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抽象化

投稿日:2017/3/28

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写真を抽象的にどうやって撮影しようか?と悩む時に、曖昧な写真が頭に思い浮かぶ。
それは単純に抽象の反対が具体であるためである。
しかし、写真は目の前の現実を対象としているため、どうやっても具体的な写真になってしまう。
それは当然のことでありながら、私たちが考えている写真の固定概念でもある。
スタジオのインテリアは「誰でも簡単に良い写真が撮れる」という構造を持っている。
10年間の修行が必要であるわけではなく、基礎的な写真の練習を3か月ぐらいきちんと行えば顧客のニーズに応えられる写真が撮ることができる。 
これはライフスタジオの特性でもあるが、撮影者に訪れるのは写真の楽しみではなく、写真のつまらなさである。
撮影は自分が持っている写真のエネルギーを1枚の写真に投げ入れていき、モニターの時に顧客がその1枚に対して驚くような声を上げた時に、
私たちの仕事が楽しみに変化する瞬間でもある。
そのためには、自らが自らの写真の固定概念を変える努力、自らが自らに撮影を楽しませる条件を作らなければならない。
私にとっては抽象化はこのような効果を持っていた。
抽象化をただ曖昧な写真を撮ればよいわけではない。
被写体の本質を1枚の写真に凝縮させる行為が抽象化である。
私はなにを撮ろうとしているのか?と質問しなければならず、これに対して悩まなければならない。
その手法は、他の要素を最大限に除外し撮影する。だ。
私は、被写体の自由な存在という本質を1枚の写真に表現しようとした。
私は自由という言葉が好きであり、それは誰でも持っている欲求でもあると考えている。
結局のところ、自由は自己実現である。自分の人生を楽しむことでもある。
しかし、多くの人生の時間と比例して、不自由になっていく感覚に陥る。
なにが私を不自由にしているのだろう?
だれが私を不自由にしているのだろう?
自己実現という人生を楽しむためには、不自由にしているものを勇気を持ってさよならをしなくてはならない。
本当に価値があるものは、私以外に在るのでなく、いつも一緒にいる私である。
この1枚の写真の重要なポイントはそこである。
着ているモノを脱ぎ捨てて、裸になった姿は美しい自由な姿を象徴している。
望遠レンズで窓に反射する光を取り入れながら、同時に背景も単純化させて、白のイメージを1枚の写真に統一化させている。
白は実際のものを軽く感じさせる効果を持っている。
軽い印象は、私たちが望んでいる自由な印象と連結することが可能である。
リラックスしたような自然なポージングは、より被写体の自由さを表現している。
しかし、本当の意味で自由にはなれていない。自分が自分を不自由にしているからである。
この表現をしているのが、被写体の体に写りこんでいる黒い網目の線である。
なにかを邪魔するフェンスのような網目の線は、私以外のすべてを捨て去ったとしても、私から作られてしまう。
「これはなんだ?」と見つめる少年の視線の先には、自分を不自由にさせる異物なそのなにかである。
これは少年がそうであることではなく、撮影者がそうであるからである。
被写体の本質を撮影するために、他の要素を最大限除外して撮影する抽象化だったが、最後に写真に残ったのは「私自身」であった。
写真を抽象化することは、私の今を表現した写真という結果になったことは意外だったが、「どうやって撮ろうか?」と考える行為は、撮影を楽しむ条件であるには変わりがない。

    

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