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下関店
2011 自己評価
投稿日:2011/11/2
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http://www.lifestudio.jp/about/discussion_view.php?number=809
2011年計画
2010年の目標は「動く」としていた。
2011年は「考える」、2012年は「決断する」年とする。
*写真について*
①日本の写真文化を変えなければならないか?
②写真を撮りつづけていくために、何をしていくか?
・生きることを考える
・写真を学ぶ
③写真にできることは何だろう?
・ 横浜店のイベントにおいて
・ child cameraコミュニティー
* 自分自身について*
① 基本的な業務を効率よくできるように
② 大切な人を大切にする
③ 社会を知る
④ 笑う
⑤ 自分を隠し通さない
2011
私が抱いた子は、空を見て泣いた。
恐くて泣いた。
この子にとって、世界はどう見えているんだろう。
悲しくもあり、でもどうにかしたいと思った。
私にできることはそんなになくて。でも、何かできることはあるんじゃないかと探した。
この子はどう生きていくのだろうか?
私はどう生きていけばいいのだろうか?
いつも、あの子の顔が浮かぶようになってしまった。
インドで、出会ったこどもたちも同じように生きていた。これで終わらせるわけにはいかない気がした。
ちゃんと仕事をして、ちゃんと稼いで、また会いに行こう。
どうやっていこうか。
少しずつ、明確になってきたことがあった。
2011年の目標として「考える」と掲げた。
考えた。本当に、考えることばかりだった。
2ヶ月という学習休暇を、とことん考える時間に充てた。
この時間がなによりも2011年の中で大きく私に変化を与えてくれたように思う。
• 2月 3週間のインド滞在
小学2年生の頃から、行きたいと思っていたインドに行った。
理由はただ、マザーテレサが生きた場所に行きたい、それだけ。
彼女の人に対してまっすぐに尽くしていく人生は単純にすごいと小学生ながらに思ったし、ちょっと信じられないほどだった。
彼女は亡くなってしまったけれど、彼女が過ごした街は、今どうなっているのか?
学習休暇の話を聞いて、スケジュールが決まってすぐにインド行きを決めた。
ひとりで向かったインド自体を恐れることはなかった。
でも、恐くなったこともあった。
ボランティアとして行った施設で、
体が不自由で身寄りのないこども達を目の前にして、
この子の命はなぜここにあるのだろうかと疑問を自分が抱いてしまったことだった。
マザーテレサが作った施設に、愛情があると感じることができなかった。
スタッフも自分の生活のために、労働しているようにしか見えなかった。
無理矢理、世話をされて命をつながれているようにしか感じられず、恐かった。
自分は何か、違う想像をしてしまっていたかもしれない。
人は、そんなに優しくないのかもしれない。
そういう不信感をもちながらも、それでもはじめの1週間、こどもたちよりもまず無愛想なスタッフの名前をひたすら覚えて話かけまくっていくことから始めると、
また、景色が変わって見えた。
よそから来る、ただのボランティアはすぐには信頼してもらえないこと、
それぞれ家庭や生活の事情があること、
なんだかんだこどもたちを愛していること。
心を通わせる。ということを実感して初めて気づけてきたことだった。
人は、すぐには分からない。
とにかく名前を呼んで、一緒に昼寝をして、
自分にもきちんと洗濯やリハビリの仕事をもらえるようになってから、それから2週間目以降こどもたちに集中した。
生きたくないと、聞こえるようだった。
体も動かさず、オムツが濡れてもひとりぼっちでも、
何も求めないこども達が、
ごはんの時間になると全力で泣いて拒んでいた光景は今でも覚えている。
この子達は、無理に生かされているわけではない。
というのはこじつけかもしれないけれど、離れてしまうわたしは無責任だけど、
ここにある命が、その存在で気づかせてくれたことがあったから、
ちゃんと愛されている存在だと気づくことができたから、生きていくために、、、そう思い、
自分も逃げ出しそうになったごはんの時間を、どうしても変えたいと奮闘した。
ひとりひとりの病状、状態、性格、それらを把握しながら、
ごはんのあげかた、あげる前のあそび、あげた後のあそび、色々工夫した。
ごはんを食べることは苦しいことではないととにかく教えたかった。
すると、思い込みかもしれないけど、確実に変わった。
ちゃんと考えて接していくと、分かってくれたようにちゃんとごはんを食べるようになったのだった。
これで、もっと大きくなれる。
もっと、やれることもあるかもしれない。
そんな期待がもてるようになったら、すぐ時間切れになって別れになってしまった。
今回の3週間は、まず今の施設の現状を感じるだけになってしまったので、
次回は、自分からもっと積極的に仕事をやって、ごはんの改善の提案をしながらもっと食い込んでいこうと思う。
インドでの3週間は、とにかく生きている実感があった。
街も食事も、もちろん危険だらけで、でも人は明るくて笑いっぱなしだった。
自分の、全部の感覚が開いているようだった。
あの街と人の活気が恋しい。
愛を感じた不思議な国だった。
• 3月 写真の価値、写真館の価値
3月は1ヶ月、地元で過ごした。
目的としては、西日本の写真館の現状を知りたかったからだった。
昔ながらの、自宅と写真館が一緒になっている写真館に寝泊りをして、
スタジオの掃除をしたり、実際に卒業アルバムの撮影に同行しながら、
昔と今の写真館の話を聞いた。
手の届かなかった貴重な写真というものが、時代が変わり本当に身近なものになった。
確実に、需要は変わっている。
時代は、とまったままだとだめなんだと思った。
守るとこは守る、でも、ただ変わらないということは取り残されるということ。
厳しすぎる、昔ながらの写真館の現状をもったいないと思った。
地域を見守ってきた写真館がなくなってほしくない、
その為のアイデアをただ話すことしかできずにはがゆかった。
まだ、わたしには写真館を守る術が少なすぎると痛感したのだった。
昔ながらの写真館とは対照的な、
これから写真スタジオをopenする人、
そしてここ10年くらいの新規の写真館にも訪問した。
老舗の、受け継がれた店をとにかく守らないと、という思いとはまた違う、
新鮮で熱い情熱が強く感じられた。
写真にできることは、もっとある。
そう希望を持っている。
「こんなにいい仕事はないよ」っと話をした店主は、わたしの家族写真を撮ってくれた人。
地元に帰ると毎回会いに行く。
この店主に会うだけで、安心する。
写真館に来る人は、悲しくて来る人はいないんだから、と。
でも、私は悲しい人も寄れたっていいと思うって話もした。
ずっと、話を聞いてくれる。
話せる人であり、話をしてくれる人がいる優しいスタジオ。
(山口 ダンランスタジオ)
また、友人が働く新規の写真館の女店主もかなり魅力的でひきこまれた。
ただの写真じゃだめなんだ、全部が映らないとね!
っと、ガンガン話をしてくれる人だった。
お年寄りのいきいきとした写真を残すことを今積極的に勧めているスタジオ。
(福岡 studio vitamin)
商店街のど真ん中にある、雑貨屋さんを併設している写真館にも行った。
人が集まれる場所。
いつでも、立ち寄れる場所。
写真館のイメージを変えたい、その形が確実にあって、
その「場所」にひきこまれた。
写真館の存在をもっと身近に、もっと立ち寄れる場所に。そんなスタジオ。
(兵庫 studio ism)
そして、たまたま紹介で行った写真屋さんでの出会いが自分にとってかなりの衝撃をくれた。
インドにて、「あなたの仕事は何?」と聞かれると、わたしは「カメラマン」というものではなく、「まちの写真屋さん」をしています、と答えていた。
今、現状まだそうなっているかと言われればまだまだなのだが、そういう存在でいたいからそう答えた。
その、「まちの写真屋さん」というコンセプトを掲げた写真屋があったのだった。
カフェと併設される、スタジオ兼ラボの店のオーナーは、若くて綺麗な女性主人。
もちろん写真が好きだというのは伝わるし、そして実際に「写真を通して」その部分で驚くほどの行動をしている人だった。
写真とまち、写真とこども、写真と教育、コミュニティーとしての写真館、写真のもつ可能性。
さまざまな報告書やイベント資料を見せてくれ、
何度も「ゆっくりしてってねー」と声をかけてくれた。
気づけば8時間もその場所に居座って資料を見たり、話をしたりしていた。
すごい人に出会ってしまったのだった。
心臓が痛かった。あー、これだな、っと思った。
(福岡 albus写真ラボ)
その他にも大手写真スタジオチェーン店にも行ったが、
それはそれで効率的にいい部分もあると感じたし、でも自分がしたいことでもないな、と思えたのでよかった。
写真館という魅力を改めて感じる時間になった。
すべての写真を撮る人に聞いた。
「写真の価値ってなんですか?写真館の価値って何だと思いますか?」
ひたすら話を聞いて、自分の意見も伝えた。
すぐに答え話を聞かせてくれる人、考え結局言葉として出てこなかった人、
正直、新規と老舗、まったく意見の温度や濃さが違ったのに驚いた。
考えているか、そこまで考えきれていないのか、差が明確であった。
それでも、この仕事を続けていくということはきっと大変なことなのだろう。
わたしは、写真が好きでたまらないというよりも、
やはり写真を通して、そして写真館という場所があることによって、
つなぐことを求めているのだと、感じた。
日本の写真文化を変えるというよりも、守りたい、そう思った。
そのために変化が必要ならば変化させなければならないし、
方法を見つけていくことがこれからやるべきことだ。
また、この休暇の帰省中に大地震が起こった。
改めて感じた、命。
リアルタイムで見ていた津波の映像。
関東から届く知らせ。
遠くにしかいられなかった自分が申し訳なくて、なんでここにいるのかと思った。
その時に、自分にできることがあるかと考え、声をかけて、交渉をして、場所を借りて写真を撮ってわずかながらに募金にあてた。
西日本でも切実に感じてほしかった。
日本は、大変なことになったけどちゃんと意識をすること。
そして、今、そばにいる人を大切に感じてくれれば。
写真を撮っていた。
2ヶ月間で、自分は何をしていこうか考え、やりたいことはやり尽くした。
この時間があってよかったと心から思う。
わたしはまた新しいきっかけの中に飛び込んでいくことができたようだ。
湘南店に移動して、新たにスタジオをやっていくこと、そしてその場所を守っていくための計画や実践をやっていかなければならない機会を与えてもらった。
まだ、これは今年の残り2ヶ月を通してでなければ期間が短く経過や結果が曖昧にしか提示できないので改めて振り返りたいと思う。
写真館をすること、写真を教えるということで自分自身がまた学ぶということができた。
自分の足りなさや、何をもっとやらなければならないかを実感できた2011年の後半。
スタジオでの撮影だけでなく、写真を伝えていくことを自分の計画としてしていたが、それらはまたこの場所で、そばにいるスタッフと共に考えやっていきたいので、
2012年に先送りになってしまったのだが実行したい。
悩みもしたけど、笑えていたので振り返るといい1年だったと思う。
この1年、出会った人、支えてくれた人に感謝しきれないくらいだった。
2010年の年末、わたしは「動く」と目標としたことにおいて、動いてはいたが自分自身が何もそれを自分のものとして感じられるほどにはなれていなくて、何やってたんだろう、、と社長を目の前にして悔しくてなぜかなぜだか泣いてしまったことを覚えている。
あれから、1年。
そこに考えるということがプラスされ、少しずつではあるが具体的にやらなければならないことをやることができたし、やりたいことができたので、今年は泣かずにいられそうだ。
そして、2012年は少しではなくもっと自分を追い込みながら、やらなければならないことを確実にやっていくこと、それが「決断」につながることだと考えている。
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