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L*FLY 6 [松風の人]プロローグ
投稿日:2012/2/29
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松風の人 吉田松陰とその門下 津本 陽著
自分の人格やルーツをたどっていく時に、
少なからず私は故郷の影響を受けていると感じる。
私は、山口県下関で育った。
長州だ。
長州という響きは、どこか時代を切り抜けていったようなそんなイメージがする。
歴史を疑わないのかと言われれば、本当に教科書どうりの世界だったのかどうかは分からない。
けれど壇ノ浦の合戦の島を間近に見て、
薩長同盟って、ここらへんの人と熊本よね、っと歴史を感じ、
明治維新後の伊藤博文が見た風景を想像しながら
今でもある春帆楼の付近を通りすぎたりする。
下関条約とかなんとかかんとか。
その場所にいるからこそ、歴史を受け入れざるをえないように育ったかも しれない。
時代が動く時に、少なからずこの場所は関わっていたのかと思うけど、それにしたって現世は本当に田舎の田舎で、
過去に世界を見て、日本を変えようと思って、戦い、血が流れたような場所には到底思えないような街。
それは、一見平和に見える世界だけど、わたしはどこかつまらなくて田舎に残るという選択肢を選ばなかった。
だけど、どこか今でも長州の誇りが自分にかすかに残っているように思えるのは、
小学生だった頃、習った吉田松陰先生の影響なのかと、最近ふと思った。
小さい頃の記憶は鮮明だ。
小学校3年生の頃、こどもたちだけで船に乗って1週間船旅をするというプロ グラムの企画に参加したことがある。
その主催者が、吉田松陰先生の教えに感銘を受けた人で、あの旅は、
四六時中、わたしたちに親のありがたみとか、どういう風に物事を感じ取っていくか、そういうものだったように思う。
細かいことはよく覚えてないけど、一番覚えいているのは
毎朝、こどもたちが集まり、クラーク博士の「ボーイズビーアンビシャス」を船の上で大声で叫んだこと。
そして、旅の終盤、親から送られてきた手紙を夜に手渡されて、ひとりひとり自分の寝床で懐中電灯に照らしてそれを読む。
そのふたつ。
そりゃあもう、寝床からはこどもたち(という自分もこどもだったけど)の、わんわんすすり泣く声が聞こえてきた。
一緒 にいるのもこども同士。頼れる人もいるようでいない。
そんな時に、自分は守られて生きてきたにすぎないことを痛感する。
そしていつかは守って行く役割になっていくのだと悟る。
あの旅は、きっと教育者である、というか教育者になるべき運命をたどった、吉田松陰先生の影響もあったはずだ。
そして、今、改めて自分が何をしていくのかと考えれば、
今を守ってつなげていく、ただそこなのだということに気づいた。
それは、また田舎に戻って。
何かを変えたいとは思わない。幕末のようなそんな気持ちはない。
ただ、この街がどうなっていくのか。
今までの歴史のこれからを見守っていく、そんな気持ちになった。
命をかけて、この時代の人は何を守りたかったか?
どんな人間関係で生きて、どんな基準があったのか。
まだまだ読み深めないと、足りない。
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