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2010年 評価

投稿日:2010/11/29

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時間は間違いなく過ぎていき、影は残っている。

2010年の評価は2つの側面から見ることができる。

1つ目に、2010年ライフスタジオの事業評価と課題

2つ目に、私自身にとっての2010年の意味

-. 2010 ライフスタジオの事業評価と課題

ライフスタジオにとっての2010年は大きな意味を持っていた。

創業当時の主導勢力は創意性と情熱を基盤とし、一定の成果を出した。一定の成果の後に必ずついてまわる課題は、システムの変化と発展方向の決定である。12人の管理でも十分に運営できていた組織が、人と支店が増えながら多様な状況が起こるようになり、その状況に合う新しいシステムが必要になった。また、創業当時のビジョンと目標も両方の拡大に他の修正を要求される。ライフスタジオの2010年はこのような2つの内的原因を持って始まった。

システム変化と発展方向の決定で、幾つか発生する間違いを警戒していた。内部の意思疎通の歪曲と断絶から起こる情報の不均一さ、ブレーキのない成長を主とする政策、方向感覚を失った事業の目的化、価値創出よりは供給システムを優先順位に置くことなどが、その例としてあげられる。幾度の会議と討論を経てライフスタジオの構成員達は内部力量の強化を2010年の目標に決定した。

内部力量強化のために大きく2つの部分に重点を置いた。

. リーダー会議をライフスタジオの内部に成功的に安着させること

. 教育プログラムの新しいモデルを作ること

リーダー会議

人間の変化発展をライフスタジオの目標として設定し、一番先に上がった問題は社長と呼ばれるオーナー達の先導的な変化発展が優先されなければならないということだった。オーナーの権限は非常に強い。彼らの考えと行動は、ライフスタジオの形に決定的に作用される。だから彼らから先に変化を理解し、その中心で行動しなければライフスタジオの目標は観念にだけとどまり、自己満足にしかならないということを2009年の経験から確認した。オーナーは変化を管理する位置にいるのでなく、彼ら自信から変化の主体とならなければいけないという認識を確固として位置づけることが2009年の大きな収穫であった。

リーダー会議の安定化において、最初のポイントは本社の権利を相当な範囲で任せ、政策生産と進行の執行の主体として位置づけることだった。だから有休常勤者として、リーダー長を任命し、その下に執行部を構成し、会計の独立を通し実質的な経営の主体を作る作業を始めた。リーダー会議とリーダー長を中心とする執行部の構成というと、何か大きなことを準備していると思うかもしれないが、結局はこれもゼロから始まるものに違いはない。まだ、既存のシステムでの運営が可能であり、経済的問題の困難に陥っていないため、リーダー会議と執行部は役割を果たすほどその成果が上がると理解していた。適当にすれば良いという意味ではなく、始めから大きな期待をせず、遠くの先を見つめて受け止めたということだ。また、オーナー達も準備がされてない人力として判断していた。これからいろいろな事業を通し、今までの固定概念と、働く方式の変化を期待していた。1年ほどが過ぎた時点で、約340程度まで上がったのではないかと個人的に評価してみる。その理由として、幾つか上げてみると、

-. リーダー会議で全体的な案件を処理しているということ

-. 有休活動を通してリーダー達が具体的に活動を展開しているということ

-. リーダー会議で得た情報を通し、各支店での論議構造が作られているということ

-. ライフスタジオの目標を口だけでなく心で理解し、行動に移しているということ

リーダー会議が無理なく進行された決定的な理由をどこで探すのか?私達がうまくやっているからなのか?でなければ?

内部よりは外部からその原因を探さなければいけないのではないかと思う。

-. 私達が行っているいろいろな事は基本的に普遍性に呼びかけている。反対の名分が少ない。

-. 経済的な安定が物的土台を提供する。適度な経済的保障と満足度の高い顧客の存在。

-. 方向性があるということ。大変で慣れていなくとも、行くべき方向と目的地が設定されているため、進むことができる。つまり、どこかに動いていることは希望があるということだ。

2010年リーダー会議を全体的に見てみると、私達の目的意識的な行動というよりは、決まった進路通りに、特に拒否反応もなく、目的地へ向かうバスに乗っているという感じだ。万が一私達に進行を妨害する内外部の要因が発生するならば、どのようになるか?

多分、速度と方向に大きな変化が訪れ、それは私達に災いとなるかもしれない。

寒い冬を経験することがないことが大きな幸運でありながらも、危機を秘めている。だから祝福を受けたこの現状に満足している態度を警戒しなければならない。現在の結果は私達の科学的な判断と能動的な行動から始まってはいないということをしらなければならない。物的条件が整えられている現状況で早い速度で成長することが私達に提示される最善の方法だ。

リーダー会議が始まった時、具体的な事業計画を持っていなかったため、事業評価はそれほど大きな意味を持っていなかった。過ぎた1年間、進行過程上の問題は、方法の問題ではなく、水準の範囲だと思う。何を考え、どのように行動するかは各自の水準に関する問題だ。一つの組織を作り、その組織が目標とする事を成し遂げる過程で起こる問題は、曖昧に評価される可能性が大きい。各リーダー達はリーダー会議が作られた目的を理解し、各自に合う方法を探し進行すればよい。リーダー会議の目標はライフスタジオ事業に直接リーダー達が参加し、その過程で真のリーダーになることだ。しかし、この短い時間で確認できたのは、1カ月に1回の会議に参加することだけではその目的が達成されないということだった。だから各リーダー達は変化のある現場で直接的に活動することが評価的な方法だと判断し、有休活動を展開したが、この事業で少なからず評価をだすことができた。経済的な理解関係が相当な部分失われた空間で、自信の適切な役割を探すための少し違う経験になった。ただ会議だけをする組織に留まるリーダー会議に、新しいエナジーを巻き起こす機会になった。つまり、具体的な方向性を持って、積極的な行動を備えていなければ変化発展を期待できない。2011年のリーダー会議計画も有休活動の参加が一番重要な部分になる。

これは、1月の2011年計画で報告する。

教育プログラム

2010年教育プログラムの核心は「集中」と「習慣」だ。これは、教育プログラムにだけ該当する主題ではない。一つの組織が追求する目標に対してこれを実践できる活動家を要請するためには、集中する時間と空間を提供し、これを習慣として連結するプログラムが必須過程だと考える。もう一度強調するが、教育プログラムは「強化し発展させる」という、曖昧な言葉ではなく、「集中」と「習慣」を目標としている。

このために、2010年教育プログラムの主題(真正性)を決めて、各時期別に小主題を決め、教育チームが活動し、集中討論の時間も作り、ライフ手帳も活用する。などの活動を展開した。

「経営者の条件」にもでてくるが、結果を予測し、そして目標達成するそれ自体が重要だ。たとえ、支店別に自律的ではあるが、図書館勤務が決定されたのは、集中と習慣という目標に一番近い計画として2010年教育プログラムの最大の成果だといえる。これは2年余りの教育プログラムが実質的な変化発展の重要な過程であった事を意味している。

もう一つ重要な事実は何回かにわたり、教育プログラムに参加した人々の変化である。支店で12回、教育チームで1回、集中討論で1回、全体会議で1回と、1ヶ月に約35回程度の討論で人々が変化する姿を見つけられた。ある面から見ると、当たり前のような気もし、変わらないことがおかしいと思うかもしれないが、必ずしもそれだけではない。私達は11日を生きていきながら、常に繰り返し多くの事をするが、そのような誠実さは私達を変化させはしない。

目的意識を持った持続的な探究と模索は、集中と習慣に見合うほど変化発展の重要な要素である。自発性に根拠ある構成員達の理解と要求が、組織での参加空間確保が難しく混ざり合わさった結果だと評価する。

一つ残念な部分は、各支店での討論の方法と水準において、差が見えたことだ。リーダー会議でも各リーダー達の理解度と参加度に違いが見えた。これはつまり支店でもそのまま表れる物で、内部文化が作られる基準にまで拡大される。各支店での討論の雰囲気を作る能力がない場合は、討論を仕事の延長として受け入れる傾向がある。リーダー会議、教育プログラム担当者、図書館勤務などで、代案を要しなければならない。これも1月の計画書で記載する。

1年の主題を決めることについては、中心を掴み、より深く入る措置という肯定的な評価はあってもなくても、その程度の存在感だったと否定的な評価も同時にある。

また、一つを画一的に合わせていっているという意見もある。

主題を決める理由は私達の水準にある。大部分のライフスタジオの構成員達は討論と学習という環境があまり身近なものではない。方向感覚を失い、つまらない討論の繰り返しが一番憂慮され、一定の主題を提示し、その範囲の中で少しずつ討論の面白さと深さを分からせることが主題設定の目的だった。

たとえ、画一的だといわれても、その主題を人生の主題として少しでも悩むことが、より効果的だと考えた。しかし、その主題に対する深い方向提示がされない部分は一番反省する問題だ。

やらないこととできないことが、大体半々のようであり、理解解決のために人文学教室という強力な武器を2011年準備している。

-. 私にとって2010年は?

いつからか、私の中で自らに質問をする内容が変わっていた。

私はどこまでできるのか。ということが悩みの優先順位だった。だから能力に対する挑戦と拡大が重要だと感じた。私の能力の最後をみることが、私を知っていく方法だと考えていた。

しかし、今はどこまでが私の限界なのかをしょっちゅう自分に質問する。飛行機の燃料を見て帰る支店を探す感じというのだろうか?どこに行っても責任をとりたくないという心ではない。時間が過ぎながら、私よりも周りを少し見ているのではないだろうか?

そうしているからライフスタジオが持続可能な会社になることに関心を持て、12人の能力で運営される組織ではない、強力で柔らかい規律ある内部文化を作ることが重要だと感じた。

このような考えの流れの中で2010年はライフスタジオを安定化させ、飛躍させる条件を作ることが私の願いであった。

しかし問題は、常に願いと実践の不均一から起きてきた。安定化させ、飛躍できる条件を作る大きな計画であったが、2010年の私はそのままできることをやりながら、適度に時間をおくっていた。適度提示、適度に実践し、適度に怠ける、そのような1年であった。一言で言うと、「適度な2010年であった」と整理することができる。

それならば、2010年だけ適度であり、その以前は熾烈であったのか?

去年も一昨年もそして、5年前も10年前も似ていた。そしたら決論は適度に暮らしている人生?

告白すると適度に生きる人生を拒否したくて、外面をごまかしたりもしてきたが、やはり適度に生き、そしてこれからも適度に生きる人生になるように思う。少し悲惨な気持ちも起きるが、認めるしかない。適度という表現を安定的に変えた時、私の心が安定される日はいつだろうか?

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