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飛び出せ!まだ見ぬ世界へ…
繰り返されるさびれた毎日から…

人間には越えられる事だけが与えられるという思いで生きてきました。
やりたいことよりもやるべき事をやりながら40年が過ぎました。
だからいつでも自由を渇望していたのかもしれません。
「人が人を人として」なっていくために
まだ見たことのない世界に飛び出すということをいとわない。結局は日常という名の他の名前でしかありません。

より人生に安着できたらという思いで今日も1日1日の繰り返される日々から飛び出します。

月刊8月のクリスマス 4月 大人で賞 最優秀作品

2019/9/29

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人は何なのか、
という根源に戻ろうとする欲望があります。

装いをして仮面を被り、実体と関係のないイメージを構築します。注目を集め自分の存在があらわれるような、揮発性の高いホルモンも分泌されます。ところが、長く続かないという問題が発生します。化粧は落さないといけないため仮面は不便なのです。ここではこのように、あっちではあのようにしなければならないという煩わしさがあります。自分が夢見る仮想の誰かとして生きるということは、本質的に私として生きていくための苦闘です。私として生きていくためのイメージの追従が、結局は自分を見失ってしまうことになります。

人間関係にも同じ原理がはたらきます。何かの条件により、人間関係の形式と内容が決定されます。その条件は、人類が生成した文化や習慣の枠の中で効率を追求します。現実には、出会いと別れを繰り返します。永遠の関係は、映画にのみ登場します。だから、人間は孤独なのです。

カメラマンは、自分の撮影レパートリーの中に、[原初]や[根源]という言葉があります。ところが、それはなかなかうまくいきません。モデルに対して訳もなく深刻で、訳もなく憂鬱な表情を要求します。しかし、[原初]や[根源]とは程遠い場合がほとんどです。日常の不条理を[原初]や[根源]として表現しようとしますが、悔しい表情だけが横行します。

この写真は同姓、森林、睡眠の3つのキーワードがあります。人間が最も安らぎを感じる3つのキーワードが無理なく表現されました。[原初]や[根源]のように重い言葉を使わなくても、究極の安らぎが感じられます。リンゴを撮影し、リンゴを認知させることは簡単ですが、リンゴを使わずにリンゴを連想させるというのが技術です。目に見えないものを、目に見えるようにするのがカメラマンの権利であり、義務です。この写真からは、見えるものと、見せたいものの間に、見ている人が介入する余地が多くあります。[原初]や[根源]でなくとも、何か見る人よって、自分の中に大事にしていた日記を取り出させます。忘れていたこと、かつて大切に思っていた価値観、過ぎし日の小さな希望を思い出させてくれます。

@yuca_tsu_さん
ご受賞おめでとうございます。
これからの投稿も楽しみにしております。

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