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恩師からの手紙

投稿日:2012/10/7

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我が子は我が親を見て育つ。子供は大人を見て育ち、後輩は先輩を見て育つ。学校教育においては、生徒は教師を見て育っていくのではないでしょうか。

育つということは、良く育つと悪く育つという二つの意味があると思うが、教育者は教科書の内容を生徒に教えるだけでなく、人を良く育てようとする一つの仕事ではないだろうか。

先日、中学校の恩師中山先生がお客様として来ていただいた。そして、後日先生から私宛の手紙がお菓子と一緒に店舗に届いた。

スタジオのドアを開けた時に、最初は本当に中山先生なのかわからなかったのですが、「もしかして仕事は学校の先生とかですか?」と質問したら中山先生も「鈴木くんだよね?」とかわいい茨城弁で言ってくれたことで確信しました^^

約13年ぶりの再会でとても感動したことを昨日のことのように今でも思い出されます。

まさか学生時代の恩師の子供を撮影するとは夢にも思ってませんでしたし、先生と生徒ではなくお客様とスタッフという関係にとても違和感を感じずにはいられませんでした。

中山先生から撮影中に、卒業した生徒から祝辞を頼まれ、卒業して何年も経つのになぜ私なのだろう?と疑問に思っている話を中山先生に聞かせてもらいました。

私はこの話を聞いて学生時代の中山先生の記憶をよく考えてみました。なぜなのだろう?と。

すぐに頭の中に浮かんだのは、昼休み時間中に生徒がグランドでサッカーをしたり、縄跳びをしたり、おしゃべりをして笑い合ったり、教室で昼寝をしているように中山先生は生徒と同じように共に時間を過ごしていた記憶を覚えています。

私がスタジオで中山先生の印象を「きゃぴきゃぴした先生」と表現したが、つまりはこういうことで、教育者が生徒の水準にきてくれるということを言いたかったのです。

中学生のくだらない話に本気で笑ってくれる大人がどれほどいるだろうか?中学生のくだらない悩みに共に悩んでくれる大人がどれほどいるだろうか?

中山先生は決して教育者という立場を飾ることなく、人としてのありのままの姿を見せてくれました。

生徒を生徒としてではなく、生徒を人として接していたような印象。。。。。。生徒と教育者という立場ではなく、人と人という立場。

これが卒業した生徒から何年も経ったあとでも結婚式に呼ばれる理由なのではないでしょうか。

中山先生を見ていると、人をよく育てる教育者の条件として、人として接することが必須条件であるように思えました。

きっと結婚した生徒の人生には、中山先生の良い影響が今でも存在しているのだと思います。

思い出が自身の人生をつくりあげるのに多くの影響を与えているのであれば、有名な観光名所の思い出が自身をつくりあげるのではなく、人が人に与えた思い出が自身をつくりあげるのではないでしょうか。私はそう思います。

あの日あの時あの人に私はこうしてもらった。という思い出。。。。。。。

「2012年9月29日、13年前の恩師中山先生が私のために手紙を書いてくれた。」

この思い出は私の中で永遠であり、私が良く育つ貴重な思い出となっていくのだと思います。

先生から頂いた手紙をアパートで読み終えて、椅子に座って様々なことに思いをめぐらしていたら、半年前に裁判所の傍聴に行ったときの記憶を思い出した。

被告人は暴力団組員で薬物密売の罪で問われていた。

傍聴席には、一般の人、検察の研修生、暴力団関係者、そして被告人の母や姉であろうと思われる人たちが席に座り被告人を背に見守っていた。

裁判長は被告人に対し、薬物をやめる気はありますか?暴力団という組織から身を引くことができますか?と何度も問いただしていた。

被告人は、薬物も組織もやめたい。と答えた。

裁判長は続ける。

「元の生活に戻って社会に復帰したいですか?」

「はい。」

「迷惑をかけた社会に対して貢献をしたいですか?」

「はい。」

「社会に貢献したいと思っているなら、組織のことを話すことが貢献ですよ。話せますか?」

「できません。」

「なぜ言えないのですか?」

「組織にお世話になっていたので。」

「あなたは組織にいること薬物をやることで社会に対して迷惑をかけていることに何も思わないんですか?判決が出て二年刑務所に入って二年後出てきて組織にお世話になったらまた社会に対して迷惑をかけることになるんですよ?社会に貢献したいと言ったじゃないないですか。あれは嘘だったんですか?あなたは嘘をついたんですか?あなたが組織に入ってまた健全な社会に薬物をばらまき全うな人の人生を奪っていくことになにも思わないんですか?あなたはそれでいいんですか?あなたの自身の人生を奪った組織にまたお世話になるつもりですか?」

この執拗な質問で裁判所の空気が変わった。

被告人は一度舌打ちをして、目の前の机を両腕で持ち上げ、机は空中で半回転して、床に大きな音をたててひっくり返った。

「はい。それでいいです。これからも組織にお世話になります。」

被告人のその言葉で裁判所がなんともいえないどろっとした空気になってしまったと同時に被告人の母は長く重いため息つきながら座っていた椅子からずるっと床に泣き崩れ落ちていった。母の長くて重いため息はまるで「この世の終わり」を告げる合図のようにも聞こえた。

母はもしかしたら組織をやめてくれるのではないか。という期待をしていたが、息子は再び組織に依存する人生を選択してしまったのである。。。。母は期待が現実のものにならない失望感で嗚咽をあげながら泣いていた。

私はこの裁判の出来事を半年前たった今でも鮮明に覚えている。

なぜそこまで記憶に深く残っているかは、暴力団を目の前で見たことでも、被告人が激しく机をひっくり返したからでもない。

この裁判は、自身が苦しい人生を選択したならば、自身の周りの人たちも苦しむ以外の選択の余地がなくなる事実を目の当たりにしたからにほかならない。

誰にでも悲しませたくない人、苦しませたくない人が自身の中にいるのではなないでしょうか。

つまり、大切にしたいと思う人がいるのではないだろうか。

誰かを大切にしたいと思ったら、自分が大切にしたい人に手を差し伸べるだけではなく、まず自身が自身を大切にしなければならないと思ったのです。

つまり、自身を大切にすることが、他者を大切にする。ということなのだと思ったのです。

先生から頂いた手紙の内容でこんな一文があった。

「私にとってあの75カットの作品は我が子の成長だけでなく、教え子の成長も感じられるので、頂いた幸せは二倍以上だと思います。」

私は、22歳頃から今まで写真の仕事をしてきた。

ファインダーを覗くのが怖かった時もあったし、シャッターをいつ押していいのか?と押す力もなかった時もあった。仕事をする社会人になって、学生時代の自分と社会人の自分は何も変わっていなくて、周りの人たちだけ変わっていく姿を後ろからただ眺めている人生に嫌気がさしていた時もあった。

おまえにはカメラは向いていない。趣味でいいじゃないか。と誰かに囁かれているようで何度も転職を考えた。

だけど、写真を通した仕事を辞めることを想像したほうがもっと怖かった。やっぱり写真が好きなんだ。撮影することも写真を見ることもカメラをブロアーで掃除することも・・・・。

先生のこの一文で、自身の気持ちに嘘をつかずカメラをおろさなくて本当に良かったんだと心の底から思ったのです。

やっと自身が自身を大切にしている。と先生に出会って認識させてくれたように思えます。

傲慢かもしれませんが私は勝手に解釈をします。自身を大切にした人生を選択したからこそ、先生に我が子と私の成長という大切なものを与えられたのだと。

先生から頂いた手紙は、自身を大切に生きることの大切さという素晴らしい人生の教訓を教えてくれたのだ。

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それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
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