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常識の力
投稿日:2009/9/30
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わからないということに対する会話をした。
わからないということが考えの中心にある状態で、常に対立するポイントを作り出すという問題に対する内容だった。
どうだ、と、いう言葉もとくにない。
最近、常識の力という本を読んでいる。
その中に、“人間とは自分の足で立っているこの地球でどんなことが起きているのかさえもわからない存在である。地震の測定器は建物が揺れて地上が割れる少し前にそれが起こるということを伝える役割しかしない。ただ可能なことといえば、地震が起こった場合の被害を最小化し、地震が過ぎたら早く復帰させる努力だけだ・・・・私たちの人生は、明日もわからない状態で明日の自然現象をどうやってわかるというのか?”
世の中を動かしている基本というもののサブタイトルになっている
常識の力を、信じたい。
重要なことは、私たちが究極的に追求していることを知っているのか、ということだ。
わからないことは、わからないのである。
わからないということが、私たちが追求しようとするその何かではないのではないか?
ある問題が発生したとき、それ自体に集中してしまう傾向がある。
その問題もやはり、私たちが何かをしようとしながら発見していくことであり
私たちが追求するその何かがあるということを、忘れてはならないのである。
自分自身をとりかこむ多くの事柄をみてみよう。
その中には、その何かがひとつずつ隠れているものだ。
状態がいいものもあれば、そうじゃない場合もあるだろう。
それを治療していきながらだんだんよくなっていったとき、
なんだかはっきりしたものではないが
常識の力によって希望をもって生きていくことはできるのではないだろうか?
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