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ライフの人々はどこにいったのだろう?
投稿日:2009/12/29
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いつものことだが、インテリアを始めるときの気持ちは2つある。
緊張と、ドキドキ・・・
店舗のオープンのために、木材がひしめくインテリアの現場で
ふと、思うことがある。
死を目前にした日、ある人が
「あなたが残していく文化遺産は何ですか?」と聞けば
「文化遺産というほどではないですが、ライフスタジオで多くの人が笑い、思い出を作るその場所」
という答えはどうだろう?と、ある種の余裕をもったことがあった。
一度作ったものは特別なことがないかぎり、その形そのまま維持している。
そして、その空間で多くの人が話をし、笑いながら一つの作品のために動く。
まだこの世界にない、しかしその場の全てが包まれているすの何かに向かって進んでいく人がいる、ということだ。
私たちが人生を歩んでいく方法と目的が詰まっている、
そんな空間をつくりあげるという緊張とドキドキが、インテリアを進める期間の間、
共にある。
今まで集めてきた全財産と
それでも足りなくて銀行から、友達から、両親から集めてきてつくりあげるものであるだけに、
経済的な部分を無視することは出来ないが、その負担よりも自分の持つ緊張とドキドキが、もっと大きい。もちろん、それでこそ、もっといい空間をつくることができる。
インテリアをつくっていくと、その中にも小さな人生が見えてくる。
経験したその小さなことを自慢しようとする狭い心と経験の一般化の過程を通過し
習慣となっていく人間の弱い修正がまず見えてくる。
しかし、何よりも重要なことは
くぎ一本を木材に打ち込むその過程が集まって、オープンと共にそれが形になるという美しさである。
その短い時間の中に1から100までを完了し、その結果に純粋に従わなければならないこと自体が、人生なのではないだろうか?
段々と謙遜になっていく自分を発見しながら
その緊張とドキドキを忘れてはいけないという脅迫概念まで浮かんでくる。
また、カメラマンが写真館のインテリアをすることができるということは、とても大きな祝福にも似ているのである。
偶然を必然にかえていくということ・・・・
それこそがカメラマンの永遠の宿題であるように
インテリアは予習と復習が成される教育現場であるのだ。
でも、段々見せるものがないという時が近づいてきている。
知っているものは全てで尽くし、我執と感情の過剰となってきている。
殻から飛び出して、もっと広い世界に向かわなければならない。
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