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時計の針
投稿日:2017/5/31
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これまで一度として「写真そのもの」に情熱を傾けたことはない。
私が愛するのは、自らをも忘れるその一瞬のうちに、被写体がもらたす感動と形状の美しさを
記録する写真の可能性だ。
そこに現れたものが呼び起こす幾何学だ。
アンリ・カルティエ=ブレッソン
私がファインダーを覗いたときに、それが被写体ではないと断定できるものがあるだろうか?
被写体は四角の世界に突如としてその姿を表れる。
まるで、そうなるべくして現れるように、私がシャッターを切るのを待っているかのようだ。
この世界のあらゆるものが私を待っている。
だからこそ、私たちが感じたままにファインダーを覗き、シャッターを押せばいい。
重要なことは、その瞬間が私のなかで愛おしい永遠になっているかである。
息と一緒に吸い込まれる埃でさえ、重要な被写体となる。
この切り取られた埃でさえ、自分もまた関係している。
同じ空間と同じ時間を今生きていることを深く考えて見ることで、被写体と自分を純粋に見ることができる。
仏教でも宗教でも哲学でもない私の隣の世界を見つめること。
過ぎ去ろうとする世界の中にきっと私を発見することができるのだと思う。
「あぁ・・」っと声を上げながら、手からすべり落ちる黄色のおもちゃは、まさにそれだった。
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