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投稿日:2011/4/17
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フィルムを1本現像した。
何を撮ったかはっきりと覚えてないのに、目の前にその時の像が出てくると何もかもを思い出す。
そんな不思議がフィルムにはある。
それにしても、仕上がった写真の空の青さがすごい。
こんなに空は青かったけか?
写真が記憶をまたその場所に連れ戻す。
・
4年前。
使っていたマニュアルカメラのパーツがひとつなくなった。
なんでなくなったのか、本当に分からないけど、なくなった。
フィルムを送る、レバーがない。
致命的な故障。。。
古いカメラだったので修理するには高すぎる、中古を買った方が安いと言われ、愛着もあったし、そんな気分にはなれずフィルムから離れてしまった。
それから数年後、写真に携わる仕事に就いた。
毎日写真を撮りながら、なにかに追いつけない気がすることがあった。
すごく行き詰まった時。
あの日修理を頼んだカメラ屋さんにいた。
ストロボを買う予定が、ショーウインドーで自分の持っていたカメラと似たのを見つけて、それを手にしていた。
前の持ち主は、わたしと同じ名前の女性。
なんだか、それすらも運命だとして購入。
久々に持つマニュアルカメラの手触りと匂い、そして写真を撮る時のテンポが、本当に心地よく感じた。
・
マニュアルカメラの、時にどうにもならない都合の悪さが好きだ。
それが、ありのままを教えてくれる気がする。
太陽が昇り、また沈んでいくことを。
時に、つかまえられない時間があるということを。
どうにもならないことが、たくさんある。
500分の1秒で切り取れる世界がずっと続くわけでもなくて。
日が落ちれば、シャッタースピードの1秒の長さに、息をのんだり。
開放の世界がのろのろとさまよって、まったく像をつかまなかったり。
おしゃれな間接照明の下では、まったくもってぶれてたりぼけてたりざらざらになっちゃったり…、
それでも、しょうがないと思えるのがフィルム。
だって、暗かったし。と、開き直る。
だから、自分ではどうにもならない状況ではそこまでして写真は撮らない。
ただその状況を受け入れて時間を楽しむだけで。
その時々の出会いだけ撮っていく、それだけになる。
そんなものなんだと思う。
光を、フィルムに焼き付けて行く感覚が好きだ。
一度シャッターを押してしまうと、もう、なかったことにはならない感覚。
イメージをして、露出を合わせ、ピントを調節する。
そのひと呼吸で、冷静になる。
必要か?
何を残そうとしているのか?
ファインダーをのぞいても、そのままカメラをおろすことも多い。
本当に欲しいものだけ。
だから、結局何を撮ってるのかが少しずつ見えてくる。
インドに行った時もフィルム3本くらい、 1ヶ月で100枚、そんなもの。
そのどれもが、見ただけで思い出せる。
気持ちも、感情も、状況も。
レンズも50mm1本勝負、
ひきまくりの写真は、あ、びびってる、ってすぐ分かるし、
逆によれた時の嬉しさはすごかったし。
一目で分かる。
誰かに、自分に必要なものを探していた。
そして約束をして撮った。また写真を持って会いに来ますね。
写真屋さんが好きだ。
赤の他人のプライベートを唯一のぞくことを許される職業、写真屋さん。
プリントを受け取る時に交わす会話が、楽しい。
どこに行ってきたとか、こんなことしたとか、ちょいちょい話したり。
ひとりで、デジタルプリントを済ます時よりも、なんとなく嬉しい。
思い出を一緒に話せたり、プリントの仕上げが丁寧な、素敵な写真屋さんに出会って、またいろんな意味でフィルムがくるぞーと、思ったり。
その写真屋さんの、「写真の可能性を証明すること」という決意がかっこよすぎた。
・
デジタルとフィルム、どっちがいいですか?
と聞かれるけど、どっちもいいですよ、としか言えない自分。
人によって、残したいものが違うと思うし、残し方も捉え方も色々だと思うし。
どっちもいい、本当に。
とにかくカメラを発明した人はとんでもない人だと思う。
進化も進み続けてる中で、それでもずっと続いているものもある。
とにかくありのままの姿を残したい、その気持ちから始まった、ずいぶん昔の歴史をまた感じたりしながら。
写真について思うこと。
感じるのは時間と、存在。
これからもぼちぼち気ままにフィルムも撮っていきたい。
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