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湘南店
『 kodomotachi 』
投稿日:2020/6/26
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『 kodomotachi 』
No.24 Life studio Shonan
photo : Masashi Kuroki | coordi : Izumi Saito
「どうしても写真が撮りたくなって来ちゃいました」
空からは梅雨の訪れを知らせるかのようにシトシトとしている中、子どもたちの元気な挨拶のあとママさんから出た言葉です。
なぜか無性に写真が撮りたくなったとの事でしたが、今回は入学でも七五三でもないので「写真を撮りに来る理由」が見当たらなく悩んでいたそうです。
でも、数日後がお兄ちゃんの誕生日だという事に気付きその理由付けが出来たので決心したそうです。
「ママさん!誕生日もおもいっきり記念日ですよ〜」とその場は笑いで包まれましたが、私は理由付けする前のママさんの「無性に撮りたくて」という気持ちについてこう返しました。
「ここ最近は同じ気持ちで来られるご家族が多いですよ」と。
実際、つい数日前も「なぜか家族みんなで写真を撮りたくて〜」と足を運んでくれたご家族がいました。
人の真理として、自由な時間が出来たら「美味しいものを食べに行こう!」や「旅行に行こう!」「映画を観に行こう!」など様々な欲求があると思います。
その中の一つとして「写真を撮りに行こう!」も入っているのでしょうが、今回は単に空いた自由な時間というわけではなく、一度世界規模で行動を制限をされてからのひと時の開放であり、もしかするとまた制限されてしまうかもしれないという不安要素も同居するある種特別な期間なのかもしれません。
それと写真が関係しているのだという確信はありませんが、どうやら無関係というわけでもなさそうです。
私自身、撮る側として立場は逆ですが撮影をする事が出来なかった期間「早く撮りたい」「家族の今を残したい」と強く感じていました。
この気持ちは少なからずスタッフの多くが感じていたことでしょう。
単純に、毎日している仕事が出来ないもどかしさや多少の不安などもありましたが、何より強く感じ、改めて実感したことは「写真に残す大切さ」でした。
おそらく、撮る側の立場でこう思うのなら撮られる側であるご家族は無意識の内に尚更こう思ったのかもしれません。
彼らと始めて会ったのは四年前。
当時、五歳と一歳半だった二人はシャボン玉を追いかける姿が純真無垢でとても素朴な眼差しをしていました。
そんな光景を見ていて過去の記憶とリンクしたので『私の文芸座』というタイトルで当時のフォトジェニックに掲載させてもらいました。
その次の年も彼らの無垢な瞳は変わらずでした。
それから少し間を空けること三年、ママさんの「無性に写真を撮りたい」という想いのおかげでまたこの二人の「無垢」を目の当りにすることが出来ました。
ママさんの「撮りたい」と私の「撮りたい」。
言葉は全く同じですが立場上その意味は多少異なっているでしょう。
しかし、そこに垣根を作らせない共通の想いが私たちにはありました。
「写真に残す大切さ」という想いが。
今この時だからこそ改めて感じる事が出来たその想い。
そんな想いを胸に、そして彼らの無垢を無垢として捉えるため、あらゆる選択をして最終的に無垢になれた自分から出た答えは、ボキャブラリー不足な言葉になりますが「こんなハッピーな写真」でした。
遠い昔から今まで人はずっと写真を残し続けています。
だからこれからも永遠に無くなることは無いでしょう。
またスタジオに子どもたちの声が帰って来ました。
「理由」なんて無くったっていい。
私たちが「その理由」になれればそれでいい。
そして写真と一緒にみんなで始めましょう、新しい生活を。
Written by Masashi Kuroki Shonan
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