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下関店
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10月22日に思い出したこと

投稿日:2019/10/30

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地黒なわたしが雪のように白く見えてしまうこの写真、わたしが生まれてすぐに亡くなったじいちゃんとの数少ない大切な1枚。
この写真を初めて見た時は思わず「え、、、じいちゃんナニジン?!」ってなったけど、

それもこれも、お金も名誉も権力も何もなかったけど、ひたすら毎日海で働いた勲章。
じいちゃんは腕利きの漁師だったらしく、ばあちゃんも仕事を4つかけもちしてたからふたりとも真っ黒で、

昔のモノクロ集合写真を見ても、一番黒い人を探せばだいたいツートップが祖父母でした。


こどもが大好きで我が子4人の他にも近所のよその子も狭い家にたくさん入り混じってじいちゃんの膝に座ってたとか、

近所で夫婦喧嘩があったら必ず仲裁で飛んで行ってたとか、そんな話をここ数年で聞く中で、

じいちゃんが生きてたらどんな風に過ごしてたのか、きっと大好きになってただろうなぁと想像もしたりして。

 

でも、こんな話も。

もともと漁師をする前は関釜フェリー(下関と釜山をつなぐフェリー)の操縦士もやってたらしいじいちゃん、なのに、

戦争経験もあったからかどうしても「朝鮮なんか!」と頑なだったとか。


「朝鮮人が食べてるものなんか絶対口に入れん!」って死ぬまでニンニクを食べなかったらしい。

、、、、、、。


休みの前の日には喜んでニンニク食べまくってる孫娘です、じいちゃん。
なんなら韓国人社長の会社で働いてます、じいちゃん。
そんなこともあってか、それこそ「じいちゃん生きてたら今の会社で働けんかったぞ」とか

「韓国人の会社とか騙されとるんじゃないか」とか親戚に言われたことも、

今でも言われることもあるけど、じいちゃんはもういないし、騙されるって何基準やねんやし、それはそれで自分で決めたこと。


言葉が通じないからコミュニケーションになれば、って毎日昼ごはんを手作りでしてくれたり、

会議の時には大人数の料理を用意してくれる社長なんてどこにもいないんじゃないか?って思うし、

仕事上譲れないこともあるから喧嘩めちゃくちゃしたけどだからこそ仲良くなれた韓国の友人もできたし、大切なお客様もいっぱいいる。


インドにもカンボジアにも家族みたいな人がいるし、アメリカブラジルドイツ中東北欧いろんなところにもお客様がいる。
地球全体に大切だと思える人がいる。
良いことも悪いことも含めて気付き合えるのは、関わりがあるからこそ。
出会えていなかったら、考えてもいなかったことが山ほどある。

いろいろと越えていける世代になっていければ。

日本を思って世界を考える今日。
平和が一番。
賢く美しく。
ニンニク最高!

(突然この前社長が上陸!)

 

前触れなく突然車で現れた社長。
下関で店を始めて5年目にして2回目の上陸。。。

いつ会っても変わらない。
日本人だろうが韓国人だろうが例えばブラジル人とかアフリカ人だろうが、この思考と言葉があるなら何人であっても興味を持った気がします。
財布を持たずに日本円とは思えないようなクシャクシャなお金を出すし、とてつもなく厳しいけど暖かい人。

 

 

じいちゃんの兄。
19歳で戦死して骨も返ってきていないお兄さん。
終戦記念日が誕生日のわたし、このお兄さんにソックリらしい。
じいちゃん生きてたらびっくりしたかしら。

生まれ変わりになれてるなら、平和のために長生きせねば。

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人生の写真館ライフスタジオという名前に込めた想い。
それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
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