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つくば店
MMK⑤犬と鬼
投稿日:2012/7/7
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この本は日本の見て見ぬ振りをする矛盾と向き合い、矛盾に対して警告をしている勇気ある本である。
そして国内から離れた視点で知られざる日本の肖像が書かれている。
まず、多額の税金が使われている日本の建設工事(公共事業)と環境について言及している。
日本で「きれい」という言葉を使うが、それは「美しい」と同時に「きちんとして清潔」という意味でもあり、ブルドーザーでならしたばかりの山腹や、コンクリートで改修したばかりの川岸を「きれい」だと勘違いしてしまう。
日本のあたらしい風土、きちっとした仕上がりの目地や路肩、幾何学的なコーナー、機械で磨いたつるつるした表面を見ると、何となく無意識にもそれを「現代的」と思いたがる。
日本の「きれい」は工業モードの行き過ぎとも言え、それは自然と街に対して計り知れないダメージを与えている。
これは先端技術を上手に身につけている国ではなく、テクノロジーのはき違え、つまり現代技術に負けてしまった証拠かもしれない。
山のてっぺんから石がひとつ落ちただけでも、それは行政が対処しなくてはならないのだ。それも大量のコンクリートと使って。
自然を共存するというのは自然をコントロールし征服するという意味ではない。
誰しも車で街を走っていると感じたことがあると思うが、なぜここに道路を作る必要があるのだろう。なぜここに大きなビルや建物を作る必要があるのだろうか。と思う時がある。
もっと他にやるべきことがあるのではないかと・・・・。理由は単純で、一部の人間の為にお金儲けになるからだ。
献金とは本来、政治家の政策に賛同し支援するものだが、現代では献金に対してこのような意味では理解し難い・・・。完全に賄賂である。
権力者に何をしたか、何をするかで評価されるのではなく、社会に対して何ができたか、何をするのかで評価され仕事をするのではないか。
そもそも公共事業予算というお金をたんまりもっている権力者に献金、談合、接待をしなければ仕事がもらうことができない社会の仕組みが悪である。
財政とは一体なんのためにあるのだろうか・・・。天下りはなくならないのだろうか・・・・。
そして矛盾を指摘することにわざわざ勇気がいるような社会にならないだろうか・・・。
「土建国家」の官僚にできること、それは建設で、大きいほどいい、金がかかるほどいい、派手はほうがいいのである。
私たちが頭に描く未来都市とはブルドーザーで森を破壊し新しいコンクリートの人工物を作るのではなく、ブルドーザーで古いコンクリートの人工物を破壊し新しい森を作ることではないか。
不便で古いものをそのまま残すということではなく、古い街や家屋に現代的な快適さを組み込むにはどうすれなよいかを考えなくてならない。
歴史的景観の保護、樹木の管理、電線の埋設、住みやすく美しい住宅の設計、広告の規制、環境にやさしいリゾート・・・・・それが新のテクノロジーだ。
古いものと新しいものを共存できている社会は世界にいくらでも存在している。
未来への希望は現代の日本のあるがままの姿、その現状を直視すること。気づき、理解し、初めて変化が訪れる。
病気を治す医者はわかりやすい。まず病人がどんな病気なのか診察し、それを治すにはどんな薬が良いかを選択すれば良いのだ。
重要なのはどんな病気なのかを知っているかどうかということだ。
今の日本は、本当は風邪をひいているのにお腹をメスで切り開いている治そうとしている状態に似ているような気がする・・。
・土木工事(目的もなく進める)
・建造物(周りの環境とニーズに無関係)
・教育(歴史や方程式を暗記させ、独自の想像力や分析力を教えない)
・街並み(古木を壊す)
・株式市場(配当を払わない)
・不動産(利潤を生まない)
・大学(就職までのつなぎ、社会に貢献しない)
・国際化(世界を締め出す)
・官僚制(真のニーズに関係ないところで金を使う)
・企業のバランスシート(粉飾決済)
・環境省(環境保護に無頓着)
・薬品(テストされていない模倣薬)
・情報(曖昧、秘密、嘘)
これらの問題は風邪かどうかわかっていないか、意図的に隠そうとして無意味に、無駄に、無意識にメスをブスブスと日本に突き刺しているのではないか。
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