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シンデレラプロジェクト 5 part - 1
投稿日:2018/6/22
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シンデレラプロジェクト 5
EVERYDAY PHOTO FESTIVAL
日常、その特別な美しさに対して
…..with dress
2018. 06. 05 Mr. lee
シンデレラプロジェクトはジュニアと成人、2つのアカウントで出発します。
ジュニアはVOLVOを中心に人々が集まり推進しています。
成人は本社で推進しています。
この文章は成人部分を中心にかかれたものです。
★ウェディングを包括したドレス
結婚は個人の人生史の中でとても重要な行事であり写真が自動的に介入します。しかし日本のウェディング写真において不思議な部分があります。写真は美しさに対する表現と記録という2つの機能を持っています。日本のウェディング写真の主流は写真館と本式のスナップで大部分、記録の為の行為です。いまだに美しさを表現する市場は微弱です。新婦の立場でみたら結婚は美しさを極大化しようとする時期でもあります。しかし現実は結婚に対する記録が多くの部分を持っていて美しさに対する表現ははずされています。
即ち結婚を前にした人たちの欲求と現実の写真市場に不一致があるということです。
結婚関連の雑誌で扱っている写真関連の内容を見ればわかります。写真館写真と本式スナップよりも女性の美しさが主な内容です。写真館のウェディング写真は何十年も同じ雰囲気と技術を提供しています。本式当日の簡単な撮影がなされてはいますがアルバムを埋める程度にとどまっています。一回立ち止まって考えて見ましょう。
結婚という特殊性を考えたときに、
ある面からみれば七五三や成人式より
美しさに対する表現が広範囲で成り立っているのではないでしょうか。
着物を着て七五三を記念する事が[しなければならない事]に該当します。一種の楽しい義務です。しかしウェディング写真は[やってもやらなくてもいい事]です。文化がまだ出来ていないということです。それにはそれなりの理由があるでしょう、その理由はなんでしょうか。
美しさに対する表現欲求は本能的です。自身の美しさが絶頂に達したときの表現欲求は事実を超えて真実です。欲求はあるが欲求が解消されない理由は解消する場所が無いか欲求に対する自覚が無いか二つに一つの可能性が高いです。このテーマで韓国の事例を簡単に話しますと、インターネットが無かった1990年代中盤までウェディング写真は本式スナップにとどまっていました。インターネットが大衆化されながら人々の認識が[この程度なら私も撮れるだろう]に変わってきました。撮影したいという欲求はありますが文化が無いために自覚することが出来ずにいました。このテーマで重要なターニングポイントが[撮影技術]です。以前のウェディング写真は危機感を感じる程度の現実から乖離されていました。あえてお金を使ってまで撮りたい対象ではありませんでした。しかし新しい撮影技術とシステムが[この程度なら私も撮影したいし撮ることもできる]に誘導されながらウェディング写真が大衆化の道に入っていきました。最近ではセルフウェディングが人気を得ています。自身がドレスとメイクを準備して3-5万円程度でカメラマンを選びます。ウェディング写真が成熟期に入りながら技術の輻輳と個人自らが欲求を解決する段階にいたりました。
純粋に私の個人的な考えですが、日本のウェディング写真の拡張性が制限される理由を[撮影技術]で探さなければならないと考えています。技術が需要を創出しなければなりません。[やってみたい]を誘導することの出来る水準の写真と接近が容易な価格とシステムの開発で需要を作らなければなりません。
2017年婚姻申告数が60万件でした。この中で結婚式と関係なく別途に撮影をする人が何%でしょうか。統計が無くてわからないですが、1%を超えないと見ています。
日本のウェディング写真市場はブルーオーシャンです。
それなのにも関わらずシンデレラプロジェクト(以下CP)ではウェディングよりは[ウェディングを包括するドレス]にポイントを定めました。
ウェディングドレスに対する女性たちの関心と幻想は驚異的です。しかしその驚異的な関心と幻想の核心がウェディングにあるでしょうか。いやドレスにあるでしょうか。もちろん2つとも混ざっているでしょう。ウェディングドレスは美しさの最高峰の位置にあります。しかしウェディングドレスがこのような地位に上る理由の中の一つが結婚式に着る事の出来る合法性を持っているからです。その日だけはどんなことがあっても許される雰囲気があります。
ドレスが日常的にきるカジュアルの一つであればこの様にウェディングドレスが女性たちに脚光を浴びることがあるでしょうか。
外国の映画をみると夫婦が外食やイベントに行くために準備する場面がよく出てきます。奥さんがドレスを着てネクタイを締めていた旦那さんに近づいて旦那さんが一言言います[あなたは今日とても美しい…]そうすると奥さんも一言言います[あなたも…素敵…]アジアの文化では簡単に見ることの出来ない場面です。一生に一度でも無く、毎月1,2回程度の特別な日に自身の美しさを表現する方式でドレスを着ている姿は女性たちが憧れる姿ではないでしょうか。
ドレスは女性の美しさを表現する適切な方式です。しかし簡単に着ることは出来ません。職場の生活をしなければならず各種行事に豪華なドレスを着ていくには浮いているように見えるし
遊んでいるようにも見えるしドレスをそんなに持ってもいません。現実的な難しさがあります。一言で整理するとこうです。
ドレスを着てみたいが着ることの出来ない現実
CPは七五三以降から成人式前までのジュニアと成人写真2つのカテゴリーで始まります。普通成人写真というとウェディング写真を思い浮かべます。しかしある瞬間[ドレス]が思い浮かびました。やりたい事、やるべき事、うまくできる事に対する説明をよくします。この3種類の相互作用で仕事がなされていくようです。何が最初であれ事の始まりは一つの需要から発生してやっていくと3種類が結合して目標を達成します。この3種類の化学作用で幸福のような価値が作られます。ある瞬間[ドレス]が思い浮かんだ時に私たちがやりたい事であり出来ることでありうまく出来ることだと考えました。
[ドレス]の大衆化は私たちが出来ません。
しかしドレスの撮影を大衆化することは出来ます。
成人写真のテーマをドレスに設定する二つの理由があります。
1つ、ドレスはウェディングと比較して対象の拡張性を持っています。
結婚は本質的で二人の間で発生する愛を持続的にする為の形式です。ウェディング写真はこの本質の範疇の中で表現されます。ウェディングドレスが無ければならず新郎がいなくてはならず新郎と新婦の関係が表現される必要があります。3つを基本主題に変奏が起こります。これに比べてドレスは年齢や種類が豊富です。結婚と比較することが出来ないくらいの対象者が拡大されます。幼い子も着る事が出来るし、老人も同じです。[ドレスを着た美しい女性]は女性の美しさをドレスという形式で表現しました。ポイントは女性にあります。
2つ、成人写真が持っている冒険性を屈服することができます。成人プロフィール写真市場はとても制限的です。プロフィール写真が必要な職業にだけ撮影がなされます。成人写真というと芸能人やモデルたちの写真を消費することにとどまっています。その為、成人式以降に撮影する唯一の機械がウェディング写真で成人写真といえばウェディング写真に連結されます。
一言で成人写真市場自体が存在していません。成人写真市場が存在しないということは誰も言ったことの無い巨大な市場が存在するということと同じです。この巨大な市場で最初に進入する為の秘蔵の武器が[ドレス]です。[ドレス]に対する女性の欲望がどの程度かに対する客観的な統計はありません。事実ただの勘です。しかしショッピングモールに入店している写真館に行ってみるとその手がかりを発見することができます。写真館は一言で着物半分、ドレス半分です。七五三の為の写真館なのにドレスが半分以上を占めています。形式が内容を上回っています。しょうがなくドレスを着るということではないでしょう。撮影を毎日する事が出来ないのであれば美しさを表現する形式としてドレスを選択します。この論理を成人に代入してみると成人写真市場の開拓の旗として[ドレス]が適切ではないでしょうか。ドレスはその誰も拒否することの出来ない特別な魅力があります。美しさを表現する素材としても申し分ないです。主題が明確で表現も多様です。カメラマンにもとてもいい素材です。
落ち着いて考えてみれば新大陸が見えるのと同じようです。エステは全ての女性がやりたいし実際に経験もします。自身を美しく見えるようにすることはおかしく感じません。もしエステに行くように成人プロフィール撮影がなされるならばどうでしょうか。美しさを写真で表現する事がエステを受けるように日常的なことになるとしたらこれ事態が日本の写真文化を変えることにならないでしょうか。不可能な事でしょうか。成人写真の大衆化の為の最上のカードとしてドレスをテーマにすること、、、
できるかできないか一度は挑戦する価値のあることです。
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