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人の息子…イ ムンヨル

投稿日:2010/11/22

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この本に出会ったのが1989年度だったので、約20年の年月過ぎた。デザイン室にいつからか「人の息子」が置いてあった。姪っ子のチンジュが本を読むと、ソウルで注文したようだが、チンジュの歳も私が初めてこの本と出合った年と近いことが少しおもしろい。

その当時の記憶では、内容に対する理解というよりは、知識に対する乾きと恥ずかしさに満ちた若者について書かれていたと思う。知識と知恵を区分できないその時期に、知的で見栄を張ることに集中していて、「人の息子」はそのようになりたいという欲望に対し自然と選択する本だった。その当時イムンヨルの小説は一度は通らなければいけない通過儀礼になり、イムンヨルを一度は批判しなければ何かを悟ることができないという声がでるほどだった。この本を始めとし、イムンヨルの小説をひとつ残らず読み、どんな席に行ってもイムンヨルに対する話をしていた。

人間、いや若者が持っている迷いや悩み、成長、根源に対する熱い著者として、当時を代表するベストセラー作家でもあり、韓国でノーベル文学賞をとるならイムンヨルだろうという話が出てくるほどだった。しかし、いつからか政治をすると言いながら数万のアンチファンができ、その後三国志を訳したくらいであまり活躍がなくなった。

そして、既存の保守政党に入り、既存の政治家に負けないような口ぶりで、それまで彼が話していた人間の存在に対する詮索と悩みが一時吹き飛ぶような印象を受けた。

「人の息子」は、神を主題とし人間の存在の根源を探していく話しだ。

神に対する考えを全て集めてみても10分も話せないほど神、宗教、信仰は自分にとって遠い存在だった。そして、哲学が自然から始まり人間にその主題が移され、キリスト教とその哲学が出会い固定普遍の真理に繋がり、今まで持続していると思っていた当時の自分にとって、その神の話しというのがただの知識の1ページ程度に認識された。

特に、キリスト教に対する何故かわからない拒否感は、韓国社会でキリスト教がみせてきたいろいろな矛盾な姿に影響を受けていた。ちゃんとした原理や内容も知らず新聞にでてくるキリスト教の姿は良い事よりも悪い事が大部分だったため、ある意味当然だということもできる。

20年の時間が過ぎ、もう一度読んだ「人の息子」は、神とイエス、そしてそれが人間の存在に広がる構成よりも、イムンヨルという著者に集中してみた。しかし、人間が持っている傲慢と偏見は本当にどうしようもないものだ。

誰かにイムンヨルの文章をもち米に比喩して話した記憶がある。それくらい心理描写やストーリー展開が他の普通の作家達とは違い緻密感があった。

しかし、時間が過ぎ、曲がった私の時間は矯正されない。少し切れ長な目で見つめる時に、何かを疑問に思うことは避けられなかった。どこかで見た文章のようであり、最後に向かい慌しく展開し、角に空いた空間を見つけることができる。それは作家のせいではなく、矯正が必要な私の認識に関する問題である。自然の中にあるギャラリーに来て初めて読んだ「人の息子」で、病気にかかっている自分の経験と認識を確認することになった。若干後ろに寝転がり、何かに対する疑問をひそかに探りながら本に接する私の読書スタイルはそのまま現在の私の人生を繁栄していると思った。その感じが間違いでなければギャラリーで自粛しなければ。

神に対する無知と無関心で、20年前に読んだ時はただ宿題の本のように理解していたことが、今では自分の視覚がこの程度曲がっていたのかということを悟らせてくれる良い本だ。しかし、内容は神を素材としたもののため、私にとってはあまりおもしろくはない。

一つだけ言うならば、

この本の最後は難しい。

〈しかし私まで敗北し倒れたと思わないで下さい。今私を呼んでいるのはミンヨウソプのピジであり、私達の神に対する絶望ではないのです。この時以前にこの時以後に永遠に生きるのは私達の神だけであり、例え誰も感じることができなくてもその孤独な神性はいつでもあなた達の頭の上で光り輝いているでしょう…〉

20年前の記憶ではイエスは人の息子でなく、神の息子という結論だったが、この最後の文章でチョウドンパルが言ったことを見ながら〈それなら何なんだ?〉という疑問が浮かんだ。

神様が送ったイエスを以後の人々が神格化し、彼らにあうように膨れ上がらせた虚像を取り払うという内容は、ある意味少しむなしくなるものだった。最後の方にいくにつれチョウドンパルの結論は少し啓蒙的な考えだと思った。ミンヨウソプが何故再び祈祷院に入り、もう一度俗世の神として帰依したのかについての説明が少なかったのが惜しい部分だ。

この部分に対する補充が必要だ。

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