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baby*souta
投稿日:2013/4/21
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photo by kawano codi by hyougo . yang
あなたはしゃぼんだまが好きですか?嫌いですか?
そんなことを1歳を目の前に言ったりはしません。
まだ、言葉で話合えないこどもたちにとって、好きか嫌いかを、いちいち聞いたりしないものです。
まず、やってみる。
そして、その反応を見てみる。
ひとつのきっかけで知れる、感じ取れる、気持ちや心は無数にあるのです。
しゃぼんだまを吹いて、何も反応しない子は、まだまだ警戒心があってそれどころじゃなかったり、
泣いてしまう子は、自分の世界に入られることを嫌がったりします。
たくさんのしゃぼんだまを見てみとれる子、大きいしゃぼんだまを見て目を輝かせる子、
出ると思ったら出なーいで笑う子、それはそれは、しゃぼんだまの出し方で数えきれないほどの反応があります。
この子の場合は、しゃぼんだまだけではなく、しゃぼんだまを出しながらおもしろい顔や声で、反応して笑っている、そんな様子でした。
好きか、嫌いか、ただ、それだけではない。
好き、嫌い、良い、悪い。
言葉にすれば極端な中に、計り知れないほどの幅があります。
ただ、そういうものを言葉にするだけで安心したいだけかもしれないけれど、本当の本当は、心の中にあるものだと思います。
言葉になんかできないくらい。
そして、ひとり、ひとり、違っている。
そういうものを大切に、したいんです。
感じて。色々やってみて。通じ合う。
なんで笑っているのか?そう言われれば、なんでも、って、そう思います。
そこには、安心して、一緒に楽しめているからの、しゃぼんだまを介してのつながりで笑っている、ということだと、
わたしはこの1枚を見て感じるのです。
敏感に、敏感に。
そうして、パパとママだけではなくて、
出会ってしまった、この時間の中で、
あなたを大切に思うおとなが、いる、ということを感じてもらえれば嬉しいです。
生き生きと。健やかに。まっすぐに。
そう願わずにはいられない毎日です。
言葉が交わせれば交わせられるだけ、便利な部分と、本当には分からなくなる部分もあります。
おとなになればおとなになるほどに。出会えば出会うほどに。
言葉が壁を作ってしまうこともあるかもしれません。
そんな時に、無邪気に心のままに反応するこどもたちを見ていると、
ただ、素直に、いられれば、と思います。
言葉にしなくても、感じられるように。
大切に。大切に。
おとなにとってのしゃぼんだまはなんでしょうか。
なんて。
スタッフが本気でしゃぼんだまをやっている横でいつも私も笑ってしまいますが。。。(みんな体はってます)
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