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下関店
03
投稿日:2013/3/10
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土をいじりながら、葉っぱを触りながら、
のんびり一緒に遊んでいた。
葉っぱに穴を空けて、また渡してみる。
ねぇ、そっから何が見えるん?
どこに言っても相変わらず、日本語で話してしまう。
こどもたちはそんなこと気にしない。
ただ、おもしろかったらついてくる。
こどもたちに対して、なにも定義するようなことはしたくない。
ただ、この小さな手や、体が大きくなるまでに、たくさん笑ってほしいと思う。
悲しそうな目で「イチダラー」とせがむこどもたちが多くいた。
その場限りの1ドルでは何も解決しない、その1ドルがこどもたちのものにさえならない、そういうことで観光客は迂闊にこどもたちへお金は渡さない。
たくさんのこどもたちに、いや、渡せない、大丈夫、そういうやりとりばかりで、どうしようかと思っていたら、その中の男の子がサッカーのTシャツを着ていることに気づく。
話をそらせたいわけじゃなかったけど、
サッカー好きなん?
と聞いてみた。
その瞬間、目が変わった。すぐに笑った。
なんだ、サッカー好きなんやん。
サッカーの話ばっかりしていた。サッカーの話で、いつの間にかたくさんこどもたちがきていた。
お金目当てではなく、つかの間だったけど、サッカー好きやねん話になっていた。
ブレスレットを売る男の子。
悲しい演技をしているようにも見えるし、本当に悲しいのかもしれないし、小さいのにモノを売るために外国の言葉まで覚えている。
この瞬間にも、サッカーがやれたらいいのにね。
なんでやろう。
おとなが見ていないところで、一つだけ1ドルを支払って買った。
ねぇ、この1ドルはどこに行くん?
サッカーできる靴、買ってよ。
相変わらず日本語で、黒くなっていた裸足の足を触った。
同じだ。こどもの小さな足だった。足の下にはたくさんの石や砂や破片があった。
こどもたちが見ている世界も、世界であってどう見えているのだろう。
演技をするしかなかったり、物乞いで生きていくしか方法がないように思えたり、
でも、好きだと思えるものがあったり。
定義はできない。
でも、こどもたちの姿は、強いと、いつも思ってしまう。
活かすのか、活かさないのか。
おとなたちは、なにを伝えればいいのだろうか。
こどもたちにとって、おとなはどう見えているのだろうか。
伝えたい言葉をメモしている。
次に行く時は、もう少し知っている言葉で話がしたい。
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