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下関店
昔話
投稿日:2013/2/7
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「あんたは、背がおっきくてえぇね。」
一緒に水戸黄門を見ている時に、突然ばあちゃんが話し出した。
「ばあちゃんもね、中学生くらいの時くらいまでは背の順で後ろから4番目くらいにおっきかったんよ。それが、終戦の年にね・・・」
終戦の年、ばあちゃんは15歳だった。
戦争が終わりにさしかかって、兵隊が日本に引き上げにかかっていた頃、負傷したり、汚れてしまったりという人が町中に溢れてしまい、その中でばあちゃんは赤痢にかかってしまった。
毎日毎日、血と肉が体から止まらなく出て来てしまって、誰もがもう死んでしまうと諦めていたそうだ。
食べ物がない中で、皮だけになってしまって。
その最後の最後に、離れた町にお医者さんがいるということで、お父さんがリヤカーに乗せて山を越えて連れていってくれた。
貴重な注射を打ってくれて、数粒の米をおもゆにしてくれて、意識も戻ってきて。
そうやって、入院している時に、天皇陛下のラジオを聞いたと。
無条件降伏、その声は今でも忘れられん、と、ずっと終戦の年の話をしていた。
鮮明に覚えている記憶。
ずっと忘れられなかったこと。
最近、聞いたんやけどね。と、また話す。
ばあちゃんが2歳の頃に、ばあちゃんのお母さんは脳梗塞で突然亡くなった。
ずっとお母さんだと思っていた人がお母さんの妹だってことは中学生の頃には聞いたけど、2歳で亡くなったとは知らなかったんだと。
ばあちゃんの昔話を聞いていると、ばあちゃんもこどもだったことを実感する。
同じ年頃でも全然違う時代を生きていたということ。
米なんか食べれんかった、というばあちゃんは、わたしがご飯を食べている姿を一番喜んで見てくれる。
ばあちゃんの中には、今まで生きてこれたことや人に対する感謝があるように見える。
関東に行くというのを最後まで止めたのもばあちゃんだった。
だから、離れてまでいるこの時間を大切にしないとなぁといつも思う。
1年に多くて2回ではあるけど、実家に帰る度ばあちゃんに会いにいく。
今年は正月に帰らなかったから、
あんたが正月におらんと静かで寂しいわーね、と言われた。
よくよく聞くと、あんたがおらんと餅をまるめるもんがおらんやろ、って。
そうだ、今年はもちをまるめていなかった。
一緒に餅を食べて、こたつで昼寝をして、あったかいお茶をすすりながら話をする。
ばあちゃんはよく笑う。
わたしがこたつで寝続けている時も、鍵をかけていない玄関からはどこぞのばあちゃんが入って来て、寝ながらもいつも笑い声を聞いている。
ドトールなんてはなからないけど、ドトールいらずな町である。
スーパーも、花屋も、本屋も靴屋も何もない町でも、
生まれ育ったこの町で、ばあちゃんはいつも笑っている。
わたしよりも頭いっこぶん小さいばあちゃん。
2ヶ月にいっぺんは美容室に行くそうだ。
いい髪型である。わたしがばあちゃんになっても毛量は心配無用な気がする。
ばあちゃんは、元気でえぇやん。
元気でね、って、またいつも通り分かれた。
誰もいない道を歩きながら、終戦の年の人が溢れていた町を想像していた。
ちなみに、わたしは決して背が大きいほうではありません。
でもばあちゃんの手がたわんところには、率先して手助けをしたいと思います。
2013.1.28 shimonoseki
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