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下関店
photo 5th-1
投稿日:2013/5/10
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どうにかなることと、どうにもならないことがある。
なぜ、わたしは、この後ろ姿を撮らずにはいられなかったのか。
制服を着てはしゃぐ、学校のこどもたちと。
現状では絶対に中に入れない裸足の少年。
なにが、そう、させているのか。
分からないわけではなかった。
1975年から1979年。
それよりも前にも、それよりも後にも、歴史として様々な局面を迎えたカンボジアであったが、
この5年間という間に何が起こっていたか、知っている人はどれだけいるだろうか。
わたし自身そこまで知らなかったという事実の中で、知らないままではいられないと思い、
カンボジアに足を踏み入れそして帰国してからもなお、ずっとこの時代とそして現在のカンボジアについて調べていった。
人とは何か。国とは何か。
わたしが生まれるほんの少し前の時代の事実は
到底信じられないようなことのようで、それでも現実だった。
あの日見た、山積みになったひび割れた頭蓋骨の山は、間違いなく本物だった。
この5年弱の中で出た死者は、100万人とも200万人とも、340万人とも言われる。
正確には把握できないそうだ。
しかしながら100万人だったとしても、、、
これは失われるべきであった命だったのだろうか。
1979年。
親であっても信じない、それが国を作る為の政策のひとつだった。
純粋国家建設という理想政策の終息を迎えた一つの時代で残った市民の80%は14才以下のこどもたちであったそうだ。
80%がこどもたち。それが何を意味するのか?想像をすれば分かることもある。
あれから35年足らず。
カンボジアは自国だけではなく他国の協力のもと発展もしたし、成長もした。
何百万円もの高級車とディスコで賑わう町も見受けられた。
その奥では、覚せい剤を吸うこどもたちもいた。
村の中にも格差を感じた。家族間でも、おとなとこども間であっても。
おとなたちは割とサンダルをはいているのに、
そこらじゅうに鋭利なゴミが落ちている中でこどもたちは裸足だった。
すぐに足が大きくなるから、と、その基準で与えない、というのもひとつだと思う。
そして、自分たちも、そうだったから、と割り切れる考えが続いているのもあるだろう。
あの時代の記憶も影響も残っている。
なにがいい、とか、悪い、などわたしはまだ言えないが。
資本主義と民主主義というものは、真に理解されなければ断絶を生む。
それは、カンボジアに限ったことではない。
人と人、人と国。そこに、社会と教育は関わりを持つ。
どうにかなることと、どうにもならないことがある。
どうにかしようと諦めないこともできる。
この少年は、何を想っていたのだろうか。
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