Staff Blog
つくば店
MMK⑦戦争はなぜ起こるのか
投稿日:2012/7/28
7343 7
私がブックオフでこの本のタイトルが目にとまった時に、自分でもなんでだろうと思うし、子供に「戦争はなんでしてはいけないのですか?」と聞かれたら何も答えられない。
私は戦争に対して理解が少ないので、このような質問をされたら「罪もない人々が理不尽に殺されていくからだ。」というテレビで誰かが言ってたことを受け売りのようにしか答えられないだろう。世界で起こってきた悲惨な戦争のことをたいして知らない自分が恥ずかしいから「正直、わからない。」とは答えないだろう。
私は、戦争はしてはいけないと考えているが戦争のことを全く知らないという矛盾にたいして恥ずかしくなった。
私のような無知による発言はほんとうに恐ろしい。原因も根拠も過程も結果も知らないのに、いや、知らないからこそ無責任なことが平気で言ってしまう自分に嫌気がさしたのだ。だから知ろうと思った。
・
戦争はなぜどうして戦争が繰り返し繰り返し起こるのだろうか?
戦争をなくすためには、どうして人間は戦争をするのだろうか?という原因を考えてみなければならない。
そして、戦争の原因になる事柄を考えて、その事柄を、戦争ではないやり方で解決するようにしなければならない。
これまでの人間が戦争の原因を見極めることができず、それを防ぐ確実な方法を発見できなかったのは、これまでの人間がバカだったからではない。多くの場合、戦争の原因を見極めるということは命がけだったのだ。
戦争の時に、相手の国ではなく自分の国が悪いのではないか。と少しでも考える人間がいるとその理屈が正しいかどうかということに関係なく、その人間は排除されるのである。こうして、多くの学者、思想家、政治運動家が殺された。
つまり戦争がしたい人間にとって都合が悪ければ排除され、戦争の原因は曖昧にされてよくわからなくなっている。
国にもよるが現在では、戦争について研究することは自由になった。しかし、外国との戦争にあたって自分の国のほうが悪かったかもしれないという研究が活発に行われていたかといえば、そうでもない。
ベトナム戦争も何百万人の死傷者になった半ばを過ぎてから、反戦運動が起こった。それまでは、この戦争はアメリカが正しいのだと考えていたのである。
自分の国が正しい、ということを信じすぎた人間は外国と争いが起こると、頭から相手の国が悪いと思い込んでしまうのである。誰も外国を侵略する国の人間は、欲が深いから外国を攻めるのだということを考えない。
しかし今、やっと人間は、自分の国が正しくて相手は間違っているという考えに疑問を持ち、自分の国に間違いがあると考える人々の行動が、戦争をやめさせる力になると考えられるようになったのである。
・
なぜ戦争が起こったのか?なぜ戦争はやめることができなかったのか?どのような仕組みで戦争が成り立っていたのか?なぜ戦争が拡大していったのか?
ただ単に、戦争は資源や利権争いで成り立っているものではなく、なぜ資源や利権が必要となったのか、どのようにして確保するのか、そして一つの原因から起こる戦争が二次、三次と負の連鎖が始まることが説明されている。
中国侵略の時に日本軍は、食糧がなくなると、占領している土地の農民から食糧を取り上げていた。当然、農民たちは日本軍を憎み、ゲリラ隊をかくまう。すると、日本軍は、ゲリラ隊を村から追い出すために、村の家を全部焼き払ったりする。ますます農民たちは日本軍を憎むようになる。その農民たちに助けられて、ゲリラ隊はますます勇敢になる。そして太平洋戦争は、政治家と軍人のプライドのために、日本が中国侵略をやめようとしなかった。
日露戦争の時には、日本人が中国の土地で、自分こそがこの土地の主人であるというよな態度で振る舞い始めると、日本人に好き勝手させないようにテロがあった。今のパレスチナや中近東での問題と同じことが、そのころの日本と中国や朝鮮との間にもあったのである。
例えば、私は自分の住んでいる『アパートA』に、いきなり近くの『アパートB』の住人がいきなり荷物を持って土足で入ってきたら私は追い出そうとするだろう。そして追い出すことが出来ず『アパートB』に無理矢理引っ越しをさせられ、『アパートB』の住人は追い出された『アパートA』の私を弱いと思ってすぐにバカにされたら、私はアパートBの住人にやさしく接することができるのだろうか。憎むことしかできないだろう。そしてなにもしていない『アパートB』の関係のない住人にも、無知により勝手に『アパートBの人間は全員悪い人間だ』とカテゴリーに分けて憎むだろう。原因とは全く関係がないのに、生まれつき優劣が決まっていて、優れた人種と劣った人種が存在するという根強い考えをとり払わなければならない。
戦争は、勝敗によりなぜか国民への差別や偏見につながっていくのである。
ベトナム戦争ではアメリカ軍がベトナム解放人民戦線の力をあなどっていた。そのためアメリカ軍の将軍たちは『もっと援軍があれば勝てる』と言い続けて、どんどん戦争は大きなものになってしまった。つまり自分たちの実力を認めなかったために、戦火が拡大、長期化し、味方の損害があまりにも大きくなり、いつまでも終わりそうにないと分かったときに、ベトナム戦争の間違いを本気で考えはじめたのだ。
結局、自分の家族の身に苦痛が迫ってきてから本気で考えたはじめたのだ。
われわれは、自分の身に苦痛が迫る前に、相手に負わせた苦痛というものを理解できるようにならなければならない。
歴史や戦争を学ぶということはただ知識を蓄えるということではなく、過去に起こったことを未来に活かすために学ぶということである。
そして学んだこと活かすことができるのは、政治を決定する国家でしか活かすことができないわけではなく、わたしたちの日常生活レベルにも活かすことができるのだと信じている。
なぜなら戦争では国家の権力者だけで行われているのではなく、権力を持たない日常生活をしている庶民も参加しているからだ。
真実を見ること。目と口を閉じて耳を傾けること。弱いからといってバカにしないこと。相手の持っているモノを奪わないこと。理不尽な力で押さえつけないこと。権利を与えること。自分のやり方を押し付けないこと。自分の利益だけを考えないこと。互いに協力し信じ合うこと。他人を利用しないこと。感情で考えないこと。自分の都合の良いように解釈しないこと。自分の実力を素直に認めること。相手に疑問を持つのではなく、自分自身に疑問をもつこと。力のある者だけが物事を動かす仕組みを作らないこと。
著者は人類がいかに平和に暮らすかという『平和学』を推奨している。
これからの世界には、これまでとは比較にならないほど、複雑でやっかいないざこざが起こること考えられる。
私たちは目の前で大きな問題に直面した時に、平和のための学習を通して解決できる準備をしておく必要があるのではないか。
この本を読んで私の中の偏見、差別、誤解、思い込みが少しづつ崩れたような気分と同時にとても恥ずかしくなった。
この記事をシェアする
サイト内投稿の検索
- トップ
- Staff Blog