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今。
投稿日:2010/9/29
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いつからか、バブルという単語を使うようになった。
何か、私たちにとても多くのものが入ってきた。
どこからか、どれくらいなのかもわからないくらい
私たちはそれを批判しなかった。
小雨で洋服がぬれるように、私たちが知らない間に、少しずつ、私たちの心と頭を鈍くさせている。
私たちがそんな小雨に気がつかなかった重要な理由の中のひとつは
自分なりの言い訳があったからだ。
抜け出せる穴があったし、それによって、麻痺させる注射の痛みが軽くなった。
その抜け出し口は、私たちがどこかに向かっているという自慰と、激励によって作られたものなのではないだろうか?
私たちが口にしている目標やビジョンは
本当に命にかえられるほどのものだろうか?
もしくは
少し品格をもってみせようと思う、人間のおろかさなのだろうか?
それとも成長するためのもがきなのか?
待つという美学が、私にはとても不足している。
ほかの人の話ではない。
私が、私を待つことができない。
内部文化の話をしながら、待つことができずにイライラする子供の焦燥感を
抑えることができない。
いいものはいいという大人たちの話は、もう私の生活の方針にもなった。
リーダー会議ではすべてのリーダーたちが社員のためにいろいろな提案をし、
若干の自負心も生じた。
でも、それがもう一方で刃を隠していたということを知った。
今の状況が問題なのではない。
誰よりも、私の心と、頭の中に多くのその泡が入り込んでいるんだということを確認する瞬間に、自分が裸にされた気分だ。
なんだかトイレに行きたくなった・・・・
トイレに、いってこよう。
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