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下関店
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未来を開く歴史

投稿日:2011/8/11

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  切実なことほど、理論的に書けずにいつも感情が先立ち言葉にならない。 自分の話す言葉に、書き出す文字に、本意が伝わるのかと不安でならない。 原子力発電について。 いい、とか、悪い、とかまずシンプルに考えれば考えるほどに、 そういうことでまとまりきらない様々な状況や、過去や、未来がまとわりついてくる。 どうすればいいんだろう? どうすれば、よかったんだろう? 人は、自分の能力を試してみたくなるのかもしれない。 人は、より不自由のない生活を望むのかもしれない。 人々の欲求を満たす時、 それはしあわせにつながるのだろうか? すべてが、うまくいく方法など、あるのだろうか? 人は、動植物は、地球でのみ存在できる。 地球の中で、限りある中で、どう生きていけるのだろうか。 わたしの故郷である山口県でも、ずっと原発の問題が続いている。 上関原発。 この上関原発の建設計画が浮上したのは1982年のことだった。 わたしが生まれる前からずっと、この計画が始まり、賛成派と反対が、今の今までずっとぶつかりあっている。 この30年近く、なぜ、ここまでの論争が続いているのだろうか? きっと、そう簡単には、決定するには大きすぎる問題なのだと思う。 なぜ、この場所に原発を作る必要があるのかを調べた。 推進派は、過疎が進む現状をみて、原子力発電所立地により交付される電源三法交付金や固定資産税等により安定的な収入を得ると共に、関係者の定住により人口の減少に一定の歯止めがかかり産業が活性化されることを期待しているとされる。 なお、中国電力は上関町に対し建設が具体的に動き出した2007年8月以降、上関町に対し計5回にわたって総額24億円の寄付を行っており、町はこれを一般会計に組み込んだ上で基金を設立し、町民の生活支援事業(中学生以下の医療費全額助成や老人の通院用バス運賃の補助、町独自の地域振興券の交付など)に用いている。 そのように、記載されていた。 電力が絶対的に必要だとの、記載はなかったのだ。 「過疎化の歯止め」 「地方財源の安定」 それこそが、ポイントだった。 地方の厳しい現状を知っているわたしも、その点は地方の田舎の問題だと痛感していることである。 億単位のお金が動いていることも、とてもありがたいことではあっても、 そこにお金をポンと出されることよりは、人々の意識や働きかけによって地方財源を継続的に安定できるだけの方法を作ってくださいよ、と言いたくなって衝撃だった。 そうだ。 果たして原発を設置することでのみ、この問題が解決されるのかと考えると、そうではないのではと考えてしまうのだ。 また、反対派の意見としては、 反対派は、上関町の離島・祝島の住民を中心としている。 祝島は一箇所に集中している島の集落のほぼ真正面(直線距離で約3.5km)に原発予定地が位置しており、農水産物の放射能汚染などへの懸念など生活環境に与える悪影響が甚大であると主張している。島民以外では、環境保護団体らが周辺海域に小型クジラのスナメリや海鳥カンムリウミスズメなど複数の貴重な生物が生息することや、付近に活断層が存在する可能性があることなどの点を指摘している。 生命の危険性や、動植物の保護について、説いていた。 貴重な生物は、ウミスズメだけではない。 3月11日の大地震。 それによって、いかに、わたしたち人間の命の尊さが今一度訴えられたことか。 そして、安全だと、耐震性に問題はないと、そう信じていた原発が崩れたのだった。 原発によって、放射能によって、 生きている人間や生物までも生命が脅かされ、多大なる影響があるということを知った。 今のままでどうやって生きていけというのか? そういう不安を抱える人々の姿を目の当たりにした。 関東に暮らすわたしも、食料や自然への影響を受ける場合もあるので正直不安ではある。 上関原発の建設工事も3月15日に中断した。 もう、それは当然のことだと思った。 過疎化の食い止めができたとしても、 地方財源が潤ったとしても、 その安全性が確かなものでなかったとすれば、それは生きて行く希望とならない。 違う方法で、もっと考えぬいて、もっと方法を探してもみんなが協力し町を守っていけば、 原発を設置しなくとも、今の状況をよくできるはずではないだろうか。 地震によって津波が起こり、船が流され、何もできない状況の漁業を営む人々の映像を目にした。 それでも、漁夫たちは、支える家族達は、 「海が私達の生きる糧だ」といい、それしかできないといい、 また海に出て行くのだと言った。 放射能の影響で、涙を流しながら実った作物を枯らせて処分している農家の人々を見た。 それでも、また、苗を植えると言っていた。 「それが、わたしたちの仕事だ」 諦めずに、ひたすらにまた、今までの営みを取り戻そうとしている。 そのような、自然と生きてきた人たち同様、 原発により、生活をしてこれた人がいることも確かだ。 原発で働いてきた人、 原発によって、支えられた町。 その状態を失ってしまった人々や町に対しても、違う方法で生活をまたできるだけの状況を作っていかなければならない。 今ある原発を使用していくのであれば、確実に安全な対応ができるだけの方法を探し、修正し、作っていくことが先決なのであろう。 復興の財源のメドがたってもいない今。 今の状況がもどかしくてしょうがない。 これからの人々が暮らして行く日本を、 そしてエネルギーをどうしていこうかと、考えているのならば。 これからは、今ある自然を守り、自然と生きていける方法を探していくことが理想的ではないだろうか。 すぐには出来ないことは分かる。 時間はかかると思う。 それでもその中で 人々が生きていけるエネルギー(情熱)をつくり、 安心して生きていこうとできる世の中をつくっていくことではないか。 今回の原発事故によって、 科学や発展が進んだ今、人々がどう生きて、何を考えすすんでいくべきかを考え直すきっかけとなったと思う。 きっと、大きな歴史として残るだろう。 何を望むのか? 多くを望むのか? 現在もなお、関東を中心に節電をしている。 「節度を知る」ということで、案外、これでもやっていけるのだと気づいた。 どれだけ、今まで、十分に暮らしていたかということ。 十分に過ごしていると、気づかないことがたくさんあった。 人と分けあうということ、協力をすること、誰かを想うこと、疑うということ、信じるということ。 わたしたちは、生きていかなければならない。 わたしたちは、しあわせに生きていかなければならない。 そういうべきだと言い切るには、わたしはまだ未熟ではあるけれど、 毎日出会うこどもたちを前に、切実にそう思ってしまう。 原発問題に、直接わたしひとりの力が関われることはとても少ないと思う。 原発問題だけではない。 雇用問題、社会情勢、経済、教育問題。いつもいつも近道を躍起になって探し求めるだけではなく、 本当に大切なこと、 例えば、 自然と、命と、安全性と、生きて行こうとする世界を、 時間をかけながらでも切実に考えながら進み、 ここで暮らす人々が見失わずにいけば大きな力となり、 これからの未来は変わっていくことだろう。 写真は、上関原発が設置されようとしていた町の景色です。 今一度、わたしたちの住む世界を見つめたいと思いました。  

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