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つくば店
MMK⑩モリー先生との火曜日
投稿日:2012/10/2
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死について深く考えたことがあるだろうか?
私は親戚の葬式に出た日にしか特別考えたこともないし、考えても仕方がないことだと思っていた。
死ぬということを考えると暗くなるし、無意味に落ち込むのが嫌だったし、正解がないのに正解を探すことの意味も理解できなかったし、考えたくもなかった。
生きるということも正解などないけど、死ぬっつー不安とか恐怖を考えるのとはなにか違う気がする。
生きることを考えると、将来に対しての期待と明るい未来みたいなもんが待っていたりと考えることが明るいし、これからのことだから自分の力で変えることができる。だから考えていても苦痛ではないのだ。
しかし、死に対しては無力でありどうあがいても変えることはできないのではないか。
だから一生懸命に生きるっつーことが、死という価値を決定するものであるから、どう生きるかだけを考えてきたのだと思う。
この本は、人は死ぬという事実を曖昧にするのではなく、死と向き合うことで自身の人生をよく生きることのヒントを教えてくれているのではないかと思う。
いずれ死ぬことと今を生きていることをきちんと認めることで、いつ死んでもいいように準備をすること。
死を認識するということは、あらゆることについて見方が変化し、重要だと思っていたのもがそうでもなくって、そうでもないと思っていたもの重要だなって認識の変化が起きるのである。
つまり、あなたは2013年の9月30日に死にます。っていうのが具体的に決定されていたなら、一日一日の時間が貴重なものになるし、自分の人生にとって何が大切なのかを知ることができ、生き方も変わるのだろう。
しかし、私たちはいつかは死ぬのだから、今からでも知ることができるし、変わることもできるのである。
今まで曖昧にしてきた「生きることに大切なこと」をはっきりさせること。
・死・恐れ・老い・欲望・結婚・家族・社会・許し・人生の意味・愛をこの本ではこれらに対してどのように考え向き合えばいいのかを死を間近にした人間が教えてくれるのである。
私はこれらに対して知ろうとしてこなかったし、知るのが怖かったからずっと見て見ぬ振りをした結果、きちんとした自分の考えを持つことがなく問題に直面した場合、どうすることもできなくてただただ苦しむだけであった。
文中に「与えられた文化で満ち足りた気持ちが与えられないのなら、文化を捨てる勇気を持たないといけない。」とでてくる。
メディアの受け売りではなく、答えが曖昧なことについて、自分がどう考えるのか?どのような価値観を持つのか?を自身が正しい選択し行動しなければならない。
そして間違った考えをいいかげん捨てなければならないのだ。
人生を大切にしない理由があるだろうか?
自身の文化とは教えてもらうことではなく、自ら気づいて自らの価値観をきちんと持ち正しい行動が自身の文化を造りあげるのではないか。
安っぽくなってしまうが、つまり、確固たる自分っつーものを持っていれば、自分や他者や社会にいちいち振り回されることなく苦しむこともなく、もっと楽に生きられるってことなんかなって思う。
そのためには「私はこう考える。」ときちんとした意見をもたないといけないのだが、、、、、、知ろう。
余談だが、先日買ったマンガの作者コメントに、「ニワトリが先か?タマゴが先か?」という問題に対して、作者は自分で勝手に答えを決めちゃう。と書いてあった。
そうするとスッキリいい気分で、何でもうまくいく感じがするらしいです。
こういうことなんだと思うのです。
論理的にも、物理的にも証明なんかできないが、私も勝手に決めよう!
死は素晴らしい。
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