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下関店
family*一緒に
投稿日:2012/4/23
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写真が好きだ。
それ以上、なんて言えばいいかよく分からない。
それでもなんでかっていったら、それはまぁきっと、、、、
確かめることができるから、そういう理由もあると思う。
なんで写真は時間を止めるのか。
それが不思議でしょうがないこともあったけど、
写真を受け入れられるようになったとき、わたしは時間を受け入れ始めた。
今、この時を。
時間を写すものだと思っていた。
時間の上。そこに写るものを愛しいと思っていた。
思い出したこと。
そこに、自分の姿はなかった。
好きな目。
好きな表情。
好きな仕草。
好きな人との距離。
時間。
風景。光。色。形。波。におい。
自分を通して確かめる感情。それを残したいという願望。
目の前のもの。そして自分。
それでも。
いつも自分の目で見ている世界の中に、自分はいない。
わたしがわたしとして。
どういう顔で、どういう距離で、どういう風に、好きな人と今ここに一緒にいるのか。
確かめることは、そうなかった。
どうだったのか。もうあまり覚えていない。
わたしはしあわせだっただろうか。
*
写真が好きだと、お父さんが言った。
過ぎ行く日常を、よく写真に残しているのだと。
でも、いつも写真を撮っていて自分が写真に写っていないから、家族みんなの写真がほとんどないのだと言っていた。
そういう話の中から、わたしは思い出したのだった。
わたしの想いが写っていても、そこに自分の姿はなかったことを。
それでもいいと。
それがいいと、遠慮ではない何かで、ちょっとした不安でそう思っていたけど、
自分も含めた家族写真がほしいというお父さんの思いが分かるような気がした。
家族だから。今の家族の形があるから。
こどもたちといる風景は、あっという間に変わる。
必ず時間は進む。
いつか、懐かしく思うんだと思う。
今の、当たり前の姿も。
あなたが見ている世界を、一緒にいる世界に。
そういう気持ちで撮影をしていった。
第3者だからこそ写せるもの。
家族時間を大切に。家族の記録。家族の形。
シンプルに。出てくるものを生かしながら。
姿だけでなく、声も、においも、やわらかさも、記憶として残せるように。
そう願って時間を止める。
今、ここにいること。笑いあえる。大好きだということ。
大切な人と離れてこそ、気づくことがあった。
一緒にいられる時間は、あるようで、なかったということ。
だからもっと、時間を、人を、想うようになった。
結婚はいいものだと、家族はいいものだと教えてくれたお父さんは、
写真を見て、涙をこぼした。
今まで、いいことも、やっぱり大変なことも色々あったんだと、
写真を見ながら、また今までのことを思い出しているようだった。
そうして、今、また笑って4人でいられる。
家族の笑顔、そしてお父さん自身の笑顔に気づいてくれたように見えた。
わたしには想像しきれないほどの家族だけのストーリーがある。
それでも、家族の1番新しい時間をここで残せることで、そのストーリーに参加できたように思えた。
ここにいること。
大切な人といること。
わたしはしあわせだったと。わたしはしあわせだと。
いつかまた、写真を見てみんなで思い出して笑ってくれたら、
いつかそのときも、感じてくれたら。
写真が好きだ。
たまにはカメラを置いて一緒に写ろう。そうしよう。
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