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「Movie Story5」ビリギャル
投稿日:2017/9/25
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Movie Story 5
ビリギャル
全ての作用には大きさが同じで方向が反対の反作用が必ず存在する。作用・反作用の法則です。前に進む力は後ろを向く力と一緒です。ロケットが前に進むためには燃料が必要です。燃料が燃焼しながら後ろに行く力が発生し、それと同時にロケットは前に進みます。作用と反作用の法則は物理学だけではなく人間の精神世界にも適用されるように思います。ある意味、何かから逃げるための力で前に進みながら生きているのではないかと思います。よく活用すると情熱と同期付与として作用するが、逃亡者は言い訳と合理化に慣れていながら自分は宿所されます。この映画をみる間ずっと私の頭には「逃亡者」という単語が浮かびました。逃げている身分だから、時間を使うというよりただ流しています。時間が経って公訴時効期限が終ることだけを待っているようです。厳密にいうとどこから逃げているのかがはっきり分からないのでそもそも公訴時効期限なんて成り立たないけど…。
自分の意思とは違う状況が発生すると葛藤構造が作られます。愛したからこそ恨んでしまうし、希望を持っているからこそ絶望が大きく感じられます。「墜落するものは翼らある」という言葉があります。ギリシャ神話から由来し色んな作家たちが色んな意味で引用しています。翼があるから高く飛ぶことができ、高く飛んだからこそ墜落もあるのです。翼がないと上に行くこともできませんし、上に行けなければ墜落もないでしょう。翼を広げて羽ばたくけれど、同時に墜落の危険も高まります。さやかは父親の愛情を求めるけれど、父親は自分の夢を代理実現してくれる息子にばかり全てを集中します。さやかの希望とは反対に状況は動き、父親との対立構造が作られます。父親に対する恨みが大人たち全体への拒否に繋がります。父親を含む大人たちから逃げ出し、自分を受け入れてくれた友達に至りましたが逃亡と友たちはあまり関連性がありません。友だちは友だちであり、逃亡者は逃亡者です。友だちの存在が逃亡者の罪を免責してくれるはずがありません。生きていくことの苦しさがここにあるようです。いくらいいものを所有しても自分の爪に刺さっているトゲは痛いです。夜更かししながら神様に祈ってもその痛さは解決できません。トゲをやっつける方法しかありません。
自分にとってトゲとは何なのか。その痛さを忘れるために今日ももっと強いモルフィンを探して逃げてはいないか。実際、トゲの実体は大したものではありません。平凡に生きてきて、平凡に生きていく人生です。朝起きて目をさますと何かをしながら生きて生きます。じっと壁に向かって何時間もいられる能力はありません。お腹も減るし、退屈だし、せっかくなら何か意味のあることがしたいです。やりたいことの実体は分からないけれど、意味のある何かがあるはずだということは分かります。やりたいことをやるためにはやるべきことをやるべきだと、頭では分かりますがやりたいこととやるべきことが何かは不明確です。何かが足りないという考えが慢性化しています。満たされない渇きから逃げ出しています。その渇きの実体がわからないからもっと遠く逃げ出そうとします。
何かから逃げ出す構造を打破するために色んな仕事を作り出しています。約束して、適当し行動して、見た目良く飾って、また新しいことを初めて…。信念に基づいていることなのか、もっと遠く逃げ出すために術策なのかを定める基準が曖昧です。基準の曖昧さの違う表現が「現実」です。現実は全てが名格でなく混在されています。その曖昧さは合理化の材料にもなるし、中途半端な妥協の決め手にもなります。今まで数多い妥協が坂なりすぎて、政治的に人生を見る癖までつきました。妥協が一種の美徳のようになってしまいました。さやかは妥協の誘惑に戸惑う時もありましたが、執着かどうか分からない勢いで最後まで成し遂げます。実話とは言っても映画は映画で現実は現実だと言いたいけれど、とにかくこの映画を見る間「逃亡者」としての自分の自責の念が大きくなります。もう時期リーダーシップ教育プログラムが始まります。リーダーシップに対する教育を進める資格が自分にあるのか、疑問です。
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