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つくば店
MMK②生きるということ:エーリッヒ・フロム
投稿日:2012/6/13
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この本は、所有や消費を中心とした「持つこと」ではなく、自発的・生産的に生きる「在ること」を宗教や社会的、哲学的な視点で分析し提起している。
冒頭では、たとえ全世界を得ようとも、自分を失い、自分を損するならば、何の益があろうか。私たち目的は多くはあることでなければならず、多くを持つことではない。ということから始まる。
そして私たちは、カネや名声や力へのどん欲が人生の支配的な主題となってしまっていると・・・・。
「在ること」というのは変化を意味し、すなわち在ることは成ることなのである。そして変化と成長は生命の過程に内在する特質である。
「持つこと」に対して著者は警告している。
〈私は何かを持つ〉というこは、主体(自分)が永続的であり、客体(物、権利、力、人)も永続的であるという合意がある。
しかし、主体には永続性があるだろうか。あるいはまた客体にも。それは破壊され、失われ、あるいはその価値を失うことがあり得る。
何かを永続的に持つという言い方は、永続的で破壊できない実体という幻想に基づいている。
例えば、自分にとって愛する人がいたら、愛する人を所有している感覚ではいけないということなのだと思う。
つまり、自我や所有物に対して無意味な執着をすることだろう。
反対に〈在ること〉というのは、記録、保存、記述できない自分自身の本質のことを指している。
しかし、在ることにも条件がある。
能動的であるということ。それは、自分の能力や才能を、そしてすべての人間に与えられている豊富な人間的天賦を、表現することを意味している。
成長すること、あふれ出ること、愛すること、孤立した自我の牢獄を超越すること、関心を持つこと、与えること。
そして持つことから、在ることに変化することを促している。
新しい社会は、人間の心の中に根本的な変革が起こったときに・・・・新しい献身の対象が、現在のそれに取って代わった時に、初めて生まれるという。
つまり、自分の人生の目的、対象が根本から変わって、絶対的な意味を持つということであると思う。
人間の性格は次の条件が存在すれば、変わりうるという。
①私たちが苦しんでいて、しかもそのことに気づいている。
②私たちが不幸の原因を認めている。
③不幸を克服する方法が在ることを私たちが認めている。
④不幸を克服する為には、生きる為のある種の規範に従い、現在の生活習慣を変えなければならないことを容認している。
私は、本を読んでいて【執着】や【依存】という単語が頭の中でいっぱいになった。
なにかに執着したり、依存する。というのは恐ろしい。
例えば、お金に執着、依存するようになると自分の手に入らなければ苦しい人生になってしまうし、手に入ったときには良いが、永久的に存在する物ではないので失った時の恐怖感も同時に手にしてしまう。
自分で自分の苦しみを生み出すという、とても非生産的である。
自分自身の能力に対してもっと自立した考えを持ち、執着したほうが生産的な活動ではないだろうか。と考える・・・・。
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