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下関店
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旅立ちの日に

投稿日:2011/3/31

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15歳。 おとなとか、こどもとか、社会とか、世間とか、 考えれば考えるほどにめんどくさかったあの頃。 けど、それでも毎日何かを考えながら過ごしていた。 ・ 卒業式の日、15歳の表情は様々だった。 ・ 3年間。 初めてその場に行った私は想像することしか出来ないけど、 表情に過ごしてきた時間が現れていた。 でもやっぱり、 もっと前に会いたかったな、って、写真を撮ろうとした時に欲が出た。 ・ 少し離れた所から、卒業式を見守った。 式という名の、一連の流れ。 学校という存在。 その中にいる生徒たち、ひとりひとり。 学校はこんな場所だったのか、と体育館の上から眺める。 今になってようやく耳に入ってくる先生の言葉。 あぁ、こんなことを伝えてくれてたんだ、、、って思うのは、 親になってから気付くのかも知れない。 おとなの言葉は理解できなかった(しようとしなかった)のに、 ずいぶんと時間が経ったんだと思った。 すごく不思議な気分だった。 ・ あの日歌った卒業の歌を、彼らたちもまた合唱していた。 練習通りの一連の流れから、感情が加わった。 声が震えていた。 最後、というのを意識したのかもしれない。 ちいさく口ずさみながら、シャッターをきる。 10年も前に歌った歌をすぐに歌えたのは、正直びっくりした。 この歌のピークだって知っていたし、そこにまた想いが加わってるようだった。 先輩の歌声を聴きながら、楽器を持ったまま大号泣する吹奏楽部の後輩。 色々あったんやろうな。。。ってまた妄想。 そして、つられて大号泣なわたし。(笑) 関係性だったり、信頼性だったり、 中学生ながらに、狭いこの人間関係や世界で頑張ってきたんだと、思った。 時にもがきながら、 時に諦めながら、 これからもまだ色々あるぜーと、10年先の元・中学生は思いました。 式の後、全員で集合写真を撮る時に、言った。 「本当にこれでみんなで撮る写真は最後だからね」 好きな人も嫌いな人も、楽しかった思い出も楽しくなかった思い出も、そりゃあるかもしれんけど、最後はやってくる。 ここにいたことを、いつか思い出す日が来るかもしれない。 始まりがあって、終わりがある。 その、最後の日のいろんな表情が、とても印象的だった。 ・ 学校写真を撮ったのは、すごくひさしぶりで、 その昔運動会の写真を撮りに行った時、お弁当の中身を撮ってばかりで怒られたことを思い出した。 写真館に訪問した季節が3月。 撮影する気ないですーって言いながら小脇に5Dを忍ばせてたり。 ヘルプで卒業式を少しだけ撮ってきました。 また、すごく考えさせられました。 ・ ずっと昔から地域に根付く写真館の現実。 その現状は厳しくもあり、けれど可能性を感じた。 地域の写真館としての役割が、とても大切に想えた。 泊まり込みをしながら、写真の価値や、写真館の価値をずっと語った。 写真館を守ること。 これからのことが、見えた。

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美しさを表現し、思い出を記録する、楽しい遊びの空間

人生の写真館ライフスタジオという名前に込めた想い。
それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
家族の絆とかけがえのない愛の形を実感できる場所として、
人を、人生を写しています。

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