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写真館とは・・・・。
投稿日:2017/1/31
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写真館とはどのような企業なのだろうか?
私たちは「写真館」という単語を聞いてイメージするのは、商店街に今にも潰れそうな建物で「暗くて古い雰囲気」だった。写真館業界の時代が発展すると、「明るくて新しい雰囲気」になっていき、どこに行っても見かけるような大手チェーン店に進化した。しかし、「料金が高い」ということは変わらずに、限られた特別な節目の日だけに行く場所になっている。そして、競争力は「衣装」や「キャラクター」、「割引イベント」が中心になっており、「写真」や「空間」、「システム」は顧客のニーズとは合っていない印象を受ける。そうした、日本の写真館のイメージは「固い」だ。
なぜそうなったのか?を考えてみると、写真館の歴史で説明ができる。
写真館の出発点を辿ると、自分の姿を次の世代に残していく必要があった貴族や富裕階級の「肖像画」から実は始まっている。
カメラが発明されると、絵の具ではなく写真で自分の姿を残すことが主流となり、少しずつ普及するようになる。しかし、昔のカメラはcanon製品のような高性能ではなかったため、多くの露光時間と多くの光を放つストロボ機材を必要としたため、顧客は「実験体みたいに動かないこと」が条件だった。
その空間は、巨大なストロボと背景紙、そして複雑なカメラ機材で構成されている。またストロボが自然光に影響されないようにカーテンは常に閉められており、薄暗いという印象を受ける。
撮影者は数えるほどの写真の構成要素のみ撮影を行わなければならず、顧客を単純な型にはめ込む仕事をするようになる。まるで工場で生産される商品のように機械的にシャッターを切っていくのが昔の写真館であった。
このような習慣が現代の写真館にも反映されるようになった。
だから、どこかで「写真館は固い」というイメージが払拭されずにいるのではないだろうか。
こうした日本の写真館の「固い」概念を変えようとする動きが、まさにライフスタジオの一つの存在理由である。それは、顧客が自然にそして自由になれる空間と同時に、私たちも自由になれる空間に向かっていくことを意味している。
現実を見てみると顧客は従来の写真館と比較して、料金やシステム、そして写真から自由になったと言えるが、果たして私たちは私たちの空間から自由になったと心の底からそう思えるだろうか?
決められた場所で決められたようにシャッターを切っていないだろうか。
それが「当たり前」であるという価値観ならば、誰かに呪いをかけられている。
日本の写真館の概念を変えるとは、既存の写真館とは別のシステムを提供することではなく、ライフスタジオで働くスタッフの概念を変えることだと聞いたことがある。
概念を変えるとは考え方を強制するようなことではなく、私たちの目の前の現実が変わっていくためにあるのである。
写真とはなんだろう?仕事とはなんだろう?人生とはなんだろう?
私たちは、どのような概念なのかによって、どのように行動するかが決まっている。
だから、私たちは私たちの概念を問わなければならない。
「私の写真とはなんだろう?」と。
もちろん世界に正解があるわけではない。
概念は誰かから教えられるものではなく、自分が「こうだ!」と自分の人生を楽しくさせるようなことを基準に自分が決めればいい。もしかしたら「なにかつまらない」という不自由さは誰かに決められたことを、決められたようにしていたからかもしれないからだ。
写真1枚にしても、自分が決めて自分が規定することで、もしかしたら写真が楽しくなる原動力になるのだと思う。
ハーフ成人を迎えた女の子は、礼儀正しくとてもおとなしい子だった。
小学生高学年になり、小学1年生から見ればお姉さんであり、逆に小学1年生は子供のように感じるだろう。そういった学校環境のなかで、お姉さんと見られていることを自然と意識するようになり、仲良い友達と話すことと、大人と話すことを良い意味で区別しているような感じだった。
だから、社会という外の環境では「ちゃんとしなきゃ」という小さな緊張と、相手を配慮する態度がおとなしさに表現されたのだろう。
私は、この緊張を絡まった糸を解くようにしてあげ、被写体が自然で自由な美しい姿になるように動かしてあげることが、私の使命だと思った。
なぜなら、草加店のコンセプトはforestだからだ。それは単純に森のように植物がたくさんあるスタジオではなく、私が考えるに「私とあなたが自然に、そして自由になれる空間がforestである」と私は規定した。だから、この写真は「スタジオがまるで子供部屋のような空間」のイメージを演出している。
ポイントは以下の通りである。
【意味のある被写体の動き】
この子はバレエを習っている。バレエのことは詳しくないが、細かい手と足の動きでその美しさを表現する。しかし、本番のようなバレエのポーズをさせてしまうと、子供部屋のような空間に違和感が出てきてしまう。自然にバレエの練習をしているかのようにしたかったため、右足のつま先を伸ばしてもらい、
手は後ろに伸ばして、背中の筋肉を解すようにすることで、リラックスしているような印象になっている。
私とバレエの日常的な関係を表現した自然な動きである。
【空間整理の柱】
この写真には多くの写真の構成要素がある。言い方を変えると複雑にできた写真なのかもしれない。
子供部屋という空間イメージを表現するためには、多くの構成要素を配置する必要があった。
柔らかいソファー、ソファーに散らかっているコップや洋服、背景にある植物やその他の小物・・・・・。
このような複雑な空間を整理するために、水平垂直のバランスをとる柱を利用した。
柱は直線であり、写真のフレームをつくるように利用すれば、バランスは確保され複雑な写真の構成要素を包括する特徴を持っている。
【1:9の光バランス】
この写真は90%以上が自然光で構成されている。残りの10%はガラスに映りこんだ暖色系ライトの反射だ。この10%の役割は大きい。もし、この10%がなかったら、平面的な写真になってしまう。空間を演出するため、光と影のように写真が立体的な視覚的効果を得るために、とても重要だ。
また、それと同時に暖色系の持つ「温かい、明るい、元気」という被写体イメージにも影響を与えている。
【質感の同居】
空間整理の柱は写真を安定化させるために必要だったが、あまりにも柱の直線が多いと「作られている」というイメージを持ってしまう。柱の直線はどうしても「硬い質感」になってしまうからだ。
しかし、天井に吊るしてある布や背景の植物の曲線、ソファーが沈むときのしわなどの「柔らかい質感」
を同居させることで、お互いがお互いの質感を緩和している。
ライフスタジオの撮影空間とはなんだろうか?
今一度考えてみると、楽しいという水準を超えて、スタッフと被写体が自由に表現できるスペースとして在るのではないか。私はこの子と出会わなければ、おそらくこのような写真は写せなかっただろう。
私はこの子に自由にしてもらったのかもしれない。
だから、被写体1人に対する特別な1枚を探求することを私とあなたのために続けていかなければならない
私たちは「写真館」という単語を聞いてイメージするのは、商店街に今にも潰れそうな建物で「暗くて古い雰囲気」だった。写真館業界の時代が発展すると、「明るくて新しい雰囲気」になっていき、どこに行っても見かけるような大手チェーン店に進化した。しかし、「料金が高い」ということは変わらずに、限られた特別な節目の日だけに行く場所になっている。そして、競争力は「衣装」や「キャラクター」、「割引イベント」が中心になっており、「写真」や「空間」、「システム」は顧客のニーズとは合っていない印象を受ける。そうした、日本の写真館のイメージは「固い」だ。
なぜそうなったのか?を考えてみると、写真館の歴史で説明ができる。
写真館の出発点を辿ると、自分の姿を次の世代に残していく必要があった貴族や富裕階級の「肖像画」から実は始まっている。
カメラが発明されると、絵の具ではなく写真で自分の姿を残すことが主流となり、少しずつ普及するようになる。しかし、昔のカメラはcanon製品のような高性能ではなかったため、多くの露光時間と多くの光を放つストロボ機材を必要としたため、顧客は「実験体みたいに動かないこと」が条件だった。
その空間は、巨大なストロボと背景紙、そして複雑なカメラ機材で構成されている。またストロボが自然光に影響されないようにカーテンは常に閉められており、薄暗いという印象を受ける。
撮影者は数えるほどの写真の構成要素のみ撮影を行わなければならず、顧客を単純な型にはめ込む仕事をするようになる。まるで工場で生産される商品のように機械的にシャッターを切っていくのが昔の写真館であった。
このような習慣が現代の写真館にも反映されるようになった。
だから、どこかで「写真館は固い」というイメージが払拭されずにいるのではないだろうか。
こうした日本の写真館の「固い」概念を変えようとする動きが、まさにライフスタジオの一つの存在理由である。それは、顧客が自然にそして自由になれる空間と同時に、私たちも自由になれる空間に向かっていくことを意味している。
現実を見てみると顧客は従来の写真館と比較して、料金やシステム、そして写真から自由になったと言えるが、果たして私たちは私たちの空間から自由になったと心の底からそう思えるだろうか?
決められた場所で決められたようにシャッターを切っていないだろうか。
それが「当たり前」であるという価値観ならば、誰かに呪いをかけられている。
日本の写真館の概念を変えるとは、既存の写真館とは別のシステムを提供することではなく、ライフスタジオで働くスタッフの概念を変えることだと聞いたことがある。
概念を変えるとは考え方を強制するようなことではなく、私たちの目の前の現実が変わっていくためにあるのである。
写真とはなんだろう?仕事とはなんだろう?人生とはなんだろう?
私たちは、どのような概念なのかによって、どのように行動するかが決まっている。
だから、私たちは私たちの概念を問わなければならない。
「私の写真とはなんだろう?」と。
もちろん世界に正解があるわけではない。
概念は誰かから教えられるものではなく、自分が「こうだ!」と自分の人生を楽しくさせるようなことを基準に自分が決めればいい。もしかしたら「なにかつまらない」という不自由さは誰かに決められたことを、決められたようにしていたからかもしれないからだ。
写真1枚にしても、自分が決めて自分が規定することで、もしかしたら写真が楽しくなる原動力になるのだと思う。
ハーフ成人を迎えた女の子は、礼儀正しくとてもおとなしい子だった。
小学生高学年になり、小学1年生から見ればお姉さんであり、逆に小学1年生は子供のように感じるだろう。そういった学校環境のなかで、お姉さんと見られていることを自然と意識するようになり、仲良い友達と話すことと、大人と話すことを良い意味で区別しているような感じだった。
だから、社会という外の環境では「ちゃんとしなきゃ」という小さな緊張と、相手を配慮する態度がおとなしさに表現されたのだろう。
私は、この緊張を絡まった糸を解くようにしてあげ、被写体が自然で自由な美しい姿になるように動かしてあげることが、私の使命だと思った。
なぜなら、草加店のコンセプトはforestだからだ。それは単純に森のように植物がたくさんあるスタジオではなく、私が考えるに「私とあなたが自然に、そして自由になれる空間がforestである」と私は規定した。だから、この写真は「スタジオがまるで子供部屋のような空間」のイメージを演出している。
ポイントは以下の通りである。
【意味のある被写体の動き】
この子はバレエを習っている。バレエのことは詳しくないが、細かい手と足の動きでその美しさを表現する。しかし、本番のようなバレエのポーズをさせてしまうと、子供部屋のような空間に違和感が出てきてしまう。自然にバレエの練習をしているかのようにしたかったため、右足のつま先を伸ばしてもらい、
手は後ろに伸ばして、背中の筋肉を解すようにすることで、リラックスしているような印象になっている。
私とバレエの日常的な関係を表現した自然な動きである。
【空間整理の柱】
この写真には多くの写真の構成要素がある。言い方を変えると複雑にできた写真なのかもしれない。
子供部屋という空間イメージを表現するためには、多くの構成要素を配置する必要があった。
柔らかいソファー、ソファーに散らかっているコップや洋服、背景にある植物やその他の小物・・・・・。
このような複雑な空間を整理するために、水平垂直のバランスをとる柱を利用した。
柱は直線であり、写真のフレームをつくるように利用すれば、バランスは確保され複雑な写真の構成要素を包括する特徴を持っている。
【1:9の光バランス】
この写真は90%以上が自然光で構成されている。残りの10%はガラスに映りこんだ暖色系ライトの反射だ。この10%の役割は大きい。もし、この10%がなかったら、平面的な写真になってしまう。空間を演出するため、光と影のように写真が立体的な視覚的効果を得るために、とても重要だ。
また、それと同時に暖色系の持つ「温かい、明るい、元気」という被写体イメージにも影響を与えている。
【質感の同居】
空間整理の柱は写真を安定化させるために必要だったが、あまりにも柱の直線が多いと「作られている」というイメージを持ってしまう。柱の直線はどうしても「硬い質感」になってしまうからだ。
しかし、天井に吊るしてある布や背景の植物の曲線、ソファーが沈むときのしわなどの「柔らかい質感」
を同居させることで、お互いがお互いの質感を緩和している。
ライフスタジオの撮影空間とはなんだろうか?
今一度考えてみると、楽しいという水準を超えて、スタッフと被写体が自由に表現できるスペースとして在るのではないか。私はこの子と出会わなければ、おそらくこのような写真は写せなかっただろう。
私はこの子に自由にしてもらったのかもしれない。
だから、被写体1人に対する特別な1枚を探求することを私とあなたのために続けていかなければならない
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