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下関店
scrollable

brother*残す

投稿日:2011/11/30

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どのような状況の中でも、判断するのは自分自身だ。

写真に対してのこだわりや、プライドといったものが自分にはある。
ということを、自分でも認めないといけない。
自分はどういう写真が好きなのか?
自分は何を求めているのか?
しかし、この場で撮る写真がいつも自分の基準だけでは撮れはしないということも理解しなければならないことは分かっている。
ドキュメントであるか、演出であるか、
動きなのか、静寂なのか、
光と陰、どのような匂い、空気、音。
記憶として、記録として。
自分の求めるものと同時に、他者からも求められるもの、イメージされているものもあるはずだ。
そのバランスを探すのが何よりも難しくて、それでもバランスを見つけていくことにほとんどの思考を費やす。
毎日が、違う。
 
どこまで敏感にいられるか。
自分の思考と、他の様々な関わりの間でとても戦う部分である。
自分のこだわりの部分が明確に分かってきたからこそ、
その部分に囚われ固まってしまわないよう、最近は考えている。
敏感と鈍感は、紙一重らしい。
 
自分のイメージ
こういう雰囲気で撮りたい、
このフレーミングの中で、こうやってこう撮ればキマるのではないか。
ご両親のイメージ
ちゃんとカメラを見て、ちゃんと、ちゃんと。
 
閉じ込めようとして、でも結局そうなることに違和感を感じてしまう。
こちらからのイメージから、はみ出て、反抗して、
どうにもならない状況でこそ自分の判断が試されるようだった。
 
シャッターを切る前。
自分の意図したフレーミング、写真ではなかった。
シャッターを切るか?イメージと離れることで諦めシャッターを切らないのか?
 
切る。
とにかく出来るだけのトリミングをし、タイミングを図る。
 
シャッターを切った後。
ふたりの目線、オーバーになってしまっていた兄とアンダーになってしまった弟の露出差。
まとまりのあるものでもない。
この写真を入れるか?入れないか?
 
入れる。
結局、ここに真実はあるから。
 

幸運にも、露出差が生まれてしまった兄弟がかぶっていた帽子によって、
この写真を残すか残さないかも変わってきただろう。
諦めないことによって、タイミングによって捉えられるものがあるかもしれないと感じた。
 
自分のイメージでもなく、かといって、求められるものでもなかったかもしれない写真でも、
きちんと絵にしていくこと。
そうやって、どんな状況でも判断し、写真を撮る責任を感じ、
それでも残さなければならない状況を、
どれだけ自分のものにできるか、その写真に価値を見つけ提供できるか。
 
よく反抗をしてきた。
きめつけられることが、きらいだった。
だったら、なおさら受け入れることを。
「きめつけない」
枠を超えて、いつでももっと考えられるようでありたい。
まだまだ考えることがたくさんある。
そう思った1枚だ。
 
shonan photo by kawano assistant by yang

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