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“キャッチャー・イン・ザ・ライ”に対する考え

投稿日:2009/5/27

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だれにでも同じような経験があると思う。

食べて、着て、寝る・・・そんな基本的な部分が解消される10代中盤から、 だんだん説明しがたい壁にぶちあたるということ。 どこからか聞こえてくる「存在」というものに対する問いかけと 私、あなた、私たちにつながっていく関係について悩みながら 「人生」と「人間」に関心のポイントが移動する。 そんな過程の繰り返しの中で、習慣化されながら一皮むけた自分自身を発見する。   ホールデンは自分の周りをつくりあげる様々な要素と疎通することが出来ずにいる。 でたらめと馴れ合いにあふれかえる学校から抜け出しても、 形式がかわった同じ状況を見つけてしまう。  まわりにあることでは自分の問題を解決することが出来ないという事実に対し より絶望的な状況に自らを追いやりながら、徐々に彼の内にある世界に深く入り込んでいく。   あるものをそのまま言い、行動するという純粋な世の中が彼の夢見る、何か、である。 しかし彼の周りにはでたらめや馴れ合いばかりがあふれかえり、それを越えるために身悶える姿がニューヨークにおける短い3日間で説明されている。   しかし、どこまでも続く絶望と否定の瞬間の中でさえ、自分の存在と主体性、人生の本質に対する答えが ふと、頭をよぎる。 あの湖にたくさんいたあひるたちは、この寒い冬にはどこにいくんだろう・・・・・ 昔弟と一緒に歌った“誰かさんが誰かさんとライ麦畑で出会ったら・・・・・・”   センターでキャッチャー・イン・ザ・ライに対する討論をする途中“PIN”という言葉がでてきた。(日本語ではおそらく“ふと”という表現)   権威と偽善に対する否定の段階をすぎると“それなら、何なの?”という問いかけをするようになり それを探して放浪しながら多くの傷を受けていく。 結局、その過程は自分に返ってくる最も積極的な過程であり、自己確認となる。 自分の主体性が形成される過程でその決定的瞬間を“PIN”と表現するのだ。   私にもまた、ホールデンのような“PIN”があった。   1989年、韓国の社会はまだ軍事独裁のかげりの中から抜け出すことができない時代だった。 大学に入っても私の周りは全てを否定する状態で独立していく。 権威・倦怠・独裁・植民地・虚偽・真実真理・絶望・・・・・・ こんな単語が常に私を縛り、そこから抜け出すために図書館へ、運動場へ、酒場へ、路地へ・・・・向かっていた1989年の春。 そのときを思い出すと、あれほど必死に生きていた時期が他にあっただろうかと あの必死でもがいていた時期でさえ、絶望の中をあえいでいた自分に対する愛着を感じたりもするのだ。   その年の夏、ひとりで旅に出たときに私はその“PIN”の瞬間とであった。 チリ山脈を通る川沿いを歩いていた夜中の2時ごろ。 渓谷の水の音、遠くに見える山のいでたち、アスファルトの屈曲がその瞬間、私の中に入ってきた。 そこで瞬時に思い浮かんだ単語は “ある” 今は“存在”と表現するだろうが、その当時は最初に浮かんだ単語がなんとも単純な“ある”。 渓谷、水、山、アスファルトが鮮明にその“存在”の意味とつながり 今まで私に問いかけてきたことは“私は誰だ?”という私の存在に関するものだったということを知り 存在することを、あるがままに受け止めていかなければいけないという、単純な真理であった。 そしてそれが歪曲しているのであれば直していく必要があるというものとして、受け止めることになった。 その後、私と私達、そして世界は何を持って存在し、その循環を妨害する物事、そして解決方法に対する悩みを持つようになった。   本日を見ようとするが、見たくない現状ばかりが私の目の前にたちはだかり 本質は見えず全てを否定するしかなくなってしまう。 そうしているうちにその本質を探して絶望と放浪の日々が続くことになったのだ。 私は誰だ?という質問がその根源であり、私は私だという存在論的な答えを得るにいたった。 それは、本質は結局のところ存在するということであり、それを探していく過程こそが、結局“人生”なのではないかと考えるにいたり、 その瞬間、“PIN”を感じたのだ。   今は簡単に口にする事ができるが、その当時誰もいない暗闇の中で感じたその“ある”という単語は 今でも忘れることができない。 変化と発展の原理を初めて私の認識の中に位置づかせたものであり、自己を確認する初めての経験だった。 次の“PIN”は今も私の心の中で大事にしている初恋の相手に出会った時だが それは次回明らかにしよう・・・・・   ライフスタジオにまつわる文章をみるとどれも存在や関係という単語が何度も出てくる理由も その初めての“PIN”のためである。   今回の教育プログラムで“キャッチャー・イン・ザ・ライ”を選択した理由が分からないという人が多い。 不良な高校生の不平不満に満ちたこの本をなぜわざわざ選択したのか?   全体会議の時に少し話をしたが、今回の教育プログラムは簡単な小説で軽く休んでいこう・・・・という理由が第一であり   私達の柱を立てていく作業・・・・はある程度見えてきたと判断する。 もっと重要なことは、その柱の下で何をしていくのかということについて、悩んでいく必要がある。 ビジョンをつくり、戦略を立てることはむしろ簡単なことではないだろうか? 私達の目的はその中でどんな価値をどのように実践していくのか?にかかっている。 結局、その対象は人であり、人がつくった条件に関する部分である人文学に対して学んでいく必要があるということが、2番目の理由。   ライフスタジオは日本の写真文化を変えることを目標にしている。 ここで変えるというのは形態の変形というよりは復元するという意味にうけとめることができる。 写真館の存在する意味を時代にあう新しい解釈をするというよりは、より本質を解釈し、 その存在目的にもっともあった携帯を探し出すということが正解ではないか。 現在の日本の写真館が写真と写真館の本質とは距離ができているという認識から出発する。 だから、現在の写真館の携帯が研究の主題になるわけではなく、 人間の欲望、写真の本来の機能、現時代との結合などについて、考えてみる。 写真を媒体に人と人がお互いに疎通するということが、写真を理解するライフスタジオの考えである。 だから人、関係。疎通、主体性。文化、空間、美学などが重要になる。 教育プログラムをともに進める理由も、そこにある。   私にライフスタジオをなぜやっているのか?と聞くのであれば その“PIN”を感じる為だと答えたい。 日本の写真文化を変えるという事は人を変えることであり、人が変わるという事は 現在自分自身を取り囲む習慣、我執、偏見を捨て、人間と自分が持っている本質をみつめるときに、可能になると考える。 その過程で“PIN”が来るだろう・・・・   混乱の中で生活する自分自身と人生に対する答えは学校などではない 自分自身の内部にある。 その小さな声を聞く為に、あっちにいったりこっちにいったりしながら その混乱とぶつかりながら日本の写真文化を変え、自分の自我を実現していくための ライフスタジオのまた違う姿ではないかと、考えた。   自分の内からこみあげてくる小さな声に耳を傾けてみよう。 自分がもっているその土台を見極め、私達が進むべきその先を提示しよう。 それこそが、一体なんだろう?という質問の答えになるだろう。   今回の主題は“あなたの人生におけるその“PIN”の瞬間はいつだったのか?”   その“PIN”をライフスタジオの活動の中に見つけていける幸運に期待する。

 

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美しさを表現し、思い出を記録する、楽しい遊びの空間

人生の写真館ライフスタジオという名前に込めた想い。
それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
家族の絆とかけがえのない愛の形を実感できる場所として、
人を、人生を写しています。

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