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つくば店
【類推】ー車は宝箱だ!!ー
投稿日:2017/8/15
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類推というのは「想像」から始まります。
カメラを握る前に私たちは「なんとなくの想像」をしてから、シャッターを切ることがほとんどです。
「あのおもちゃを使って楽しそうな姿を撮ろう!」とか「あの光がきれいだからそれを利用して撮ろう!」とか、シャッターを切るまでの過程に想像をする行為が少なからず含まれています。
撮影者が「想像」することは、撮影の準備でもあります。
写真において「想像」は設計図のようなものであり、撮影前にする「想像」によって写真の質や方向性も決定します。
準備が万全なのであれば写真の質は良くなり、準備が脆弱なのであれば写真の質は悪くなります。
「類推」は準備を万全とするものであり、写真を楽しくさせるものでもあります。
類推は、写真を撮る前に「どのように撮るか?」を想像するものであり、「それがどのような意味なのか?」と想像させるツールです。
そして、私たちが普段よく目にしているインテリアの視点をも変えさせてくれます。
想像の主題設定がその役割を果たしています。
私が今回の主題設定したのは「車には宝物がある」です。
「車」というものを想像してみましょう。
一般的に想像することが「走る」です。だから、撮影のときには運転席に座らせてハンドルを握ってもらうように要求することがよくあります。
それでは「車」というものを「宝箱である」という定義をしたら私たちはどのように想像するのでしょうか?
車を宝箱というものに置き換えてみると、私たち撮影者はハンドルを握らせる以外のことをしようとします。
この写真では、車の下におもちゃを隠して、それを探させることで、車が宝箱のような性質を持つようになります。
写真大辞典にはこう書いてあります。
子供の頃は、この世界のすべてのものがおもちゃだった。大きさが異なる石ころも枝も空缶などもおもちゃだった。それらは、自動車にでも戦闘機にでもなり、ミサイルやレーザーを発射して変身まで可能だった。そのような意味で、ロバート・プルーストは’すべてのものは、隠喩だ。‘と語った。このように、私達は子供の頃に’類推‘しながら、世界を見つめていたが大人になっていくにつれだんだんと石は類推の対象ではなくただ石として認識する。
私は、写真を自由に撮りたい。という欲求があります。
単純に撮影技術をたくさん覚えたからといって自由にはなれるわけではないようです。
カメラを握る前の準備段階の「想像する技術」というものが、自由を妨げているようです。
「これはこうだ!」「あれはああだ!」と目に見えるものを自分で勝手に決めつけてしまって、それが写真にも影響しているのです。
類推という想像する技術は、目には見えない姿であるが、シャッターを切れば、それは目に見える姿として表現されます。
写真を楽しみたいという人には、とっておきの技術になるのだと思います。
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