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つくば店
証明写真
投稿日:2017/5/30
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「撮られるのはそんなに嫌いじゃない」
そんな眼差しがあった。
10歳になろうとしている彼は、無邪気な子供という印象ではなく、配慮のできる子供という印象を受けた。
一言で言うと「真面目な人」と表現することができる。
彼には妹がいて、普段は仲を良いのだと思うが、スタジオでは特別に仲が良いという感じではなかった。
おそらく、人前で仲良くする恥ずかしさもあったのだろう。
スタジオにいる私たちは、10歳からすれば「大人」であり、学校や家族ともまた違うコミニティの人たちだと認識して、適切な距離を保とうと配慮をする。
子供が「かわいい」と思う理由の一つが、良い意味で距離感があまりないところだ。
人懐っこい子供だと「遊んで、遊んで」という目で見つめられ、ちょっかいを出してきたりもする。
しかし、子供はいつまでも子供ではなく、一人としての価値観と認識が形成され、少しづつ「自分」という人に自立をしていく。
それは、大人になっていく子供が「子供であること」を意識する過程でもある。
思い返してみると、自分が10歳ぐらいはどんなことを考えていただろうか?
自分には兄が2歳ずつ離れていた兄がいた。
兄の影響からか、自分の部屋でマンガやゲーム、そして学校の放課後に部活をしている姿にとても憧れていた。
「あぁ、僕もいつかそうなりたいな。」と早く追いつきたくて、子供というカテゴリからすぐにでも抜け出したかった。
それと同時に起こったのが、「家族への甘え」に対しての葛藤だった。
甘えることは子供がすることで、とても恥ずかしいことだと思っていた。
自己主張とわがままの区別がわからずに、本当に言いたいことが言えない。
家族で人前にでると、普段通りに接することができずに、わざとに仲が悪いフリもしていたこともある。
とにかく、恥ずかしさがあった。
そんな境界線の世界にいるのが「10歳」なのではないかと私の経験上では思っている。
彼もすべて同じというわけでないだろうが、彼のなかに私を見た気がした。
私はファインダーを覗きながら「もっと自己主張していいんだよ。」と思いながらシャッターを切った。
この1枚が大人になる過程の記録写真を超えて「私だ」という尊厳を持ち続けられるような証明写真になることを願う。
この1枚の写真を分析してみるとこうだ。
①大胆な圧縮効果 ②被写体と対比する前ボケ ③10%の光の持つ力
この3点が連結され、この1枚の写真の核心を形成している。
①大胆な圧縮効果
望遠レンズによる圧縮効果とは、被写体をより大きくするという大胆に見せる効果を持っている。
上下の頭と足をフレーミングからあえて外すことで圧縮効果をより引き出している。
そして、顔の四分の一も柱で隠すことで、圧縮効果が得られているが、すべてを見せない抽象性を含んでいる。
基本的には、四角のフレームに被写体の一部が切られていることは良くないとされる。
しかし、切られていることが自体が1枚の写真として効果的であれば問題がない。
②硬と柔の対比効果
対比というのは、二つのものを並べたときに、その違いによって得られる効果である。
例えば、白と黒を並べて撮影した場合、その違いが互いが互いの特性を引き立てるという効果が対比というものである。
この写真の場合であると「硬と柔」である。
被写体が「硬」であるのに対して、前ボケのカーテンは「柔」である。
「硬」というイメージは、被写体が男であることや、衣装、ライティングが影響している。
「柔」というイメージは、カーテンの素材、白という色が影響している。
この二つを並べることで、硬はより硬になり、柔はより柔のイメージを強調することができる。
③10%の小さな光の持つ力
被写体に影響している光を見たときに、光の割合を考えると10%ぐらいだ。
10%の小さな光が持つ力は大きい。
適切に被写体に当たるようにすれば、写真のイメージが決定的になるという特徴を持っている。
10%の小さな光は明暗が表現が安易である。
この写真を見てもわかるように、顔半分に当たっている10%の小さな光にまず目がいくように、それ以外の90%の部分が露出比によって、暗くなっている。これによって光と影がわかりやすく目に見えるように表現されている。
撮影を終えてみると、彼は一息ついて、楽しそうにボールで遊んでくれた。
たくさん走るし、たくさん笑う。そして、たくさん汗もかいた。
そんな彼の姿が少年から大人へなっていくと思うととても愛おしく感じた。
今のままで、でも未来へ。
変わってしまう寂しさと変わっていく嬉しさが混合する感情をなんと言うのだろうか。
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