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写真考察「DUST MY BROOM」 菅原 一剛
投稿日:2011/2/27
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写真考察
「DUST MY BROOM」 菅原 一剛
・どのような写真集なのか
スクラップされた缶、レールの枕木、電車のレール、車輪、ブラウン管、テレビ、冷蔵庫、畳、タイヤ、自動車などのやゴミが山積みになっている様子を写している。
それと、破砕処理されたペットボトルのキャップや圧縮された牛乳パック、シュレッダーで粉砕された木製品、ベルトコンベアのローラー部分、カット処理されたタイヤなどが写しだされている。
つまりこの写真集には、使用済みとなったゴミの集合体と、細分化されたゴミの集合体が写っている。
そしてそれはすべて再利用されるものである。
・なぜような写真を撮影したのか?
写真家は次のように述べている。
「再生するというはっきるとした目的をもった人の手が介することで、新たなものが生まれていきます。
僕はその変わっていく姿を目にするたびに大きく心を動かされてしまうのです。
もしかしたら、ここに集まるゴミたちのように、ひとたび無の状態になること。
真っ白な世界にさらされることで浮かび上がってくる事象というものは、ぼくが想像している以上に、ほかの場所でもたくさん起きているのかもしれません。
白い世界から色彩を感じ取るように、この世の中から「本当に大切なもの」を見極めたいと思うのです。
そしてその結果として、見つけることのできた「本当に大切な瞬間」こそが、未来という新しい時間をつくっていくことにつながっていくと僕は思います。
そういう意味でも「リサイクル=再生」という行為は、「本当に大切なもの」を見つけるための行為でもあるかもしれません。
だからだから何度だってやり直してみたらいい。
「やり直す」時は、常に今なのかもしれません。
そして、もしもそんな白い世界から、また新しいものが生まれてきたならば、その瞬間とそれに続く「未来」という時間を、僕もできるだけ大切にしていきたいと思っています。」
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写真家は、ゴミが再生されるのを目にして、うつくしさを感じて撮影をしている。
再生されるためには、完璧に形成されたものを解体、粉砕、圧縮、選別を繰り返し繰り返し行れ、新しいものへと生まれ変わっていく。
写真家は、それを無の状態(真っ白な世界)と表現している。
そしてそこから、部品(色彩)をつけていき、あらたな製品(生まれかわり)になっていくことが、大切な瞬間であり「未来」という時間につながっていると論じている。
私は、ゴミの写真集を見てうつくしいとは感じなかったし、ただゴミの集合体の形状のおもしろさで撮影したのだと思った。
ゴミってこんなふうになるんだぁ・・おもしろいなぁ。というレベルだ。
だが、写真家の言葉を読んでもう一度じっくり見ると、「再生されるゴミ」というなにか新しいものに生まれ変わるのだと思うと、終わったものではなく、始まるものとして確かにうつくさを感じた。
そして写真ではなく、実際に目にした写真家は、その「うつくしい」と感じた瞬間に、独自の価値観を見出したのだと思う。
ここでいう再生とはビデオやDVDの再生ではなくて、ペットボトルがTシャツになるようなことを意味している。
つまり同じ繰り返しではなくて、新たな生まれ変わりを意味している。
極端だが、再生されるゴミのように、一度形成された記憶や思想や人格が解体され、真っ白な状態になった時に本当に大切なものが見つかるのだろうか?
見つかるというよりかは、解体され裸になった時に何が一番自分にとって大切だったかを知るのだろう。
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