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つくば店
MMK⑯サービスを超える瞬間
投稿日:2013/4/15
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『自分のことが誰かの記憶に残っていること』
–それが私たちの生きる喜びなのであれば、記憶に残るような人間になるために人を知らなければならない–
リッツ・カールトンでは「お客様が言葉にされない願望やニーズ」に応えるために、従業員は感性を磨いて準備をしておかなければならない。
ここでいう感性とは、想像力と判断力のことである。なにかが起こってから行動するのではなく、なにが起こるかを予測しておくことである。
また、同じものが目に映っているのに、なにも感じないか、なにかを感じるかの差である。
お客様の気持ちを揺さぶるようなことはなにか?に対して自分のアンテナを立てて気づき自ら行動することが重要なのである。
人がなにを考えているかがそれぞれ違うように、同じような言葉や態度ではなく一人一人のお客様に対して変えていくこと。
言葉や態度を変えるとは、お客様はなにを期待しているか?を考える習慣と磨かれた感性で想像し判断された言葉と態度をお客様によって変えていくことである。
だから、リッツカールトンがお客様のために用意する豪華な花やワインに、物そのものではない価値、すなわち物に込められたスタッフの心を感じてお客様は涙するのである。
なぜそのようなことができるのか?いくつかのポイントがある。
・理念やサービス哲学を実現できる企業システム
・感性に訴えかけるサービス
・マニュアルを超えることができるサービス(権限委譲)
・企業信念であるクレドをスタッフに浸透させていくプロセス
普通の企業である場合、個人の判断で会社のお客様に対して行動することに、いくつもの許可をもらわなくてはならない。
そして、許可を得るまでにはお客様との関係がすでに終わっている場合が多い。
なぜそこまでマニュアル化すべきなのだろうか?
特定のお客様にのみ特別な待遇をすることが、全体のお客様に対して不平等な扱いになってしまう恐れがあるためマニュアルがあるのである。
つまり、平等に同じ結果を出すためである。
マニュアルによって一定の基準を達したサービスは提供できるが、マニュアルを超えたサービスを提供することは難しい。
ではマニュアルを超えたサービスとはなにか?
一人のお客様に目を向けることである。
価値観が多様化し、提供されるモノ、サービスがあふれてくると、全体のお客様のニーズを満たすというレベルでは、一人のお客様の感性を満足させることはできないのです。
だからこそ、リッツ・カールトンは、従業員一人一人に権利を与えているのではないか?
①上司の判断を仰がずに自分の判断で行動できること
②セクションの壁を超えて仕事を手伝うときは、自分の通常業務を離れること
③一日二千ドルまでの決裁権
普通の企業ではスタッフに自由に判断できる権利が与えられていない。与えるとしたら面倒な許可が必要であり、その面倒さから従業員は何もしないという選択をしてしまう矛盾した結果に陥る。
なぜ従業員に権利を移譲することができないのか?
核心は、経営責任者が握りしめていた権利を奪われてしまうからではないだろうか。
そうではなく、従業員に権利を与えることは、感性を発揮できる場所を与えることであり、発揮された感性は一人のお客様の心を動かすことになり、企業の成果になっていくのだ。
つまり、個人の成功が会社の成功に結びつくのである。
そのためには、従業員は企業哲学と理念という研磨機で感性を磨いて準備をしておく必要がある。
企業哲学と理念とは「クレド」のことである。
クレドとは「どういうホテルであればお客様が常に行きたいと思ってくださるか?それから他の方にもすすめたいと思ってくださるか?」を徹底的に話し合い考えをまとめたものである。
リッツ・カールトンでは、毎日欠かさずクレドを基にした質問が投げかけられ、自社の理念やビジョンに対して自分自身に問いかける続けることで、具体的なサービスへと反映されている。
感動は偶然や個人の能力に頼ってはいけない。サービスは化学なのだから。
感動は同じ価値観によって支えられたシステムによって生み出されるべきである。
すなわち、リッツ・カールトンではお客様が心を動かすようなシステム作りが企業文化になっているのである。
では、ライフスタジオはどうやってお客様の心を動かしているのか?
写真だけがお客様の心を動かしているのであれば、街中にある無人の証明写真機で十分である。
提供するのは証明写真ではなく、美しい写真だ。
美しい写真とは、お客様の心と体が自由になった瞬間に撮影される写真である。
それはよく言われる自然な写真ということである。
写真を撮られるということに対して緊張感を感じない人はあまり多くはない。
カメラを向けられても、自然な状態でいられる人がどれほどいるだろうか?
ほとんどの人は、大きなレンズを向けられて自分の顔の毛穴まで写ってしまうのではないかという恥ずかしさからくる緊張感と美しい自分の写真を撮影された良い思い出が今まで残っていないから自然な状態でいられないのではないか。
そうであれば、私たちはそのような緊張を強制する空間ではなく、自然とリラックスできるような空間をつくりあげなければならない。
それは、まるで友達の家に遊びにきたような空間であり、なにか楽しいことが起こるのではないかという期待を満足させる空間である。
だが、もっとも重要なのは、リラックスできるようなお客様とスタッフとの関係だ。その関係が心と体が自由にさせるのではないか。
すなわち、スタッフがお客様の心と体を自由にしていく過程で結ばれる関係からつくられる美しい写真に心を動かされるのではないか。
撮影された写真をお客様が見て涙をする時がある。両親が子どもに対する今までの成長する過程を写真を見て確認した瞬間に、思わず涙がこみ上げてくる。
私たちも涙に対する想いを想像して共に涙を流す。それが共に思い出を記録する楽しみの空間なのであり、顧客感動なのである。
そのためには、自身と人に対する理解と人との関係を結ぶ方法を学ばなければならない。
自身の内面に深く入ることができずに、どうして人の心を動かすことができるのか?
人の心を動かすには、まず自分に対して深く入っていき、自分の心を動かすことができなくてはならない。
だから、ライフスタジオでは学習と教育のプログラムがあるのではないか。
学習と教育によって、自身を不自由にさせていた世の中に対する固定概念が外れたときに、新しい世界を経験することになる。
それは、今まで物事が平面的な丸だと思っていたものを、球体だったと知ることであり、球体の中身にはいろんな形が詰まっていることを知ることである。
自分の小さな価値観を広げることで自分の生活や行動に影響を及ぼし、人生がより楽に生きやすくなるような感覚。今まで苦しい状況だと思っていたことが、思考を変化させて乗り越える方法を身につけること。
すなわちそれは自由になったということではないか。まず自分が自由になってくこと。そして次にお客様の心と体が自由になっていく。
カメラマンの悩みで「撮影された写真がパターン化している」ということを良く聞くが、これは写真に対する固定概念からくる不自由ではないだろうか。
「ここではこう撮らなければならない。」「ここの条件ではこう撮る以外はない。」
誰が決めたのだろうか?
それと似たことが、人に対してもあるから、関係に対して不自由になっていくのである。
お客様様とスタッフの心を不自由を自由にさせてくれるのは、やはりライフスタジオのシステムなのではないかと考える。
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