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つくば店
MMK⑧ゆるすということ
投稿日:2012/8/19
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ゆるしはすべてを変えてしまう。
ゆるしは、悲しみのあるところに歓びを、争いのあるところに平和を、怒りのあるところに歓びをもたらす。
裁く気持ちが苦しみをもたらし、ゆるすことで自由になれるのではないか。
自分自身や他人に対してゆるさないと過去の出来事にいつまでも縛られている事実が、自分を不自由にしているのだと思います。
ゆるすことで見る目が変化し、世界観が広がり、常につきまとっていた心の葛藤をさらっと砂のように消えていくのではないか。
この本での「ゆるす」という意味は、誰かが不都合なことを起こして、目をつぶるという意味はなく、自分自身や他人に対しての怒りや怖れや苦しみにしがみつくのではなくゆるす。という意味である。
誰しも、信頼していた人に裏切られたり、傷つけられたり、嘘をつかれたり、失望させられたりという経験があると思う。
逆に自分自身が人を傷つけたり苦しませた経験があると思う。
他人に対してもっと寛大であるべきなのに、何かいざこざがあった時になぜゆるすことができないのかと悩んだりもします。
他人を裁いたり、恨みつづけたり、非難したり罪悪感にしがみついている自分が情けなく思う。
しかし、世の中の悪いことをゆるしてしまったら、悪いことを認めるたり同意することになってしまうのではないか?
どんな理不尽な出来事もゆるすべきなのか?裁くことが相手のためになるのではないか?
なぜ自分があんなことをしてしまったのかという後悔からの自己嫌悪から開放することができるのだろうか?
それはただのひらき開き直りにならないだろうか?
つまり本当にすべてをゆるすことは可能なのか?と考えてしまう。
本書では、ゆるすということは我慢することでもなく、妥協することでもなく、甘やかすことでもなく、犯罪に同意することでもない。
少し違う角度で世界を見てみようというアプローチなのである。
ゆるさないという憎しみや怒りに価値があるという否定的な考え方を捨てることであり、自分や他人に対して希望を見つけ良い部分は何があるだろうか。という肯定的な見方のほうが価値があるではないかという問いかけだ。
私たちが相手に一定の決まりに従ってほしいと期待するのが原因になる場合もあるだろうし、なぜ自分だけが不幸なんだろうという犠牲の精神が原因になりゆるさない感情に陥ることもあるが、
それを克服し挑戦する精神で乗り越え、感情を積極的な行動に変え、現状を変革することが真にゆるすということになるのではないか。
怒りが怒りを呼ぶ悪循環を勇気をもって断ち切ると決心することがゆるす第一歩なのである。
本で紹介されているゆるしについてのエピソードはとても興味深かった。
南アフリカのバベンバ族では、部族の誰かが不正をはたらいたり無責任の行動をとったときに、村の真ん中に一人で座らなければなりません。
村人はみんな仕事をやめ、集まって輪になり、その人を囲みます。
それから、子供も含めた全員が一人ひとり、その人が過去にした良いことについて話しはじめます。
その人の長所、善行、親切な行為などのすべてが、輪になった一人ひとりが詳しく語るのです。
その人を共同体のメンバーとしていかに尊敬しているか村人全員が話し終えるまで、この儀式は続きます。
それは数日間に及ぶこともあります。
最後に輪が崩されると、その人を部族に再び迎え入れるお祝いが始まります。
輪の真ん中にいる人も、輪になっている人々も、ゆるすことによって、過去や怖れに満ちた未来を手放せるのだと、思い出すのです。
ゆるすにはどれだけの時間がかかるのだろうか?
絶対に無理だと信じるなら、絶対に起こらない。
半年かかると信じたなら、半年かかる。
一秒ですむと信じるなら、一秒ですむ。
争いではなく平和を選択するのは自分自身なのである。
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