいことは、これも当たり前のことですが、「絶えず勉強する姿勢」。

例えば、私は医大を卒業した後、実験室で研究をしていたと言いましたが、当時私が行っていた研究は国内で数えるくらいの人しか行っていない分野でした。そうなると、その分野を研究しようと決めた直後から、私の目標は国内ではなく世界的な評論雑誌に論文を載せることに目標を定めざるをえなかったのです。ある日の夜、勉強をした後寝床についたのですが、急にこんなことを考えました。私の競争相手に、一度も会ったことはないけれど、私と同じ時期に同じような実験室で働く、アメリカ、イギリス、ヨーロッパのいろんな国の人たちだったのです。私が寝ている時間は、向こうは朝。競争相手はその間に勉強していると考えると眠れなくなりました。()だから、その日また起きて、本を読んだりしたのです。ばかげたことに、相手が寝ている時は、私が勉強しているとその時は思い浮かばなかったんですね()

そして博士学位を取得したあと、軍医として軍隊にいきました。(韓国の徴兵制度で男性は2年ほど軍隊にいきます。)軍医の将校という地位から入ったのですが、一般兵とは違い3ヶ月の将校訓練を受けることになりました。訓練中は本を読むことができません。私は海軍でしたが、部隊へ行ってみると気持ちが楽になったのです。

軍に入る前は、あんなに早く動いていた地球がいきなりゆっくり回り始め、一生懸命働く人がだんだんいなくなり、賢い人もいなくなり、心が安心してくるのです。

でも、前に見えていた人たちがいなくなったわけではありません。先ほど例えたように私の目には見えなかったのです。世の中はみんな同じ速さで早く回っているのに、私だけそれに気づいてなかったのです。そんな経験をしながら、今この瞬間も競争相手、一生懸命働く人も存在し、それを悟るためには、絶えず勉強する方法しかないように思います。

私がMBAに行った時の勉強方法はいろいろありました。40代半ばでも楽に授業が聞ける聴講生として授業に参加したりする研究員達もいます。少し前に27年間勉強してきたといいましたが、楽な気持ちでやった勉強は、あとで残るものがないのです。聴講生は単位もとらないため、楽な気持ちで受けます。そうすると、席も後ろの方に座ったり、うたた寝してしまったりと、気持ちが緩んでしまい、頭に内容が残らないのです。宿題もないし、教授親切、聞いている時は理解していたと思っていたことが、少し時間がたつとまったく記憶に残っていません。反対に、ちゃんと単位申請をし、聞いている授業だと、教授も厳しくなり、宿題もたくさん与えられ、プロジェクトやテストもあります。そんなふうに大変な思いをして勉強したものは、後で振り返っても大体覚えています。だから私がもっている原則は NO PAIN, NO GAIN なのです。たぶん、天才達は苦労しなくても、たくさんのことを得ることができますが、自分はそうではないということを知っています。他の人は騙せても、自分は騙せません。だから勉強する時、楽だと思うと自分に危険の信号がくるのです。楽に勉強すると何も残らないことを知っているからです。だから学士過程へと進んだのです。無謀にも40代半ばに試験を受け面接をし、学士過程の2年の間後悔しながら。それでも、卒業し、思い返してみるととても多くのことを得られました。勉強するという意味は、世の中のほかの人たちがどれだけ一生懸命努力し、発展しているのかを、知っていきながら、同時に自分自身の実力を客観的に知ることができる機能なのです。私の場合、会社経営を10年以上していたため、多くのことを細部まで知っていると思っていました。しかし、2年間MBAに行きながらある部分はよく知っていて、ある部分は不足していたとわかり、経験だけでは埋められない部分があるということを知りました。

 

最後に5つ目として、伝えたい内容に関連した記事があるので読んでみようと思います。背景はこうです。以前イラク戦争が勃発したとき、アメリカの女性軍人が輸送部隊としてイラク南方に上陸し、北方にあるバグダッドへ向かいながら、一日一日をおくっていたのです。読んでみますね。

25日。記事を書いていると、部隊を総指揮する大将が訪ねてきて帰りたいかと聞いてきた。私はバグダッドまで行き、この戦争が終わる姿を見届けたいという気持ちと、このあたりで帰りたいと思う気持ちが半々だということを正直に告げた。大将は私の隣に座った。」

ここからは大将の話です。

1976年私が韓国の非武装地帯で勤務していたとき、北朝鮮軍の銃撃にあい、腕を負傷しました。8.18斧蛮行事件がおきる直前の出来事です。死にたくなくて、上官に南にいかせてほしいと伝えました。彼は私に、今ここで逃げたら、これからの人生ずっと逃げることしかしなくなる。いますぐでていけと、怒鳴りました。私の目には大きな涙が流れるしかなかったのです。あなたがここまでが、私の限界だと思って戻るのなら、今引いたその線が一生あなたの限界になるかもしれません。しかし、正しいと判断できることをしてください。手伝ってあげますという上官の言う言葉に、私は涙したのです。」

「私はバラックの外にでてもう一度吹き荒れる突風の前でひと時ボーっとたっていました。選択しないといけないからとても苦しい。」

記事を書いた人の気持ちはわかりません。でも11日バグダッドに近づいているため、ある意味だんだん死の確率も高くなってきます。万が一どこかで放棄するならば、その時点が自分の限界点になるのです。だからもし、同じような状況になった時、一度引いた線はなかなか変えられません。そうなると、自分はまた戻るしかないという風に考えてしまいます。そして、もう少し考えてみると、こんな人生が、軍隊の記者や限られた人にだけあるのではなく、ここにいる皆さんの人生にも当てはまるのだと思います。人生がこんなようなものなのに、自分の限界を作りながら生きているのかもしれません。だから、何かつらい状況にぶち当たった時、退く前にもう一度立ち止まり考えてもらいたいのです。本当に大変で退かざる終えない場合もあります。でも逆に、ただ自分の人生において、越えられない限界を作っているのではないか?一度そんな考えをしてみると、その瞬間の選択が変わってくるのではないかと思います。

先ほど私が学校を長い間通っていたと話しました。ある面ではとても非効率的に生きてきたのではないかと考えたことがありました。なぜなら、医大に入り医者を止めるまでの14年間、医学の勉強を一生懸命していたからです。そして、そこでもよくやっていました。20代で博士になれたのですから。なのに、その一生懸命やってきたことが、経営者になってみると、何一つ使い物にならないのです。そして、医学をしながら、平行して勉強してきたプログラミング方面、夜中の3時から6時まで起きて、7年の間コンピュータの勉強をし、残りは医学の分野を勉強しました。あんなに苦労して磨いた技術が、経営判断を下すときには全く役にたたないのです。もし、人の効果的な人生というものが、前にやっていたことや経験をできるだけ多くの部分に活用することならば、私の人生は完全に失敗作になります。本当に非効率的な人生をおくったと思っていますから。

しかし、必ずしもそうでもないともいえます。むしろ医大をでたからこそ私はここまでこれたのだとも思います。医大で培ってきた知識はなくなりましたが、その時に与えられた医学の勉強を一生懸命やったこと、週末ごとに誰かに言われることなくボランティア活動をしながら、社会からもらった一部をどうしたら返せるのか考えたり、夜中3時から6時まで7年間コンピュータの勉強をしたこと。。。だからその時一生懸命生きた人生に対する生活態度が私の体の中に入り込み、血液の中をながれ、それがそれ自体になるのです。知識はなくなるかもしれませんが、人生に対する態度は変わらないのです。だから人生の態度は今のわたしを作るので、わたしが医大に行ったので、それでもここまでこれた、そんなふうに考えるようになります。

だから一生懸命生きるという意味が、このような効率的な人生とは違う。それが、20年の間いろいろな職業をしながら自分なりに一生懸命生きていると感じる考えなのです。

安定というのも同じです。最近20代の若い人が安定を求め、医者、弁護士を選んでいます。安定というものは幻想のようなものです。直接的にみれば今も医者と言う職業は20%程度はうまくいかないと統計にでています。ですからそれが安定できるという保証ではなく、今公務員も減らして行くといわれているため、安定した人生とは言えません。

生きることも生命ということも安定の反対の言葉です。生物学の時間に見れば細胞が生きるためには外から栄養分を摂取し、細胞の中に入れる。韓国の表現でナトリウムといいますが、ソディウムを外にだして外にあるポタジューム(カルシウム)を引っ張り集めて生命を維持します。

安定は死んだ後に訪れるものです。細胞が死ねば細胞膜が破れ、その時集まっていた栄養分が全て外にでて、ポタジュームも出てソディウムが入りながら死ぬのです。

生きるということ、生命と言うものは基本的に安定の反対の言葉なのです。

だから安定的な人生というものは幻想です。むしろ自分が人生の主人になった立場で自らを開拓することが、自分がのぞむことをできると思います。

 

以上 公演を終えての質疑応答時間

 

問:今までの選択の中で最もよくできた選択と後悔した選択はなんですか?

答:職を変える度に後悔をたくさんしました。CEOを初めてした時は、とても大変でした。起業してみると10名の時のCEO50名の時のCEO100名、150500名の時、CEOとしてすべて違います。10名の時のCEOの役割は行政マネージャーです。全てのことに関与して教え、意思決定し1円まで電卓を叩かなければいけない事になります。

しかし、30名になると、その時から権限委任に入って行きます。10人の時と同様一緒に働いても会社を運営することはできますが、 CEOも疲れきり、見えない部分が生じながら会社が傾いてしまいます。ところが 10人である時、たくさん苦労しながら仕事に慣れたところで会社が30人になっているんですよ。そうした時に自分がしなければならない事は、慣れてしまった習慣を全部捨て、30名の組職に合ったCEOとして完全に様変りしなければなりません。組職の願うリーダーにならなければならないのですが、それはとても大変なことです。習慣一つを直す事がどれだけ大変な事か皆さんもお分かりになりますよね。問題はそこで終りではなく、30名の組職に慣れた頃には、今度は組職が50人になっているんですよ。そうなると、その時からはより構造的な考えを持つことが必要です。

また、50人に慣れた頃には100人になっているんです。その時からは CEO 一人でいては駄目で、他の人員たちとチームを構成する段階になります。だから終わりがないんですね。私が苦しかったことは、慣れた業務習慣や生活態度を変えて組職に合う人として変わらなければならなかったことが、10年間続いたのです。結局は経営ができそうになくなり、他の人達もそのように言うようになり、私は大学教授をしなければならず、他の事は駄目だといったのに、教授をしてみると他の人と同じ位はできるようになり、遅い年齢ではありましたが、自分自身を知るようになりました。そしてこれは、一人で専門家としてできるという満足感とは次元が違います。一つの組織として様々な人が集まり大きな事を共になしていくことを一度経験すると、それくらい意義のあることはありません。一瞬一瞬は苦しいですが、結局最終的に残るものはその間の苦労に対する充分な補償となるでしょう。

だから常にどのような選択であれ、後悔もしますし、よくできたと考えることもできるのです。

 

問:以前の先生の本を見ると、自身の座右の銘が、日本の数学者の広中平祐の言った「人よりあらかじめ 23倍時間を投資する覚悟をする。これこそが平凡な頭脳を持った私ができる唯一の方法だ” とおっしゃいました。それが今でも座右の銘なのか知りたいのと、そうでなければ新しい座右の銘があればそれは何か、そして先生の頭脳が平凡な頭脳だと思われますか?(笑)

答:リチャードファインマンというノーベル物理学賞受賞者の自叙伝を見ると、どんな人が天才なのかを知るようになりました。本当に手に取るものごとに、絵画、ピアノ、演奏会までするほどだったのです。幼い時から違いました。ラジオを見て組み立てながらストーリーが出てくるのですが、その人が自分の自慢をしているのではなく、飾らずに自分の姿を記した自叙伝なのですが、そのような人が天才で、私の少しの才能はそれに比べれば何でもありません。世界は広くどれだけ賢い人が多いのか知ることができます。だから広中平祐、今はソウル大学教授としていらっしゃいますが、その方がおっしゃった言葉を聞き、私も共感がたくさんできました。でも、そのような人に比べれば自分が持っている才能は少ししかないのです。だから何かをまともにするためには 2-3倍以上時間をかけるしかないだろう, その方法しかないでしょう。 我慢して熱心にする以外に…

NO PAIN,NO GAINと申し上げたのと同じ脈絡です。苦労なくして学べば残るものが無いということを私自身が知っています。英語も楽に学べば残らないのです。苦労しながら英語で人前で発表し、恥をかいて、ストレスを受け家に帰ってシャワーしながら、叫んだりして。そうしながらようやく少し伸びるんですね。とても少し。

外から見ればたくさん成されたと思われるかもしれませんが、その一つ一つが苦痛の連続です。今でも人より2、3倍苦労する思いでいると心が楽になります。

 

今までの話を整理すると、私も職を変えはしましたが、いつの時も一生懸命生きてきた気がします。いつの時もどんな状況からでも私にもっと意味があり、もっと楽しみがあってもっとよくできることが生じる時、その時に変えていったのです。私が変えたくて変えてきたと言うよりは、私にはそのようなことが見えたのです。だから、安定的な医者と言う立場を捨て、安定的なCEOを捨て、ずっと変わってきました。特に大学生の方々はこれから専門家として生きるようになると思いますが、伝えたい5つの言葉がありました。

一.他の分野に対する常識と包容力

二.コミュニケーション能力

三.肯定的な考え方

四.絶えず学ぶ姿勢

五.自身の限界を絶えず高めていこうとする心構え

5つです。

それではご傾聴頂き真にありがとうございました。

   

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