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この1枚の写真-6 [朴ジョンチョル]
投稿日:2010/6/30
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いつだったか、韓国にあるチリ山に行ったとき
一休みしながら曲がりくねった山々を見ながら歴史がこうして流れてきたのかと、考えたことがあった。
その山々を見ながら、
いつも春にはあそこで花が咲き、冬には雪がつもっているのに
私たちは何をそんなにあわただしくしているのだろう?
歴史は何もしないでも、そこにあるもに・・・・
同じ民族同士戦争をしたり内戦をしたりしていた軍人が現れて
20年近い時間の間、国をあわただしくしておきながら銃で撃たれて死に
また違う軍人が現れて“今度は私がやってみます”といって10数年間不法的な権力を振り回しているときだったのに
それがまだ20年前のことだった。
今は畑を耕す人が現れて“私が一度この国の川と土地を耕して見せます”といい
大統領になっている。
多くの弾圧と拷問、懲役の歴史がまた違う韓国の現代史であったりもする。
ある日突然なくなり、銃に撃たれて死に、拷問されて死んで、半分死人のようになったりもしながら・・・・
1987年 4月
一人の大学生が学生運動の主要人物と親しくしているという理由だけで警察に不法逮捕され、
拷問を受けて死んだ。
最初の発表はこうだった。“机をたたいたら死んでしまった。”
2度目の発表には“警官2名による拷問の途中に死んだ。”
3度目の発表には“警官5名が拷問をした。”
4度目の発表には“警察庁長官が、この事件を縮小するために加わった。”
この学生の名前は朴ジョンチョルといい
この拷問事件が導火線となり87年6月、抗争ははじまった。
韓国の民主化運動に関する様々な出来事と事件があったが、朴ジョンチョルの遺影写真は今でも私の頭の中から離れない。
罪悪感に悩まされることもあり、
必死に生きていかなければと決意をさせられることもあり
現実にただ安心してしまっている自分の姿が恥ずかしくもある。
91年にも警察によって学生が死んだが、そのうわさをバスの中で聞きながら
どうしていいのかわからないほど涙がながれ、途中でバスを降りた記憶がある。
守れなかった申し訳なさから、涙がでた。
ふと口ずさむ歌に、こんな歌詞がある。
“・・・彼が過ごした今日は、昨日私があんなに生きたかった明日・・・”
朴ジョンチョルの遺影写真を見るたびに、この歌が思い出される。
そして今、私が持っているこの意識そのものが私の人生の指針になっている。
天安事件により46名が死んだ。
北の潜水艦が魚雷を撃って逃げたという。
まもなく戦争だという単語が簡単にでてくる。
真実は権力の中にある。
以前もそうであったし、今もそうなのだ。
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