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本社
冬には・・・・
投稿日:2010/7/28
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今年の冬は、私の中に深くはいって冬眠しそうな予感がする。
日本に来てたくさんの変化があった。韓国から日本に来たころは、私の周りにたくさんの人がいると考えていたし、それが私の生きていく基準のひとつになっていた。
私の行動と配慮、関係の結果だと自負していたし、それがあったからこそ、日本にきた。もしそんな風に考えていなかったら、行き詰って、もしくは逃避に近いものになったかもしれない。‘ちょっと行って来るから。あと、猫はたのむ’くらいの考えだったと思う。
でもそれが100%間違っていた。
日本に来て1ヶ月に2回くらい、韓国から連絡がきた。1回は韓国の会社において私だけがしっている仕事の確認、そしてもう1回は義務的な挨拶の電話。この義務的な電話も半年が過ぎたらなくなり、あまりにも連絡が入らないので携帯電話の充電も1週間に1回程度、それもなんだか暇で充電器にさしてみる・・・その程度・・・・最初のころは日本の携帯電話のバッテリーの性能を絶賛していた。かなりの時間がたって、現実をしった。韓国において私の影はなくなったんだということを・・・・
青山のオープン前、いろんな投資家に会い、体重計に乗せられた気分をぬぐいきれなかった。K1の選手たちが競技の前に体重計に乗る場面が思い出された。私の能力と未来に対する不確実性に対する重みを、多くの人に計られながら、時間が過ぎた。私の重さを量り、家に帰る途中私の頭の中にはその事実を‘認めろ’という声が多くなった。韓国から何も持たずに私だけが必死で何かを探して競売にかけられるもののように早く売られていくのを待っている・・・そんな状況の中でその事実を‘認める’ことが、私の中で繰り返された。
青山をオープンし、1ヶ月間撮影をしながらどこからか小さな声が聞こえてきた。青山は本当に何も無い状態でオープンした。特別な方法もなく、特別なことは何もなかった。なみが一人、いろいろな場所からお客様を呼んでくるために家にも帰らず忙しく過ごしていたが、私はというと特別することはなかった。いや、無かった程度ではなく、本当に何も無かった。撮影してフォトジェニックをあげたら私の仕事はほぼ完了・・・・撮影と言ってもそれはいつもしてきたことだから、そんなに大変でもなかったし、事業に対する不確実性といえばそれは、20代中盤に底の底から5年間這い上がってきたため、そんなに心配もしなかった。
そして、私の中はすぐに静かになった。
経験上、直感した。この静けさは‘私が私の中に入っていく信号であり、本気で私自身と人生に対面することができる時間になった’ことを意味した。すぐに韓国から本を持ってきて読み始めた。私の人生の指針のような本と、長い呼吸を共にしながら読んでいくために、太白山脈と三国志を選んだ。約2ヶ月程度、自らを治療する時間になった。その期間で強く押し寄せてきたこの文章が、私を守り、少しまた遠くを見つめるようになった。
‘どこかに横になってしんどい眠りをようされる隣の人を、ただ37度程度の熱の塊のように感じてしまいます。これは隣の人の体温で寒さをしのぐ冬の時期の原始的友情とは明らかな対照を成す刑罰中の刑罰です。
自分の一番近くにある人を憎むという事実、自分の一番近くにいる人から憎まれるという事実は非常に不幸な事実です。なおかつその憎しみの原因が自分の故意的な所作で由来したのではなくて自分の存在そのもののためだという事実はその不幸を非常に絶望的なことにします。しかしなによりも私たちを不幸に
することは、私たちの憎む対象が理性的に正しく把握されることができずに末梢感覚に
よって誤れるように把握されているという、そしてそれを知りながらも憎悪の感情と対象をかえることができないという自己嫌悪にあります。
人は出発点であり終着点です。人と人の関係が社会であり、社会が進む姿が歴史です。どんな制度やイデオロギーも、またそれを成し出す歴史も
最終的には立派な人々の立派な人生のためなのです。
ただ人を個人で還元し、いわゆる人性を絶対化してそこから演繹的に人を一般的に規定しようとする哲学や、また個人の救援にだけ沒頭する改良主義や宗教的限界を確実に認識しなければならないことは当然です。人とかかわる事業がすなわち社会的実践であり、人との事業作風がすなわち大衆性です。暮すということはまた、人と会う事でもあります。’
私が韓国で受けた傷は、傷ではなく過程だった。その過程で人と人生を分離して考えることができた。その分離の過程で私に降りかかってきた単語は、自己嫌悪だった。人を自分の枠の中に入れていこうとする努力に対するつまらなさを知った。
その後浜松のコンサルティングをしながら、もう一度なれた場所から離れ、新しい人に会い、話をしながら傷は少しずつ癒されていった。そしてライフスタジオにおける人との関係に対してのアイデンティティはより強化された。
大宮の店舗工事が終わったら、ライフスタジオの第2期が終わる時期だ。同じ考えと同じ行動によって、ここまで来たと感じる。これからはもう一度新しい主題を作るときがきている。木材を切りねじを回しながら仕事の熟練度は上がったが、そこにある主題はかわらない。その主題の向こうにわたり、違う角度からその主題を見てみようと思う。その主題がすなわち、離れていても一緒・・・という私であるためだ。
11月からギャラリーと倉庫型スタジオの準備が始まる
その時期が新しい命が春を迎えるための私の冬眠期間になるのではないだろうか?
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