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一緒に森になろう・・・

投稿日:2009/10/27

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日本で仕事をするようになり、少なからず傷を負って過ごしてきたことも事実だった。

当時はなんとなく・・・そう感じる・・・程度だったけれど

時間がたつにつれどこかに隠そうとしてきた

人間、そして関係についての傷が少しずつ、痛み出した。

10数年にしてきたが

たった一人で東京の隅で、その傷を負ってもがいている自分を発見した。

どこから道がまちがったのかを考えてみると

人間の矛盾した両面性が見え

それでも人だけが希望なのではないか・・・という未練にしがみついたりしていた。

 

治療薬は特別なものもなく

年寄りの寝床・・・のような青山の2階で

本と共に自分自身をそのまま見つめてみることだけだった。

 

そのとき出会った申榮福先生の本を読みながら思索と実践の関係、

そして関係の重要性ということに考えが集中した。

 

先日申榮福先生の記事を発見したので読んでみると

「ああ・・・」

ライフスタジオで常に関係についての話をしながら、

人と物事に対し、深く入っていくようにといってきたが

言葉だけになっている自分自身に反省した。

ライフスタジオも一緒に森を作っていくべきなのだ。

 

少し長くはなるが、申榮福先生の講演文を紹介する。

参考までに、申榮福先生は1060年台の国家機関の操作のため20年間牢獄で服役生活をした後、

1988年に出所、聖公會大學校教授に就任し、2006年、定年退職をした。

 

私がした今日の話は、皆さんも良く知っている話です。

学生が知らないことを先生が教えてあげることはできないのです。

会話というものは、相手も知っていて自分も知っている、

それを出してきてもう一度確認することです。

それを通してお互いが慰労されることもあり、激励することもあり

また、小さな約束をすることにもなると思っています。”

 

 人を育てる仕事、それは秋を耐え抜くということ

 

切迫した状況はいつ核果(※かっか:の外果皮が薄く、中果皮は多肉質で水分が多く、果皮は硬く木質になるもの。桃・桜など。)が落ちてくるかわからない状況だと考えます。核果とはひとつがあまった果実として来年もう一度芽を出すことを意味します。核果を題材にして、話をしてみようと思います。

 

核果を守っていくためには葉落、つまり葉をださせるとうことが必要になります。

これはあわをかき集めるようなものです。

幻想を清算すること。

もっと言えば、私たちが閉じこめられている文脈を脱出するのです。

今の時代を支配する文脈はおびただしいのです。

 

葉落すると、木がそのままみえてきます。体が現れるのです。

ひとつの社会における土台、個人の土台が明確に見えてきます。

ひとつの社会の政治的主体性はどの程度なのか、経済的な自律基盤、文化的な基盤はどの程度なのか、幻想の中で隠れて見えないものが見え始めます。

 

ちた葉、葉落は根を暖めて肥やすという役割をします。(それを、韓国では糞本(ブンボン)といいます。)

秋に必要なことなのです。

ここで、‘本’とは、何でしょうか?ひとつの社会、又は一人の人間の最も根本的な根とは何かを考えてみる必要があります。‘本’とは、人のことです。

自分自身ともいえますし、私たちの社会の最も重要な人ともいえるのです。

結局は人を育てるということ、それが秋を耐えていくことなのです。社会で最も底力として働くことのできる可能性を育てることが重要です。

この話の中には、その内容を含んでいます。

 

私たちは理性と論理で世の中と人を見つめようとする文脈に縛り付けられている。

 

では、どんな人に育てるべきなのか?

‘頭、胸、足’で、話をしてみます。

人は頭で考えます。私たちが知っていることは、どうやって知ったのでしょうか?本で読んだり、先生から講義を聞いたり、新聞、テレビを見たりして、知ります。ですから多くの人は私たちが知っている認識は、押し込まれた部分が必ずあります。

そこから、抜け出さなければなりません。

 

その他にも文脈から抜け出さなければなりません。

中世では魔女の死刑で数十万人の魔女が殺されていきました。その中には強制された場合もありましたが、そうではなく、みずからそれを認める場合も多かったのです。

中世を支配していた魔女という文脈があったからです。

それならば、今この私たちの時代はどうなのでしょう?冷静に考えてみる必要があります。

 

ひとつの社会には近代社会を警告しながら積み重なってきた強い文脈があります。

他人を排除して自然を対象化し、私たちが理性という名前で、論理的に世界を理解しようとする近代的な文脈の中に、私たちは縛られています。

 

私が牢獄に最初に入ったときには完全に‘一人’でした。30名が牢獄生活をしましたが、その中で私は一定の期間、他の人たちを対象化し、分析をしていました。

家族はいるのか、どんな罪でここに入ってきたのかなどを把握しながら。私が完全に近代文脈に縛られていたのです。後々悟りました。

まるで近代と前近代、そして非近代を対象化するのと同じ論理を、私自身がもっていました。

ですから、そこにいる人たちと表向きは仲良く過ごしても、実質的には常に一人だったのです。

 

そうした中、作業場などで収監された人たちの多くの話を聞くことになりました。

その人が歩んできた波乱万丈な事情を知ることになり、‘ああ、私もあの人のような父母のもとで同じ経験をしたら同じ罪を持ってあの場所にいただろうなあ’という考えをもつようになりました。

 

具体的な例を話してみましょう。

私が牢獄にいたとき、40くらいになる友達に面会がありました。

今まで手紙ももらったことの無い友達だったのにです。

その友達も驚いていたし、同じ部屋を使っている収監者たちも驚きました。

面会を終えた後、気になって聞いてみると、自分と同じ年の男性が来たのですが自分の母親が育てたのだといいました。収監者の母親は23歳になる子供たちを叔父の家において家を出て行ったのです。母親の入った家は、兄弟をおいたまま母親が死んでしまった家でした。母親はその家に入り、兄弟たちを育て、その中で育った子供たちが面会に来てくれたのです。

二人が会っても、話すことがとくにありませんでした。その友達は散々沈黙を通したあと、とても申し訳なさそうにしながら“もしあなたの母親を私たちの母親として連れてくることがなかったら、私がその中に、あなたは外にいたでしょう”と、言ったといいます。

その話を聞き、対象化、分析化していた私自身がどれほど非人間的だったかという思いをもちました。頭の痛いのと心が痛いのとでは、大きな違いがあるでしょう。心がとても痛みました。

そのときから、とても多くの人々の話を聞き、一緒に理解していくようになりました。

 

 

分析よりも痛む心を理解することが必要

 

70を超えた老人が牢獄でひとつの部屋を使っていました。

夜になり新入収監者が部屋に入ってくると、雰囲気が冷たくなります。どうしても新しい人が入ってくるのはそうなるしかないようです。

面白いのは、新しい人が入ってくるとその老人は“こっちにこい”といって自分の70までの人生の話をしだすというのです。

その話は新しく入ってきた収監者が1日もたたないときにです。1日が過ぎてしまうと、その老人は特に存在感がないということを悟られてしまうため、新入収監者が話を聞かなくなってしまうのです。

 

老人の話を毎回新しい人が入ってくるたびにききました。

45年にはなったと思います。

ですから、完全に暗記してしまうほどでした。

でも、時間がたつにつれて老人は恥ずかしい部分を省き、自慢話ばかりになっていくのです。その話を聞きながら、もし彼が自分の人生をもう一度やりなおせるのであれば、実際に生きた人生ではない、全く違った人生をおくるのではないかと思うようになりました。

自分の人生の話を大きくするということは、若干の反省もあり、できなかったことに対する希望もあったということなのです。

 

その老人を現実の主人公とみなすのか、それとも脚色された人生の主人公とみなしていくのかについて、悩んだことがありました。

老人の事実どおりの人生を私たちの現代史が脚色したのではないのか、そんな思いになったりしたためです。分析と理性的判断というよりは、痛む心を開いてそれらを理解するのがもっと重要だと思うようになりました。からまでとても長い旅行です。

ここまでくるのに、私は57年の時間を要しました。そのときにやっと、牢獄での一人ぼっちを抜け出すことができました。

 

優越感を捨て、自分を変えて関係を形成しなければ

 

頭から心まで移動したら、その次に重要なことは痛む心を自分の人生の中の深いところにはいっていくこと、すなわち関係を形成するということです。‘足’という風に名づけます。

 

近代社会が冷たく個人の存在性ばかりを重視して、個人の自由と独立、開放を宣言しました。

しかし、個人主義が継続することによって問題が社会のあちこちで起こるようになりました。西欧社会では近代社会が到達した最高の価値を寛容といいます。格差と多様性を尊重し、共存するという意味です。しかし、その寛容が最高の徳目なのか、考えてみる必要はあります。

 

収監者たちの波乱万丈な人生に対し、とても心を痛め十分に理解している私も、その場にいることしかできないと思いますが、いまだにその人に対する憐愍、優越感、格差・・・このようなことを捨てきれない状態であることも事実です。寛容も同じです。

 

牢獄にいるときに一緒にいた友達の中に名前が大義という人がいました。

とてもいい名前だと思い、その人を呼ぶときはいつも“あなたの父親は本当に気の毒だ”ということを考えました。30にもならないのにすでに前科が3つもあったからです。

ある日彼に誰に名前をつけてもらったのかと聞いてみると、とてもいやそうにしていました。聞いてみると、生まれてまもなく派出所の前にただ大義と書かれて捨てられていたからでした。

衝撃でした。

名前のその文字を通してその人を知ろうとしていた私の考えや観念をすべて変えなければならないと感じる出来事でした。

 

もっと例を出してみます。

年をとった大工が家の図面を書くときには礎を先にかき、最後に屋根をつけます。

それをみてとても驚きました。仕事をする人たちは家を建てる順番に図面を書くということに驚いたのです。

本、学校、教室で自分の認識を育てている私は、屋根から家を書くのにもかかわらずです。このような観念を変えることなしにしてはどこにも進めないと思いました。

差というものはお互いを尊重して敬うのではなく、その差こそが自分を変化させてくれる、とても感謝するべき機会だと思わなければならないのです。変わらなければなりません。

 

変わらずに疎通することは不可能

 

変わることなしにして今の話題になっている疎通は不可能です。‘さあ、話してみろ。私がきいてあげるから’というような疎通では絶対にだめなのです。自分と他人の意見が意見の変化に重要な機会になるときのみ、疎通が可能になるのです。変化はとても重要です。全ての生きたものは、変化しています。自分の領土を主張してその領土の主導権を守ろうとする全ての思いは、変化を拒否します。自らのサーバーを守るのに沒頭するウェブ 1.0世代です。

 

これとは別に、若い世代の情緒はウェブ2.0と同じです。一人ひとりがサーバーなのです。

情緒が全く違います。だから、胸から足まで、また長い旅行であり、どうすれば自分の中にある観念性を捨て、相手から学ぶことができるのか、知っているということは多くの知識を持つということを言うのではないのです。えがオープンでなければいけないのです。‘文脈’に縛られている現状から抜け出せなければならないのです。

 

刑務所ではタバコはすえません。ですからタバコ代がとても高いのです。

職員事務所を掃除にいく若者たちがその部屋の吸殻入れに入っているものを拾ってくることが大切な任務です。それを良く知っている職員たちは、吸殻入れに水をイッパイに入れ、吸殻を再び吸うことのできない状態にします。若者たちは、水の中に使っているけれどもなんとかおれずにいるタバコをもってきて乾かした後、売りつけたり自分が吸ったりします。味気ないですが。

乾かしたタバコの吸殻の名前をなんと言うか知っていますか?皆さんが名前をつけるのであれば寂しいと思うかもしれませんが、それを‘シムチョン’(※韓国でもっとも純粋な少女を意味づける呼び方)と呼びました。

美的感覚が優れていました。

愛情、共感に惑わされることなく、積極的な関係を作りだすことができるときだけが本当の自分の中の変化、自分を創りだすことのできる瞬間だと考えます。

 

木の完成は名木ではない、森

 

どうやって関係をつくるのでしょうか?森を作るための課題ともいえます。

私たちの社会は多くの人が仕事をする方法において、まだ近代的な志向から抜け出すことができずにいます。抜け出すことができずにいる場合が多いのです。

継続して変化をする必要があります。

人々が情緒を正確に読み取ることのできる訓練をしなければなりません。

 

私が少し前に山に登ったときのことです。その山の向こうから流れる水は北韓川、こちらは南韓川になります。とても長い旅行です。

その反面、山の岩、すなわちウェブ1.0の岩は自分の主体性が埋沒している岩なのです。遠くまでいけません。そのままそこにいるからです。

小川の水は大きな流れに出会うと、そこから自ら大きな川の流れにかわっていきます。そして川の水は海に出会うと海の水に変わっていくのです。

とても大きく変わっていきます。

自分の中の領土性、利害関係を捨てて倦まず弛まず変化する遊牧主義、

それが近代を抜け出す脱近代の話しなのです。

私たち自身はもちろん、私たちの社会も同様です。変化しながら疎通し、少しずつ海に向かうべきであって、変化なしに寛容、すなわち近代のパラダイムの変形を語るべきではないと思います。

 

多くの人が変化し、森に向かうべきです。

実際、‘足’というものは変化の象徴でもあり、私たちの人生の象徴でもあります。

頭から胸(心)、胸から足に、これがひとつの木であるとしたら

木の完成は名木などではなく、森なのです。

木の最高の状態は森なのです。

を作らなければなりません。しかし、一人ではだめなのです。

 

社会を変えることはできないが、自分自身は変えられる

 

とても長い旅行(収監生活)を終えてみると、20年がたっていました。

終わる頃になると私は軍隊的な‘文脈’から自分自身が楽に抜け出したと思っていました。

単純な憐愍、共感、共存という軍隊的な形を飛び越えて、何か多くの人たちとの関係を結べたような気がしていました。

自分改造をしたかのように感じています。

実践を重視する人たちは社会を変える、ということには成功しましたが

自分自身を変えるということには失敗しています。

私は社会は変えられませんが、自分自身は変えられると考えます。

 

でも、牢獄で出所したあと私の友達は私をほめようとしているのか

“何もかわらない”といいました。

昔と何も変わらないといっていました。

ほめられているのかどうかとも思いましたが、大きく変わる部分というのは、目に見えるものではありません。

 

一緒に行けばいいのです。

価値に対する方向性がなければ問題だという人もいますが

一緒に進めば、自然と道はできてくるもののなのです。

私たちの持つ啓蒙主義の思考が、土台に残っています。

理想主義が土台になっています。

一緒に進めば、道はそこにできます。ここに集まったこの集いも、私は森だと考えます。

動く森なのです・・・・

 

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