Staff Blog
本社
scrollable
シンデレラプロジェクト4 - part 1
投稿日:2018/5/24
1029 0
シンデレラプロジェクト 4.
Part 1
写真館の営業形態で時代区分をしてみるならば2段階程度に分けることができる。
1段階は地域を根拠として記念写真を撮影する写真館の時代です。記念撮影に対する需要があり、これに比例して適当な数の写真館が長い期間にわたって運営してきました。人口の移動と減少、時代の変化が写真館の減少と売上げ下落につながってきました。アリスをはじめとした子供専門写真館も全国的な規模とブランドを打ち立てましたが記念写真という同じ形態の撮影でした。
2段階はインターネットを基盤に既存の規則を緩和した小規模写真館の出現です。ハウス型、自然光、カジュアル、原本CD販売、日常的な撮影等の形式的変化を与えました。インターネットを通じた情報流通があったために可能な事であり、1段階で実現しなかった人々の欲求を対象として差別化がなされました、資金と技術において敷居が低く大都市を中心に写真館が急増しました。需要は決まっており、写真館は多くなるので各種割引とイベントが乱立しレッドオーシャンになってきています。
地域を基盤とした写真館の売上げ減少と競争力の下落、アリス方式の子供中心ブランドの拡張性は渋滞状態であり、小規模ハウススタジオのゼロサムゲームが進んでいる今が3段階の作られる条件と環境です。写真館は新しい活路を模索しなければならず時代はもっと早く変化しています。ライフスタジオも2段階の時代を開きながら栄光の10年を過ごしましたがだんだん競争力が弱くなる状況が露出されました。
2段階を超えた3段階は何でしょうか。人工知能?仮想現実?ビックデータ?写真館の消滅?
写真館の柱だといえる写真の観点から見ればSNSに注目しないわけにはいきません。携帯に撮影機能が内蔵されており1人1カメラ時代が開き、SNSが次に登場します。撮影の日常化と撮影された結果物が共有されるということの中で何が写真館の運営に直接的な影響を与えるでしょうか。自身が食べて生きていく分だけ作物を作って生きていた時代がありました。農作物の量も少なく物々交換の形式で最小限の流動がありました。紙幣が作られ市場が活性化され資本が登場しながら自給自足の時代は終わりました。連結されれば拡大し、予想もしていなかった新しい世界が開かれました。写真撮影が大衆化されながら写真館の危機が話されるようになりました。カメラマンはいなくなり場所だけ貸してくれる写真館だけ残るのではないだろうかという不安がありました。しかしそんなことは起こらず写真館はもっと増えました。撮影の一般化より撮影された結果物が共有されるというまったく違った世界を作っています。撮影の種類と量、質において画期的な変化が起こっています。人々が集まれば写真を撮ります。今回の5月の全体会議でも数百枚の写真が作られました。撮影の楽しみですか?それともどこかにアップしてともに共有するためでしょうか?
SNS時代に写真館は危機でしょうか?機会でしょうか?
写真館の立場から見るSNS時代の3つの特徴を分けてみました。
1つ、専門家の領域がなくなった。
以前は写真館が専門領域に属していました。写真にはとてつもない技術が必要だという雰囲気でした。まず機材に圧倒されます。一般人が経験する写真と撮影はひとつの手に納まるデジタルカメラが全てでした。自身の見たものと同じように見えるカメラでその瞬間を記録することにとどまりました。自身は見たものに対する記録と撮影をしたという事実に満足する水準でした。イメージに対する過程や縮小がなされる技術はありませんでした。またどこかに自慢、伝達することの出来る手段もふさわしくありませんでした。本棚にしまってあるアルバムと家族写真をお財布に入れている程度にとどまっていました。しかし写真館に行けば武器のような大きなカメラと天井からぶら下がっている多くのストロボを見て自身が知ることのない、技術が集約された違う世界として認識されるでしょう。しかし今はどうでしょうか。自身が撮影をしてデザインをして自身のSNSで自慢をします。カメラマンと一般人を区分することが難しくなりました。
専門家と一般人で設定されていた構図が
写真を撮る人と写真に特別な関心のない人、
積極的に世の中に写真をアップする人とそうでない人に変化しました。
すなわち、写真を撮るということが撮影を職業とする人を超えて一般化したということです。これは写真館が占めていた領域の地殻変動であり写真館の役割と方向に対する変化を要求しています。写真と撮影の一般化は同時に写真に対する需要が爆発しているという話です。しかし
落ち着いて考えてみると写真に対する需要が爆発しているSNS時代に写真館がなんの役割もしていない状況です。写真需要が増えればカメラマンの株価が上がらなければならないのに、そうではありません。ワールドカップで成績がよければ自国のプロリーグが活性化されます。サッカーに対する需要が増える為、サッカー選手たちがより注目を受けることになります。しかしおかしいですが写真の需要が爆発的に高くなっても写真を職業とする写真館やカメラマンとは特に関係がありません。なぜでしょうか?
カメラマンが写真館の中にとどまっているからではないでしょうか?
写真館は写真館の中だけで決められている写真だけど生産しているためではないでしょうか?
雨がたくさん降れば野菜の値段が高騰するのが道理です。写真に対する需要が多くなればカメラマンや写真館の競争力が上がるのは道理です。写真撮影と共有の一般化は写真館とカメラマンの危機に見えるかも知れませんがある側面からはまた来ることのない機会でもあります。
Part 1
写真館の未来
2018.05.15 Mr. lee
写真館の営業形態で時代区分をしてみるならば2段階程度に分けることができる。
1段階は地域を根拠として記念写真を撮影する写真館の時代です。記念撮影に対する需要があり、これに比例して適当な数の写真館が長い期間にわたって運営してきました。人口の移動と減少、時代の変化が写真館の減少と売上げ下落につながってきました。アリスをはじめとした子供専門写真館も全国的な規模とブランドを打ち立てましたが記念写真という同じ形態の撮影でした。
2段階はインターネットを基盤に既存の規則を緩和した小規模写真館の出現です。ハウス型、自然光、カジュアル、原本CD販売、日常的な撮影等の形式的変化を与えました。インターネットを通じた情報流通があったために可能な事であり、1段階で実現しなかった人々の欲求を対象として差別化がなされました、資金と技術において敷居が低く大都市を中心に写真館が急増しました。需要は決まっており、写真館は多くなるので各種割引とイベントが乱立しレッドオーシャンになってきています。
地域を基盤とした写真館の売上げ減少と競争力の下落、アリス方式の子供中心ブランドの拡張性は渋滞状態であり、小規模ハウススタジオのゼロサムゲームが進んでいる今が3段階の作られる条件と環境です。写真館は新しい活路を模索しなければならず時代はもっと早く変化しています。ライフスタジオも2段階の時代を開きながら栄光の10年を過ごしましたがだんだん競争力が弱くなる状況が露出されました。
2段階を超えた3段階は何でしょうか。人工知能?仮想現実?ビックデータ?写真館の消滅?
写真館の柱だといえる写真の観点から見ればSNSに注目しないわけにはいきません。携帯に撮影機能が内蔵されており1人1カメラ時代が開き、SNSが次に登場します。撮影の日常化と撮影された結果物が共有されるということの中で何が写真館の運営に直接的な影響を与えるでしょうか。自身が食べて生きていく分だけ作物を作って生きていた時代がありました。農作物の量も少なく物々交換の形式で最小限の流動がありました。紙幣が作られ市場が活性化され資本が登場しながら自給自足の時代は終わりました。連結されれば拡大し、予想もしていなかった新しい世界が開かれました。写真撮影が大衆化されながら写真館の危機が話されるようになりました。カメラマンはいなくなり場所だけ貸してくれる写真館だけ残るのではないだろうかという不安がありました。しかしそんなことは起こらず写真館はもっと増えました。撮影の一般化より撮影された結果物が共有されるというまったく違った世界を作っています。撮影の種類と量、質において画期的な変化が起こっています。人々が集まれば写真を撮ります。今回の5月の全体会議でも数百枚の写真が作られました。撮影の楽しみですか?それともどこかにアップしてともに共有するためでしょうか?
SNS時代に写真館は危機でしょうか?機会でしょうか?
写真館の立場から見るSNS時代の3つの特徴を分けてみました。
1つ、専門家の領域がなくなった。
以前は写真館が専門領域に属していました。写真にはとてつもない技術が必要だという雰囲気でした。まず機材に圧倒されます。一般人が経験する写真と撮影はひとつの手に納まるデジタルカメラが全てでした。自身の見たものと同じように見えるカメラでその瞬間を記録することにとどまりました。自身は見たものに対する記録と撮影をしたという事実に満足する水準でした。イメージに対する過程や縮小がなされる技術はありませんでした。またどこかに自慢、伝達することの出来る手段もふさわしくありませんでした。本棚にしまってあるアルバムと家族写真をお財布に入れている程度にとどまっていました。しかし写真館に行けば武器のような大きなカメラと天井からぶら下がっている多くのストロボを見て自身が知ることのない、技術が集約された違う世界として認識されるでしょう。しかし今はどうでしょうか。自身が撮影をしてデザインをして自身のSNSで自慢をします。カメラマンと一般人を区分することが難しくなりました。
専門家と一般人で設定されていた構図が
写真を撮る人と写真に特別な関心のない人、
積極的に世の中に写真をアップする人とそうでない人に変化しました。
すなわち、写真を撮るということが撮影を職業とする人を超えて一般化したということです。これは写真館が占めていた領域の地殻変動であり写真館の役割と方向に対する変化を要求しています。写真と撮影の一般化は同時に写真に対する需要が爆発しているという話です。しかし
落ち着いて考えてみると写真に対する需要が爆発しているSNS時代に写真館がなんの役割もしていない状況です。写真需要が増えればカメラマンの株価が上がらなければならないのに、そうではありません。ワールドカップで成績がよければ自国のプロリーグが活性化されます。サッカーに対する需要が増える為、サッカー選手たちがより注目を受けることになります。しかしおかしいですが写真の需要が爆発的に高くなっても写真を職業とする写真館やカメラマンとは特に関係がありません。なぜでしょうか?
カメラマンが写真館の中にとどまっているからではないでしょうか?
写真館は写真館の中だけで決められている写真だけど生産しているためではないでしょうか?
雨がたくさん降れば野菜の値段が高騰するのが道理です。写真に対する需要が多くなればカメラマンや写真館の競争力が上がるのは道理です。写真撮影と共有の一般化は写真館とカメラマンの危機に見えるかも知れませんがある側面からはまた来ることのない機会でもあります。
この記事をシェアする
サイト内投稿の検索
- トップ
- Staff Blog