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「Movie Story 2」傲慢と偏見 

投稿日:2017/6/20

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Movie Story2

 
傲慢と偏見
 


磁石のように引かれ愛が始まります。

惹かれることで色んな事件や事故が発生し、話は展開されます。彼女に会いたい気持ちで焦ったり、ある日はわざと嫌味のメールを送ったりもします。この戦争のような状況をわざわざ作ることは出来ないでしょう。訳分からず「惹かれる」と言う導火線が必要です。この導火線の役割を傲慢と偏見が果たしています。偏見により傲慢が生まれ、また傲慢により偏見が強化されます。傲慢は偏見で構成された固定概念が生み出す自分だかの秩序です。自分が下した規定に沿って世界を見つめます。偏見はそんな規定と拘束の理論的土台を提供します。人の傲慢は法律で是非を正す問題ではありません。日常の軌跡はこういった傲慢と偏見で満ちています。それを直していくのが生きていくことです。愛は偏見から始まります。偏見無しに彼女のありのままの姿(いい意味でも、悪い意味でも)を目の当たりにして、愛という妙薬を自分の隅々まで染み込ませることが出来るのでしょうか。一生の愛を誓うという約束は傲慢と偏見が極大化した姿です。もし明日気が変わるとしてもこの夜だけは一生一緒にいたいという約束をしたくなるのが人間の心です。映画では傲慢と偏見を克服して愛が始まります。

 


しかし、愛とはそもそも傲慢と偏見固まった魔物です。

自分だけのあなた、あなただけの私を理想として規定します。だから自分だけのあなたを拘束するのが正当化されるし、その状況の中で平和と幸せを感じるというのは、現実的には非常識に近いことです。だけど私たちは愛を求め、拘束を欲しています。1時間ごとにメッセージを送ってお互いを確認しようとします。傲慢と偏見で成り立った人間が、自分の裸を相手に見せる権利を獲得した利己主義の凄惨な姿です。傲慢と偏見から始まった愛が持続するためには寛容を節制、犠牲が必要です。火花のような愛の時間は終わり、日常としての愛が残ります。時々傲慢と偏見は人生の安定的な維持を困らせます。喧嘩が起こり、お互いに対する寛容が最大の懸案として浮き彫りにされます。互いへの犠牲の過程を通じて愛は熟していきます。各個人が持っている傲慢と偏見から始まった愛ですが、拘束の状態を維持するために必要なのは逆説的にも傲慢と偏見の弱化です。映画で見せてくれたのもそういった過程の縮小版でした。
 
 


長い間、自分の心を惹きつける異性を待っていました。

残念ならがそんな女性は未だに現れていません。死ぬまでは気が狂うような猛烈な恋をした気持ちが山々だけど、増えるのはとしだけです。愛のための愛をする人もいます。そして愛は作っていくものだと思う人もいます。私も火花のような愛ではないけれど好きな人がもっと好きになるための努力をした時期がありました。しかし、作り上げていく愛が持つ違和感は最後まで解消できませんでした。強烈に惹かれる愛をひたすら待つ時間は苦しいけれど小さなときめきがあります。いつか出会う運命の人という可能性が有る限り、愛に対する期待を諦められない側面もあります。そういった待ちの末に一人の女性が目の前に現れ、恋なのか興味なのか定められない感情に纏わされます。「この女性が、私が待ちに待ったあの人なのだろうか」と悩み始めます。普段はあまり使わなかった算数を始めます。これは良くて、あれは良くない・・・を頭の中で計算している間に彼女との距離は段々遠くなります。その人自体を愛しなければならないという観念により、自分の中にあった純粋な愛に対する信念が汚されるのを距離します。結局それは愛じゃないと決めつけ、愛だったか興味だったか分からない感情は冷めていきます。大金を払って買う商品のように効用を比較します。愛は商品と違い捨てることができないため心を決めた後に迫ってくる逆風が怖いです。愛の前では弱虫になってしまいます。傲慢による副作用です。同時に偏見を強化します。結局また待つことにします。さらに自分の狭小な陣場を構築します。

 


「惹かれる」とは傲慢と偏見が極大化した姿だと思います。

愛は足し算と引き算で効用を計るものではありません。ただ、恋することです。前後ろ見ないで突進するためにはむしろ傲慢と偏見の力を借りなければなりません。傲慢と偏見無しに理性的に思考・判断して人を選ぶのは、愛ではなくショッピングです。自分が恋できない決定的な理由がここにあるようです。惹かれる女性を待つということは言い換えると救世主が現れるのを待つのと同じことです。叶わないことです。悲しいけれど・・・。「待つ」という言葉の後ろに隠れている自分を発見する度に「アホ」みたいだと思います。

だからと言って、必ず恋をしなければならないことではありません。やりたいけれど必ずやらなければならないことではないので今日も平気で生きています。寂しいと感じる時は自分を振り返る時間です。寂しさを感じたらもっと自分の中に入れ、という信号として受け止めています。感情の過剰や誤謬を正し直すバランス感覚ができます。愛を待つ人が美しくなる理由でもあります。寂しさが我慢できず、猟犬のように獲物を探す人もいます。自分が持っている傲慢と偏見の爪を隠して誰でも良いという人もいます。大体のことが合えば始める用意があるという人もいます。誰かと一緒になるということは傲慢と偏見も始まるということです。ただ、選択の問題です。

 

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