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下関店
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投稿日:2012/3/9

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わたしは、何をしているのだろうという思いになった。

何をしてきたのだろうとも思った。

まだまだ、だなぁということだった。
ただ、それだけを反省した。
 
この数日、ずっと李社長のblogを最初から順番に読んでいた。
なぜこのスタジオには、ただ日々を綴るようなblogだけでないのかと。
そこに見える、意思と位置は、なんの為なんだろうと、
2009年、まだ、ライフスタジオに入る前によく思った。
入社までの4ヶ月、昔のスタジオのPCで時間がある時はいつもスタッフのブログを見ていた。
よく、そんなことを許してくれてたと思う。
採用が決まったら、すぐにスタジオを移る、ということを社長は許してくれていた。
ブログを読んでいておもしろかった。
隠しきれない、人間性。
この写真館は何なんだろうという、好奇心があった。
全員のブログを読んでからの入社になった。
初めて会う気がしなかった。2009年の6月だった。
 
そして今。
いいタイミングでまた、こうしてブログを読み返すことが出来てよかったと思う。
 
李社長のブログから。
 
 
 
2007.12.09
 
今日韓国に電話をしながら“楽しいですか?”という質問を受けた。
“問題ない”と、答えた。
20代頃の熾烈な情熱はどこにいったのだろうか?
寂しくもなく、問題もない状態の30代後半の、見窄らしい自画像…………..
 
2008.01.18
 
Memoirをオープンして1年が過ぎた。何が同じで何が変わったのだろう?
長い時間を過ごしていると、今どこにむかっているのか方向感覚を失ってしまうこともある。
その中で湧き上がってくる回避的な思いが、私たちを苦しめたりもする。
“日本の写真文化を変える”ということがどれだけ意味のあることなのだろうか?
“時間と共に人と人との間にある壁が、少しはなくなったのだろうか?”
“私たちはひとつの目標に向かって共に歩んでいるのか?”
“実質的な経済的余裕は、いつ頃訪れるのだろうか?”
私たちを存在させる力はなんだろう?
技術、お互いに対する信頼、相対的な経済力、 水平的な関係、予想される経済的な余裕……
何かが足りない。
特別に、誰かのために生きていくという言葉が、はずかしい。
各自が自分の人生であり、少しの助けになるのであればそれが小さな幸せだと思った。
しかし言葉は “共に過ごす” であるのにもかかわらず、
心は “自主的に”の、この二重性が何ともいえない。
そしてもう一つだけ追加をするならば、出来ないことを出来るようにするよりは
出来ることをもう少し、よりよくしたいと思う。
この世には、怖いものはないということを知った。
 
2008.10.24
 
いつも言っている。
ライフスタジオは価値をつくりだし、それを写真館という空間で販売する会社であると・・・・
その価値というものが何なのか、誰にもわからないが、誰でもしっている。
価値というものは、鏡のようなものではないだろうか。
誰でも知っているが、鏡のように確認しながら感じ取ることがなければ、誰のための人生なのかわからなくなる日常・・・・
自分をきちんと見ることのできる鏡、家族が存在する理由に対する疑問、関係というものの社会性・・・・
考えてみれば、私が鏡を見るのは1週間に2,3回。でも、あるときじっくりと鏡に映った自分をみると、見慣れない自分というものに気づく。
そして、自ら問うことになる。
“じゃあ、何なんだ?”
毎日、何かに引っ張られるように忙しく過ごしながらも人生の余裕と存在の美しさを発見するその瞬間に、裸の自分を発見すること・・・・・そして、再び自分にきいてみる。
“じゃあ、何なんだ?”
 
2009.04.26
 
結局は
自由なのか?ということを自らに問うことになり
その次にどこにむかうのか?に対する圧迫感を受ける。
内容はないのに思考の形式だけはもちあわせているという不足感に
イライラしたりしながらも、
変わらない車線の動きをみていると、少しずつ心が落ち着いてくる。
何もない。そして常に変わらない自分自身の間でさまよっている自分を発見しながら
西に広がる高速道路・・・・・・・・
 
2009.04.27
 
人々が望む美しさと、
スタジオで可能とする技術の限界点の間で お互いが満足する地点を設定する。
そして 人工的な様々な材料を使用し、 イメージと美しさ、
そして思い出をつくりだす。
またほかのコンセプトとは違い、
スタジオのインテリアはスタジオが作り出す写真に決定的な影響を与える。
写真の100%といえるほどである。
だから、インテリアによって写真の雰囲気も決定され
それがスタジオのイメージも決定し スタッフもそのような方向の中で変化し、
発展の過程を経ていく。
またそのようなスタジオのイメージ、人、写真を好む顧客が集まってくる流れが作り出されていく。  
それは、私たちがもっている理想を現実にしていく過程がインテリアだともいえるということだ。  
完成度を高め、主体性を強化しながら
この時代にあった明確な主題を提示し スタジオの素材としていくこと・・・・・・・・・  
今後2-3年間の課題を持つことになった。  
 
 
 
 
このブログから、もうすぐ3年が経つ。
社長は今でも変わらない思いと、変わっている思いを併せ持っているように思う。
スタジオの素材とはつまり。
インテリアやコンセプトを越えた、「人」ということなのかと思う。
今まで。
よく分からなくて、何もしないこともあった。反抗的な態度をしてしまったこともあった。
疑ってしまったこともあったし、どうにでもなれと思ったこともあった。
ずいぶんと、ブログを書かない期間もあった。
差し障りのないことだけを書くこともあった。
気持ちを表すことは苦手だった。
文字を書くのも嫌いだった。
でも、今を逃げないことで確かめないと、という気持ちもあった。
はがゆさともどかしさの中で、どこかでふと楽になった時があった。
大丈夫。そういう気持ちにさせてくれた。
 
 
このスタジオがある意味。
このスタジオにいる意味。
好奇心を大切に、探していきたい。
 
誰かが見ているという怖さ。
誰かが見てくれているという心強さ。
両方あるけど。
後戻りできない今を、意思と位置を、確認したい。
 
 
 
 
2009.05.27
 
だれにでも同じような経験があると思う。
食べて、着て、寝る・・・そんな基本的な部分が解消される10代中盤から、
だんだん説明しがたい壁にぶちあたるということ。
どこからか聞こえてくる「存在」というものに対する問いかけと
私、あなた、私たちにつながっていく関係について悩みながら
「人生」と「人間」に関心のポイントが移動する。
そんな過程の繰り返しの中で、習慣化されながら一皮むけた自分自身を発見する。
 
 
社長のブログは社長だ。
そこに、悩みや、確信や、迷いや、思いがその時々で残されている。
そして、社長のものだけでなく、わたしたちへの問いかけの手紙のようだと感じた。
読み返していて思った。
2007年、2008年の頃の方がなんでか覚えてる、、、という感覚。
そして、社長の思いを受けきれていなかったなぁという感覚。
 
最近の日々で反省をしている。
でも、気づいたこともある。
察したように、連絡をくれる友達、スタッフ、お客さま。
それは、なぜかということ。
出会って、話をして、気にかけてくれている。
今までやってこれたのは、誰かがいたからで。
大切だと思える人がいることが、自分の力だということ。
 
なんか色々、考えました。
ありがとうございました。
 

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