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下関店
平和
投稿日:2023/2/28
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わたしが生まれた日、心から悲しんだ人と心から喜んだ人がいたということが昔から複雑だった。
なんで戦争ってなくならんの?
小さい頃からよくおとなに聞いて回った。
ある人は、
争いの全ては宗教戦争だと言った
信じるものが違うから争うのだと
ある人は、
正義と正義がぶつかってるだけだと言った
その時は正義が何かよく分からなかった
ある人は、
支配したいかされたいか利用してるかされてるか決めるためのもの、そんなことを言った
またある人は、
お金持ちの暇つぶしだと本当にそう言った
お金がもっとほしいからだよ、その言葉を聞いてばかみたいだと思ってしまった
日本で戦争という目に見えたものがなくても、いつも世界のどこかで戦争は起きていた。
日本で戦争という言葉がなくても、いじめも争いも殺人も自殺もなくならない。
日本は平和だと聞くたびに、平和が何か分からなくなった。
生きるための戦いは毎日起こっていて、生まれてからずっと本当に平和だと思えたことがなかった。
けれど今こうしてこどもたちの姿を見ていると、どうか毎日が平和であってほしいと思ってしまう。
何も心配せず明日を楽しみに眠りについて、安心して目を開けて、今日は何をしようか楽しみで動き始める、ただそんな日々が続いてほしい、そんなふうに思うようになった。
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遠くのおうちから車に揺られパジャマのまま半分寝ぼけてやってきた女の子。
突然着物に着替え始めてもきっとびっくりするだろうから、ゆっくりゆっくりスタートした朝。
太陽の動きは365日毎日違う。
自然光での撮影というのは響きは良くともいつもどうしようか常に考えなければならないからこそ何年経っても慣れることはない、けれどそれが逆に飽きずに楽しめている理由でもある。
晴れていても曇っていても雨が降っても毎日違う光があって、この日は秋から冬にかけての短い期間にだけ差し込む朝日がとても綺麗だった。
ねぼけまなこの愛しいパジャマ姉妹の目が少しずつ覚めるよう「猫ちゃんみたいにひなたぼっこしよっか」小さく声をかけてひだまりに誘う。
自然体の美しさと、もう少しまだ組み立てられそうな隙間を見ながら「気持ち良いねぇ、おねえちゃんのおなかのまくらも気持ちいいかなぁ」なんて、3歳の子にも伝わる言葉でのんびりと伝える。
少しあった隙間が埋まりイメージしたようなゴロゴロ姉妹の温もりを感じるような柔らかい瞬間。
伝わるように伝える。
声の大きさもトーンも速さも、いつもその時々で変えながら、今の姿に響くものを考えていると、共鳴した瞬間にまたその人を見つけ感じることができる。
お互いに気持ち良く過ごせる時間は何よりも嬉しくて平和だ。
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朝。
十月十日。
ひとは、母親のお腹で長い間育まれ、そして生まれてくる。
まぶしい朝日を受けるように、
お腹から出てきた時はまぶしいのかなぁ、なんて。
毎朝カーテンの隙間から入る光を感じながら空を眺める。
人は毎日、うまれているらしい。
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そんなことを10年前にも書いていた。
10年前と今と、変わったようで変わらないことがある。
朝を感じ、光を感じる。
当たり前のようでしあわせなこと。
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