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投稿日:2012/8/25
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私、社長ではなくなりました。
ワイキューブとの7435日 安田佳生
生きるということは、当たり前のようで当たり前ではなく、生きてゆく中での責任というものはどれほどのものなのか、そんなことを最近よく考える。そして、自分がここにいる理由とか、居場所とか考えれば考えるほどに人というのは色々な思いにかられる。
ここなのか?なんなのか?
社員をサーフィンに行かせよう、その本の中では、ちいさなきっかけから、大きな意志の中で、過去•現在、そしてこれからも存在しつづけていくための会社の人間の精神や企業理念、どういう経緯があり、どのような思いの中でここまできたかを読んだ。
必ず、「いい」と信じるものを共有しながら、仕事を通して守りつづける信念。
強いなにかが、なんなのか?という抽象的であり大きな不安要素などのものを払拭したり、新しい考えを取り入れながら、会社が居場所のひとつになり、社会の中の存在として確立されていた。
引きつけられる内容のものであったと同時に、パタゴニアの歴史やシステムが全ての企業に適応されるかどうかというのは業種にもよるだろうが、ここまでの明確な意志やvision、そして人と社会を動かしていく価値というのは結構簡単には作られないのだろうとも思った。
この本を読み終えて次は何を読もうかと思っている中、啓発本やhow to本などいいことの本ではなく、逆のものがないかと思って目にとまった「私、社長ではなくなりました。」を読んだ。
そうだよなー、うまくいく会社だけではないよなー、、、という中身だったのだが、では何が違うのかを比べていきながら大きく違う部分を感じた。
それはどこか切なさでもあり、気持ちの部分でも、仕事の中身でも、その時その時だけで始まり終わっていた部分を感じた。
具体的な試みや信念や行動が社員や自分への想いだけでなく、企業としての価値や、何を行う仕事であるのか、どう社会で存続させていくか、求められ続ける仕事を提案•提供しているのか?の部分において
読み進めやすい分、内容の薄さというか、企業としての持続的な展望やそこにかける努力や戦略が少なく感じた。(いい部分は謙虚に省いていたのかもしれない。。。)
でもそれは少なからず、この人、この会社だけの結果や内容ではないのだと、情報過多で需要や経済状況が大きく変化している今の世の中で、その時々で揺らいで変更したり見失ったり、どうしようもなくなることは起こりえるものなのだとも思った。
こんな生き方はしたくない、という考えだけでとまらないこと。
やっぱり、、、切なさが強い本だった。惜しいし、残念な気持ちになる。
それでも、この著者は赤裸々に起業から民事再生までのすべてを綴り、
あとがきでは、人生を楽しんだという文字があった。
「会社は何のために存在するのか。
その答えをみつけるために20年も費やしてしまった。
そして答えは見つからなかった。
だが納得はしている。
答えをみつけることが大事なのではなく、みつけようとすることが大事なのだ。
それをやめてしまったら私は私ではなくなってしまう。
これからも自分自身であり続けること。
それもまた、巻き込んでしまった人たちへの責任の取り方なのだと思っている。
これから、私の人生がどうなっていくのか。
ひとつの実験だと思ってみていてほしい。
2012年2月」
会社というのはひとりだけの人生が関わっていることではない。関わっている全ての人の人生がある。
この本が書かれて半年。
安田さん、、、ちゃんと元気にしてるのかな、と気になってツイッター検索をしてしまった。
毎日、毎日、自分の言葉を綴っていた。政治や時事など大切なことに対する意見が読みやすい部分が多い。伝える、考えさせる力という、この人の魅力の部分じゃないかなぁと思った。
face bookでは、笑ってる顔も見た。だいたいが他の人からのタグ付けだった。人と関わり続けている姿をみてほっとする反面、
…こんな全然知らない人の近況が分かる時代なんて、、、
と、そこにびっくりしつつ。。。
そんなこんなで、大企業から中小企業まで、色々な人と人とのあらゆる関係の中で、良いことも悪いことも起こりながら世の中はできているのだと改めて思ったのでした。
印象の深かった部分。以下抜粋。
『いま思えば、会社にバーを作ったり、パティシエを雇ったりしたのも、社員に「会社に来たい」と思ってほしかったからだ。
みんなが楽しく会社に来てくれれば、そこがわたしの居場所にもなる。
私はワイキューブという会社を経営することで、自分の居場所をつくりたかったのだ。
どこかに、利害を超えて仲間が集まり、一緒に情熱を燃やせるような会社があってもいいと思っていた。
私にとって、会社はたんに仕事をするだけの場ではなかった。
人生を共有する場であり、生きていく場であるような気がしていた。
そして何より、自分はこう考えている、こう生きている、という想いを表現する場だった。
会社を通じて社会に発信することが何よりも大事だったのだ。
それは、社会の常識に対する挑戦だったり、福利厚生が充実した理想の会社というメッセージだったりした。
ひと言で言えば、安田佳生という生き方そのものを表現する場だったのだ。
しかし、それだけでは会社は成り立たない、
会社というのは仕事をする場である。
利益をあげていくことが、会社が存続していくための前提条件なのだ。
その優先順位を見誤っていた。
会社を経営していくには技術がいる。
その技術が、私には足りなかった。
伝えたい想いだけが先行していた。
文章の下手な小説家のようなものだった。』
会社、社会、社会、会社、、、経営。。。
想いだけではないもの。
実際、わたしも同じ社長という立場だったら、完璧にこうなっただろうな、、、と思った。
ひとつの実験として。あの言葉を通して、安田さんは安田さんなりに、人に注目されているという自負のもと生きている。
うまくいくだけでなく、失敗もしながら、彼の人生の中で技術を磨きながらまた理想の会社に挑戦して実現させていくんじゃないかと感じた。
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