Staff BlogShonan

Masashi Kuroki
湘南店

黒木 昌史

宇宙の端っこってどうなっているかって知っていますか?

そんなの誰にも分からないですよね。
そんな分からない事を日々想像している人間です。
小さい時に本屋で見たUFOとネッシーの本がそんな自分を作ったはじまりです。

写真を愛し、ギターを愛すバンドマンでもあります。
みんなを笑顔にすることが自分の生きる糧となっています。

I'm Rock

『 ユメ、カナエ 2 』

2017/4/14

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No.24 Life studio Shonan

Photographer : Masashi Kuroki

Coordinater : Akimi Yoshikawa

 

 

  「単純に見えるものほど踏み込むと難しく、難しいからこそ出た結果は普遍的なものとなる」

 

 

私は何でも出来る人間よりも何かひとつでいいから秀でた人間になりたいと思っていました。

これは小学校の頃からそう思っていました。

しかしその「何か」というものはその時期によって変わってゆき、一年中半ズボンでガリガリでカサカサな足を出しながらいた小学校の時代は「漫画」をひたすら描いていました。

そしてその漫画が「映画」になり、その映画が「音楽」となり今は「写真」になっています。

結局、何かを秀でているのか?と言われればそれは分かりませんが未だにその全てに関しては半中毒のように抜けられずにいます。

しかし、このいくつもの「何か」を通して来て今思う事は、その全ての事が他者からの共感や反応を得られることであり、何より自分自身が必然として「夢中になれること」でした。

そして私は今、写真に夢中です。

夢中で追いかければ追いかける程分からなくなることもありますが、「自分の撮りたいもの」がはっきりもしてきます。

私が撮りたいもの、それは「ドキュメンタリー」です。

それは、人の生き様や報道のような時代の動きであったり、その瞬間を逃したらもう二度と撮り直しの利かないもの。

こう言ってしまうとこのライフスタジオでの写真とは少しかけ離れているように感じますがそれほどかけ離れてもいないような気がします。

それは私がここで撮る写真に関して最も夢中になるのは「家族写真」だからです。

家族写真には「子どもを笑顔で見守る親」が写し出されます。

まずその写真の主体となるのは「子ども」です。

しかしそこには、その子どもを見守る親自身の生き様、そして子ども達ほど顕著には現れませんが親自身の成長も写し出されています。

だからこそ私にとってみれば家族写真はれっきとしたドキュメンタリーなのです。

 

少し話を戻しますが、私はドキュメンタリーを撮りたいと言いました。

しかし、ライフスタジオではある種の「自然な写真」を作るために様々なディフォルメをします。

そのディフォルメはある意味ドキュメンタリーとは反対に位置するものです。

そして、そもそも私が撮りたいと望んでいるものとその家族が望むものとが一致しない事にはいくら自然であってもドキュメンタリー要素が強くとも全くもって意味がありません。

 

 

湘南店では今年の始めから半年間、家族と真正面から向き合いそのご家族だからこそのある種ドキュメンタリー性の強い家族写真を残すよう集中してきました。

その取り組みの名称はその意味の通り「Session」

セッションとはミュージシャンが各々の楽器とで合わせて曲を奏でること。

主体を父から母、母から子、そしてみんなで、と変化させ撮影者とコーディネーターとも一体となりその瞬間にしかない写真を作り出す。

この取り組みにより多くを学びました。

それは「より自然にそしてドキュメンタリー性を強くする写真を残すためには、より近くそして深く家族に近づかなければならない」と。

 

このご家族とお会いするのも今回で四回目。

年数にするともう四年以上が経っています。

再会する度に感じる子どもの成長は勿論のこと、父と母の成長も合わせて記録しています。

そして私自身の成長(又は老い?)もこのご家族には自然と見せていることになります。

だからこそ撮影に入るのにも説明は必要ありませんでした。

遠く西から見守る仲間も含めて、お互いを知っているからこそカメラの前に現れる「家族のドキュメンタリー」

 

そこでそのドキュメンタリーをより活かすため、光源が左から家族の真ん中に差し込み立体感を生むようにし、その姿を間近で見ながらフォーカスを合わせる。

どこに合わせるか?

それによってその写真の意味は変化します。

しかしこの瞬間は迷うことなどありませんでした。

迷う事無く「父の視線」に合わせました。

そうすることでその視線が見つめる先の子と奥から見守る母との三人のドキュメンタリーが完成するのです。

そして一点の重心を決めフレーミングをします。

その一点の重心とは三人の視線が描く三角形の中心部分です。

「核心的な重心」が見極められればその写真のフレーミングは自ずと決まります。

核心的な重心とは例えて言うのならば、この写真をまず写真としてプリントし、裏側からその重心に向け針を垂直に刺します。

そしてその針の上で写真を回転させると綺麗な円を描いて回り続けるであろう点を指します。

 

単純であるように見え一見して特別なものでもない。

冒頭で記したことは、かなり飛躍して例えるならば、カップラーメンで言うところのカップヌードル。チョコレートで言うところのアポロなどでしょうか。

もう変えることも無い、変わる必要も無く永遠に残り続けるであろうもの。

ある意味これらは何かしらが秀でているものなのでしょう。

写真においても少しでも多くそういった意味を持つ写真を残していきたいと私は考えています。



 


              そして、以前に願った「夢」が少しずつ近づいて来ている。

                だからこそ、これからもずっと「ユメ、カナエ」









































 

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