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「Movie Story 3」冷静と情熱のあいだ

投稿日:2017/7/20

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Movie Story 3
 
冷静と情熱のあいだ
 

1990年の春は私にとって転換に時代でした。

疾風怒濤という言葉通り。吹きまく風と渦巻く大きな波は思春期により似合うことばですが、私には1990年の春がそんな時期でした。抵抗による傷跡が残り、それよりも激しい恋がありました。決められている人生と、自分の中で動きまくる何かが衝突する疾風怒濤の時期でした。先日、十数年ぶりに卒業した大学に行く機会がありました。校庭は見違えるほど変わっていました。大学というのに商売がうまいこと。89年に入学した当時は建物が2つしか無かった短大が今は立派な大学になっていました。彼女と初めて出会った教室、彼女と初めて手を繋いだグラウンドの階段、ファーストキスをした学校前の居酒屋は無くなったり、痕跡だけが残っていたり。もう27年も前の話です。会いたいです。彼女に・・・。
 


冷静と情熱のあいだは5回以上見たような気がします。何故か、見たくなります。映画が見たいな・・・と思う時自然に思い浮かぶ映画です。主人公と同じぐらいの歳で、自分の90年の春、94年の春、97年の春、2001年の春を思い出します。映画の中で「まるで死んだ作家の魂が私の魂を借りて作業したような・・・魂が綺麗に洗い流せる気分だった」というセリフがあります。恐らくこの映画が何度も蘇る理由がここにあるように思います。人間の記憶は時間と共に段々鈍くなり、自分好みに脚色されます。つまらない私の過去がいつの間にか武勇伝に変わっています。その世界に自然に導く魅力がこの映画にはあるように思います。その力で明日の太陽を待ちます。
 
 


10年後、アオイの誕生日に会う約束をします。

二十歳の青春にとって10年後は想像できない時間です。20歳の自分が30歳を想像する理由はありません。それほど遠い時間です。二人はフィレンチェのサンタ・マリア大聖堂で会う約束をします。ジュンセイは93年からフィレンチェに行って待ちます。アオイはそれよりも早くからイタリアに向かいます。ある意味おかしい人たちです。心の中でお互いに忘れられない人がいるのに、すぐにでも会いに行けば良いことを・・・。これが日本の情勢でしょうか。待って、待って、それでも待っている・・・。

これを「伝説」というのでしょうか。妥協せず黙々を自分の道を歩き、現実で再現される状態。心の中に消化しきれない何かを握ってひたすら待ちます。進撃を訴えるラッパの音に突進する無名の勇者に拍手を送るには少し足りない会いている空間があります。一途な私たちと一途なジュンセイの違いは何でしょうか。
 

黙々と自分の道を歩みゆく私たちに足りないものはなんでしょうか。

 
それを、「ホームページに道がある」が解決できるのでしょうか・・・。
 
 
 
 

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